25 / 61

忘却の中の陽太

「目が覚めた?」 顔を覗きこんでくるマスクをした人。 「だあれ?」 声を出したつもりだったけど、掠れて声にならなかった。 「ここは病院で、私はナースよ」  ナース? 声にならなくても言ってることをわかってくれる。 「看護師よ。怪我をしたのでここで治療したのよ?覚えている?」 顔を横にわずかに振った。 それしかできなかった。 「そう?今は無理して思い出さなくてもいいよ」 顔を下にチョンと下げた。 「先生呼んでくるね」 看護師さんがいなくなって顔を少しだけ回して周りを見た。真っ白な空間で機械の音しかしなかった。 右手を動かそうとして激痛に呻き声が出た。 「うううう…」 痛い。痛い。痛い。美和ちゃんが蹴ったから。怖い人と一緒にいて、陽太を蹴ったから。 かなたんはどこにいるのだろう?手を握って欲しいのに。美和ちゃんと一緒にいるねかなぁ? 美和ちゃん…。 嫌だ。もう嫌だ。 かなたん、どこにいるの?肩が凄く痛いのに。 「気がついた?」 顔半分は見えないが綺麗な瞳の男の人が覗きこんできた。  だあれ? 口の動きを読んだその綺麗な人は 「秋山伸也だよ。君の主治医だ。外科医だけどね」 「あきや…まさん?」 掠れていたがようやく声が出た。 「そうだよ。君は伸也さんと呼んでいたけどね」 「かなたん…のお友達?」 陽太の掠れた小さな声を拾い上げ 「うん、まあそうかな?」 と、笑顔を見せる伸也。 ちょっと診せてねと、陽太と話しながらもテキパキと陽太の身体を診ていく。 「明日になったら大分マシになるから、静かに寝てるんだよ」 「うん、かなたんは?」 「いるよ」 伸也がそう言って下がって白い服を着てマスクをした…奏多がゆっくりと近づいてきた。 「かなたん…」 陽太の瞳から涙が溢れて、口から泣き声が漏れる。来年から中学生なのだから、泣いたらダメと思っても声が勝手に出てしまう。 「陽太、大丈夫だ」 「かなたん、かなたん…」 と、陽太のか細い泣き声が病室に響く。 動く左手を懸命に奏多に伸ばす。奏多の左手はその手を握り右手は優しく何度も陽太の頬を撫で涙を拭ってくれる。 「もう、大丈夫だ陽太。俺が傍にいるから」 「美和ちゃん、来ない?」 「来ないぞ。来るわけない」 「ホント?ホント?」 「陽太?」 「あのね、あのね、美和ちゃんがね、怖いの。かなたんがいないとき叩くの。かなたんごめんね。ぼくのこと嫌いにならない?」 「ならない。なるわけない」 「ホント?」 「ああ、本当だ」 「ごめんなさい、ごめんなさい」 「謝らなくていい、陽太」 かなたん、怒ってないの?こんな事言った陽太のことを嫌いにならないの? 長い奏多の指はひっきりなしに溢れてくる陽太の涙を拭う。 また、かなたんは陽太と一緒にいてくれるの? 「かなたん、ずっと一緒?」 「ああ、ずっと一緒だ」 「う…ん」 奏多の温かな掌が陽太の頭を撫でてくれる。 「陽太くん、少し眠ろう。奏多さんは傍にいる。もう何も怖くないよ」 伸也の声がして。 「陽太、ゆっくり眠れ」 奏多の優しい声がして。 奏多の穏やかな眼差しを感じて。 陽太のまぶたが少しずつ下りてくる。 しばらくして陽太の意識は柔らかな光の中にまぁるく収まった。 「今回はしっかりと話せたからもう身体は安心ですよ」 「心は?どう見ても大学生の会話じゃない」 「そうですね。やはり美和さんといた頃に戻ってますね」 「ああ、虐待されていた頃にな」 点滴に入れられた薬によって穏やかな眠りの中にいる陽太には頭の上でされる会話は耳に入ってなかった。 悲痛な表情で自分を見つめる奏多にも気づくことはなかった。

ともだちにシェアしよう!