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陽太の現在過去未来②

陽太が小学生四年生の夏の初め、奏多から紹介された綺麗な女の人。 それが、美和だった。 早生まれの陽太とちょうど一回り違いの同じ干支。 背は奏多と頭ひとつ以上違って、今の陽太より低かった。 笑顔の眩しい、朗らかな人だった。 運動会、音楽会、参観日。晶子の代わりに来てくれた。とても優しくしてくれた時期もあったのだ。 今思えば、虐待が始まったきっかけは何だったのだろうか? 沖縄へ旅行へ行って、シーサ作り体験に参加した。 陽太と美和がそれぞれに作って、奏多は陽太を手伝ってくれた。 「可愛い娘さんですね」 隣に座った男の子のお母さんが奏多に声をかけてきた。 「いや、息子なんですよ」 確かに白いTシャツにデニムの短パンで男の子にも女の子にも見えないことは無かったが…。 奏多は笑い、口を尖らす陽太の頬をチョンチョンと指で突く。 「奥様もお若くて綺麗な方で」 そのお母さんはまた話しかけてきた。 「いや、あいつはただの連れです。こいつの母親はこいつに似て綺麗な人でした」 奏多は陽太を通して過去を思い出しているかのように、頭を撫でてくれた。 旅行という非日常にいるからか、奏多は普段より饒舌で、それからも神奈川からきたという、そのお母さんと話していたように思う。 あの時、美和の機嫌が急降下して、奏多が後から宥めていたのを朧げに思い出した。 沖縄から帰ってから、話しかけても無視をされたり、詰られたり、暴言を吐かれたり。そして頭をスリッパで叩かれた。何度かふらふらして倒れたことも。 あの日も、カレーを食べろと言われて椅子に座ったら、後ろからスリッパで頭を何度も叩かれて。頭が痛くて痛くて泣きながら眠った。 誰かの泣き声に目が覚めて、叩かれた頭が痛いのを我慢してそっと扉の隙間から覗いた。奏多が美和に怒っていた。美和は泣きながら奏多に縋って…。奏多の恐ろしい声を聞いて、頭から布団を被った。震えていたら扉が開いて、男の人が入ってきた。 「もう大丈夫だから安心して」 痛いのここだねと、優しく頭を冷やされて、肩をトントンされて、いつのまにか眠っていた。 頭がひんやりして、抱きしめられた身体が温かくて、瞳を開けて飛び込んできたのは、奏多の困ったような顔だった。 「美和はもう来ない」 その日から本当に美和は居なくなった。どこに行ったか気になったけれど、美和の持ち物と無くなって、玄二が来てくれて美和を思い出して怯える時間も徐々に少なくなった。 今回、六年ぶりに美和が現れて。あの頃のことがフラッシュバックした。 挙句に美和に拐われて…。 そして、また美和はいなくなった。 奏多は 「美和はもういない。もう絶対ここには来ない」 と言いきった。 前回、奏多は美和を許した。今回は許さなかった。 12才の陽太にわからなくても、今の陽太ならわかる。 美和は恐らく生きてはいない。仮に生きていたとしても、死んだほうがマシな状況にいるのだろう。 陽太の存在が美和を狂わせたのだろうか? 陽太に出会わなければ、普通に恋愛して、普通に結婚して、幸せな人生を送ったのではないだろうか?それが平凡であっても。 陽太が奏多を求めたことにより美和を破滅に追いやった。 美和ではなく陽太こそが、邪魔者ではないのか…。 そして、また今回も…。 奏多の縁談の相手である杏果。 どんな女性なんだろうか? 晶子の義理の娘。稲郷の娘。 晶子は夫の不倫相手の子供をどうして奏多と結婚させたいのだろう。 晶子は平気なのだろうか? 組の姐とはそんなことも受け入れないといけないのか? 奏多の傍にいるってことは姐になるってこと…。それなら、自分は組の姐にはなりたくないし、なれない。 後継も産めない。だからと言って愛人を作れとも言えない。 奏多を誰かと共有するなど出来るわけがない。それを考えるだけで、悲しくて辛くて涙が滲んでくる。 晶子もきっと苦しかったはず。陽太は晶子のように悲しみや苦しみを内に秘めて、素知らぬ振りで愛する人が他で生ませた子に接するなど出来ない。 あの電話の内容はあながち間違ってはいない。奏多にとって、陽太といるメリットは僅かにもない。 杏果といる方がよほど奏多の為になる。極道の世界ではあるけれど、妻をめとり、子をなして、家族となり…。 陽太は妻にはなれないし、子を生むこともできない。 奏多に家族をつくることはできない。 杏果なら奏多に家族を作ってやることができる。 杏果に会いたいと思う。 会わないと、その人となりを知ることはできない。 会って、奏多を託すことが出来る人なら…。 陽太は潔く身を引くことができる。 どうすれば会えるのだろうか? 陽太のスマホは奏多が持っていってしまい、通信手段は何もない。 ……、晶子。 晶子に頼むしかないのかな?

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