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奏多の熟慮断行④

カランコロン 重厚な扉を押せばcowbellの心地よい音がする。 昭和レトロな雰囲気の室内。柔らかな光の下にカウンター席が10席。壁一面に造り付けられた棚には酒瓶がズラリと並んでいる。 その前に立つマスターの視線が奏多を捉えた。 「いらっしゃいませ」 出会った頃は30代でまだ、バーテンダーをしていた。先代のマスターから店を譲り受けても、寡黙さは変わりなく黙々と旨い酒を作り続けている。 客はおらず、カウンター端の定位置に腰を落ち着けた。 「いつもの」 「はい、承知しました」 掌に巻いたネクタイをとりはずせば、血は止まっていたが、傷口がポッカリと開いていた。 マスターが貼りましょうか?と、大きめのハンソウコウを持ってきた。 「ありがとうよ」 コースターに置かれたショットグラスに口をつければ芳醇な香。美しい琥珀色がささくれだった奏多の心を和ませる。この酒は陽太の父親に初めてこのBARに連れてきてもらった際に出された酒だった。最初の印象が強かったのか、いろんな酒を呑んだが、結局は一人で呑む時はこれを呑んでいる。 椅子に背中を預ければ、マスターが声をかけてきた。 「お疲れのようですね」 「ああ、疲れたな」 「ごゆっくりどうぞ」 マスターはまたグラス磨きに戻り、奏多は酒を口にする。 「美味いな」 陽太がBARに似合う男になったら連れてこよう。当分先か、いや一生ないかも…。 自分でも情けなく思うぐらい、陽太に関しては迷い悩む。 他のことなら、すっぱりと竹を切ったように決めれるのに、陽太に関わるとまるでダメだ。 何度別れを決意してもその通りにできない。 優柔不断の四文字熟語が脳内を駆け巡る。 やれやれと自分に溜息が出る。 綾と杏果親子の問題はさておき、現在人龍会にも不動産がらみの悶着が起こっていた。人龍会の縄張りである繁華街の外れにある廃ビル二棟。持主が人龍会系列の金融会社で、借金をして焦げ付き差押えた。銀行にも抵当権が残っているし、利用価値も低くそのまま放置していたのだが…。近年、その近くにショッピングモールが出来て、マンションや、建売住宅が建ち並びだした。俄然利用価値が高くなった。そこに雑魚どもがハイエナの如く、たかりだしたのだ。 川を隔てた向こうは隣市になり、微妙な土地でもあった。 銀行とも話をして、債権を1本化にしてその後の土地を人龍会系列の不動産屋が管理することにした。今日、杏果を応接室で待たせたのはその契約があったからだった。小競り合いをしていた雑魚どもは一掃できたのだが、当分の間は注意が必要だろう。陽太はまだ、一回しか外出はしていない。それも奏多が付き添っていた。 二週間後の墓参りまで、可哀想だが外出は禁止にする。 墓参り。 陽太と一緒に行くのは久しぶりだ。高校生になってからは同行していな お互い別々にいっている。 最も12才までの記憶しかない陽太は去年も一緒に行ったと思っているが。 毎年墓前に座り込み両親にいろいろと報告をしている。 今年は何を言うつもりなのか。当時と同じサッカーが、上手くなりますようにか? 玄二が来てから、少しずつ明るさを取り戻していった陽太。あの頃の陽太は眩しくて仕方なかった。自分の邪な感情を持て余した時期でもある。ずいぶん昔のように感じるがまだ、たったの六年前だ。あれからいろいろなことがあった。一度は手離す覚悟もした。 それが思いが通じて…。 なのに陽太と恋人関係でいれたのはたったの三か月だった。 また何も起こっていないあの頃に戻った。 真っ新な陽太が目の前にいる。 奏多だけを見つめる陽太がいる。 もう一度やり直す機会を与えられたのか? それは家族として? 恋人として? つらつらと考えながら、琥珀の液体を口に含む。 しっとりとしたジャズの調べ。奏多の心に染み込んでくる。 一癖も二癖もある綾と杏果。 婚姻してもしなくても、どちらに転んでも陽太に危害を加える可能性が高い。 杏果との結婚はないな…。 いっそのこと… 親父には申し訳ないが、側に置いておくのは組にとっても害でしかない。 隣市のホストに入れこんでる杏果。 内縁の夫をもてあましている綾。 グラスの酒を舐めるように口にした。 「同じのを」 「はい」 新しく置かれたグラスの氷がカランと鳴った。 「また来るわ」 「お気をつけて」 一時間ほどしてBARの外に出てみれば、帰ったはずの新田が現れて頭を下げた。 「車はあちらで」 片腕は抜け目がなく、痒いところに手が届く奴だ。 「すまねぇな」 乗り込んだ車は静かに滑り出した。 「新田〜。決めたわ」 ニヤリとしてバックミラーをみれば新田と目があった。 「頭の思うままに」 「ああ、ありがとうよ」 車は陽太が待つマンションへ向かってひた走る。 日付けも変わりもうとっくに眠ったであろう陽太。 奏多の可愛い陽太。 眼を瞑れば、その穏やかな寝顔が浮かんだ。 マンションのドアを開ければ、玄二が小走りで迎えに出てきた。 「おかえりなさいまし」 「陽太は寝ているか?」 「いえ、それが…」 「どうした?」 「5分程前に部屋を覗いたら布団に蹲って泣いて…」 陽太の部屋に駆け込んだ。 陽太が布団を頭から被って泣いている。 「どうした?陽太」 奏多の呼ぶ声で布団からばっと顔を出した陽太。 涙をポロポロと溢しながら飛びついてきた。 「かなたん!」 陽太を抱きしめ背中を撫でた。ベッドから離れた場所にスマホが落ちている。いつも眠る前にベッドサイドテーブルで充電しているのに。 「泣かなくていい、もう大丈夫だ、俺が帰ってきた」 「かなたん、かなたん…」 「陽太、何があった?」 そう尋ねても、陽太は首を横にふるばかりで何も言わない。 縋り付く陽太を宥め、ベッドに寝かせた。 「今日は一緒に眠って…」 しゃくり上げながら陽太が懇願する。 「待ってろ、着替えてくるから」 陽太のスマホを拾い、自分の部屋に行った。 「いつも通りに10時に米田が帰り、11時頃にベッドに入られました」 眠ったのを玄二は確認している しかし、先程物音がして覗けば陽太が泣いていたらしい。物音はスマホを投げつけた音だろう。 「とりあえず、寝かすわ」 Tシャツとスウェットに着替え、泣きながら待っていた陽太の元に戻った。玄二に用意させた眠剤をむずかる陽太に飲ませて、抱きしめた。 奏多の腕を枕に陽太の頬は奏多の胸にくっついている。 腕はもちろん奏多の背中にまわっている。 5分もすれば薬が効いて陽太は眠りに落ちるだろう。 放り投げたスマホ。 電話か、メールか。陽太の心を傷つける何かがあった。 一体、誰が?何のために? 奏多は陽太の背中を撫でながら考えを巡らせた。

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