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奏多の愛し子

陽太の身体は若いだけあって、順調に回復している。 だが、精神的には暗闇の中を彷徨っているような先行きの見えない状態で。 伸也も非常に難しい状態と、顔をしかめる。 眠ったと思っても、うなされては目を覚ますので、奏多は隣の組事務所と病室のみを行き来して、夜は泊まり込んだ。陽太は幼い子のようにひたすらに奏多を求めた。 「かなたん…かなたん、抱っこして」 と。 今でこそ、夜は玄二に任せて隣の組事務所に詰めて、寝泊りしている。 まだ、阿須賀組の残党が暴れていて小競り合いが起こっていて気が抜けない。 今日もまた、時間を作って組み事務所から陽太のいる隣のビルまでやってきた。足音で分かるのか、病室のドアを開けるや否や、陽太の満面の笑みが眼に入った。 玄二が苦笑いをしながら頭を下げているので、どうも陽太は、今か今かと奏多を待ち構えていたようだ。 「かなたん、いつ退院できるか伸也先生に聞いてくれた?」 肩をしっかりと固定した陽太は起き上がっていた。その陽太の側には玄二がひかえている。 「まだ、無理だな。もう少し良くなってからだ」 「えー!新しいお家になったんでしょ?玄二君も一緒に住むって!早く新しいお家に帰りたいよ〜」 陽太の口が尖る。 側に歩みより頭を撫でると 「むふ」 と、にやけて可愛い声を上げた。 玄二曰く、入院してから奏多が優しくなって頭を何度も撫でてくれるから、嬉しくてしかたないらしい。 今の陽太は完全に12才に戻っている。そう、忌まわしいあの頃に。 美和に再会してからあの頃を思い出してフラッシュバックが起こり、少しずつ心を病んでいたのだろう。そしてあの頃よりも怖い体験をした。陽太の心は持ち堪えることが出来なかった。 陽太にはまだ伝えてないが、来週には伸也の紹介で総合病院の精神科に転院することになっている。 嫌がるだろうが、しっかりと診てもらい、これからの事を考えていきたい。 「かなたん…」 真剣な表情をしていたらしく、陽太の眉が下がっている 「ん?どうした陽太」 「美和ちゃんのところに行く?」 「行かないぞ」 「ホント?」 「ああ、ホントだ。美和はもういない。もう絶対ここには来ない」 「どこかへ行ったの?」 「外国の偉い人の家に行ったんだ」 「外国…」 「ああ、もう帰って来ないらしいぞ」 二度と日本の土は踏めない。だから大丈夫なんだ陽太。 陽太は何度も何度も奏多に確認する。その度に奏多は同じ言葉を繰り返す。 「大丈夫だ、陽太。俺はずっと傍にいる。心配しなくていい」 「いなくならない?」 「ならない」 「美和ちゃんのところに行かない?」 「行かないぞ、陽太」 「かなたん、抱っこ」 「はい、はい」 ベッドに腰掛け陽太を胸に抱きしめれば、頬を寄せてくる。 「陽太、お前は幾つなんだ?」 呆れ口調で問いかければ 「12才だけど、いいの!」 と、返事が返ってくる。 「そうか…、12才なら仕方ないか」 「うん!」 玄二が悲しげに眼を伏せた。陽太は玄二のことを覚えていなかった。12才の陽太にしてみれば当然のことで、美和がいなくなってから玄二はやってきたのだから。 はじめましてと、ペコリとベッドの上で頭を下げていた。 自分が18才なのも、大学生なのも、奏多が…奏多が恋人なのも覚えていない。 親鳥に庇護を求める雛鳥のように12才に戻った陽太は奏多を求めてくる。 陽太が正真正銘12才だった当時奏多に抱っこと求めた事はなかった。滅多に一緒に寝ることも無かった。美和が側にいたからだろう。 陽太は遠慮をしていたのか? 本当は寂しかったのか? 幼児帰りしているのか? このまま陽太は12才のままなのか? 奏多にはわからない。 転院して、治療して、全て思い出しても苦しむだけじゃないのか? 心が壊れるほど辛いことを思い出す必要があるのか? 「かなたん、ずっと一緒?どこにも行かない?」 あの頃と変わらない瞳をしている。 「ああ、ずっと一緒だ」 安心したように陽太は瞳を瞑る。 抱きしめる陽太は温かい。 陽太。 奏多の腕の中にいるだけでいい。 12才のままでもいい。 いっそ、このまま退院させて部屋から一歩も出さずに囲っていようか。 奏多だけを見つめていればいい。 陽太は奏多の愛し子なのだから。 「頭、陽太さん眠りましたよ」 「ああ」 奏多を見つめる玄二の表情が曇る。 「ベッドに寝かせましょう」 「ああ」 返事はしたものの、動く気はない。陽太があまりに穏やかな寝顔をするのでずっと見ていたいのだ。 ほんの小さな溜息を落とす玄二。 「頭、佐伯から言付かっています」 「何だ?」 「陽太さんを、精神科の医者に必ず連れて行けとのことです」 「わかっとるわ!」 陽太がビクッと身体を震わせる。 「大丈夫だ。陽太」 奏多の手は陽太の背中をゆっくりと撫でる。 暫くして、抱き抱えていた陽太をそっとベッドへ寝かし、頬を撫でた。 「籠の鳥にしないようにとのことです」 玄二の声が冷たい。 「頭は陽太さんに以前のように元気になって欲しくないんですか?」 「ああん?」 奏多がドスの効いた声を出す。 今日の玄二はいつものように怯まない。 「俺は陽太さんに、大学生活を楽しんでほしいです」 「玄二、俺をみくびんな」 奏多は陽太の頬を撫で、病室を後にした。 奏多の部屋の窓からは真っ青な青空。美和が現れてから、三ヶ月。いつのまにか、夏真っ盛りになっていた。 あの休耕田の周りは、ひぐらしがうるさいぐらい鳴いているだろう。 ひぐらしの鳴き声が消えたら、秋桜の咲く季節がやってくる。兄貴を見送った季節。 「ずっと一緒?どこにも行かない?」 泣濡らした瞳で俺に問いかけた6才の陽太。 陽太、俺はもうお前を離すことなんて出来ないんだ。

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