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陽太の現在過去未来①

深夜、陽太の部屋に入ってきた奏多は眠ったフリをする陽太の頭を撫でてくれる。何度も何度も撫でてくれる。 最近はいつもそう。 奏多は夕食を一緒に食べる為に急いで帰ってきてくれる。 なのに、陽太は夕食を食べたら風呂へ直行し、さっさと自室に戻ってベッドに入る。 奏多はきっと陽太が眠ったフリをしているのに、気がついている。 でも何も言わずに優しく頭を撫でくれる。 僕は…かなたんの恋人だったんだよね? 今も? そう、尋ねたいのにそれを口にしたら何もかもが終わってしまいそうで。 硬く口を閉ざし背中を向ける。 あの電話を取った日から徐々に陽太の記憶は現在に戻ってきた。 男か女か判別のつかない声が奏多と杏果の縁談を語った。組にとっても奏多にとってもどんなに有益なこと理解しているのかと。 男のお前が後継を残せるのかと言った。 杏果は組の姐が務まる美しい女性だと言った。 消えてなくなれ、死ね、とまで言われた。 最初は何を言われてるのかわからなかった。 泣きじゃくる陽太を抱きしめて眠ってくれた奏多。 あの時陽太の頭の中をいろんな映像が高速で流れていた。自分がその映像の中に存在していて、それを自分が遠くから眺めている。そんな感覚だった。 次の日、伸也から貰った薬を飲んでようやく陽太の心臓のバクバクが治まった。 それから日が経つごとに高速で流れていた映像が早送りになり、コマ送りになり、普通の速さの再生になった。 最初の場面は父親の葬式で斎場の駐車場にあったベンチに座っている奏多と陽太だった。駐車場の近くの休耕田に咲く秋桜が色鮮やかで。 それを空の上から眺めていた。 奏多と奏多の恋人と陽太と沖縄旅行や温泉にいったことも、その時楽しかった気持ちまで鮮やかに再生した。 なのに、奏多の恋人の貌はどうしても形付かなかった。 そこから急に中学生になり、玄二が来てくれた場面に飛ぶ。 足を怪我して。 奏多を好きになって。 東京へ行って。 奏多に初めて抱かれて…。 繰り返しその映像を脳内で再生することによって、まだおぼろげな部分はたくさんあるけれど、奏多が自分の恋人であったことだけは、鮮明に思い出した。 記憶を失った原因を思い出そうとすると、血まみれの自分とピンクのハイヒールの映像が出てきて頭が割れるように痛くなった。 肩の傷も疼いてくる。 とてつもなく恐ろしい出来事のようで、これだけは、シャットアウトしている。 そのかわり、奏多のことばかり脳内再生している。 かなたん、僕の恋人だった人。 好きで好きで仕方なかった人。 今は…。 今も好き。 でも奏多は陽太を息子のように扱う。 陽太が記憶障害になったから、これ幸いと杏果と結婚するつもりなの? 僕は邪魔なの? どうしたら…。 奏多にどう接したらいいのか、わからなくなった。 何もできないまま、朝が来て夜が来て、玄二や米田と中身のない会話をつづけている。 お父さんとお母さんの墓参りは延期になった。 奏多が仕事に出かけて、その代わりに晶子がやってくる。 だが、会いたくなくて自室に閉じこもる。 「陽太、帰るわね」 扉越の晶子の気落ちした声を、陽太は机に突っ伏したまま聞いている。 ほんの二週間前までは晶子が来てくれるのが嬉しくて仕方なかった。 だけど。 晶子の今までの言動から、奏多と杏果との結婚を望んでいることに気づいた。 晶子は陽太と奏多を引き離そうとしている。晶子は陽太の味方ではない。それが辛かった。 玄二と米田が親身になって、世話を焼いてくれる。 この二人にも晶子にも、もちろん奏多にも記憶が戻りつつあることを言っていない。 言えなかった、どうしても。 失われた記憶はこの半月である程度は思い出していた。 細かい部分を少しでも思い出すために、クローゼットの奥を漁り、青い表紙のアルバムを探し出した。 アルバムを開けば、陽太の幼少期からの写真が貼り付けてある。幼い頃の父親と奏多と三人で映った写真。 晶子と手を繋いだ写真や、本邸に泊まった時の写真。稲郷に片車された写真も。 小学生の頃は奏多と一緒に写っている写真はそれなりにあるが、中学生になってから極端に減り、高校生になってからは奏多と一緒の写真は一枚もない。 学校関係以外では玄二や、晶子、佐伯との写真ばかりだ。  陽太の体型は小柄で華奢で中学生から現在まであまり変わってはいない。写真に写る自分は、なよっとしていて、女に見える。 猪突猛進なところがあると周囲から言われるが、向こう見ずなところは確かにある。 東京へ行ったことだって、ゲイバーへ行ったことだって。 奏多に怒られてお仕置きされても仕方ないほど、考え方も幼稚で、あさはかだ。 奏多。 陽太の養父であり、恋人であった人。 小学生の間は父で兄であった。 奏多に恋人が出来てから、自分では理解できない感情が生まれた。少しずつ奏多の恋人が疎ましくなっていった。 奏多の恋人。 確か、奏多の恋人と一緒に写った写真もあったはずなのに、アルバムには一枚残らず無くなっている。 そうだ…………。 自分は虐待というものをされていたあの女(ひと)、美和に。 開いたアルバムにポトリと透明の滴が落ちた。 美和に感じていたドス黒い感情。 奏多を取らないで! 奏多に笑いかけないで! そう、陽太は心の底では美和が大嫌いだった。 なのにその感情を奥深く押し込めて気付かないフリをして。 ポトリポトリと滴が落ちる。 奏多と陽太が写った写真が水滴に覆われていく。 いつの間にか、いなくなった美和。 でも、それから徐々に奏多も遠い人になっていく。 ああ。 美和の貌が鮮明にまぶたに浮かぶ。 そうだった、美和が復讐しに戻ってきたんだ。

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