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陽太の現在過去未来③

今日もまた晶子がやって来て、陽太の部屋の扉をノックする。 「陽太おはよう」 扉に向かって挨拶をする、これがここ最近の晶子のルーチン。 扉を中から開けると晶子はびっくりした顔をした。 まさか、開くとは思ってなかったのだろう。 「晶子ママ、入って」 晶子の手を掴み扉の中に引き入れた。晶子をベッドに無理やり腰掛けさせて、陽太は窓際の椅子に。 リビングと同じ方角を向く、陽太の部屋から見える景色は壮大だ。 何を話すでもなく、陽太の視線は晶子ではなく遠くの景色。 最も、晶子はその景色を眺めるよりも陽太の表情を読むのに必死のようだ。 「晶子ママ」 視線はそのままに呼びかけた。 「陽太、何?どうしたい?」 待ってましたとばかりに、晶子の矢継ぎ早の言葉。 「晶子ママはかなたんと、杏果さんの結婚を望んでいるんだね?」 「陽太?」 「前は僕とかなたんが恋人同士になったこと、陽太の初志貫徹って、喜んでくれたよね?」 晶子は立ち上がり、抱きつくように陽太の腕を掴む。 「陽太…記憶戻ったの?」 「全部じゃないけどね、それより何で?」 どうしても、晶子を非難せずにはいられなかった。そして理由を知りたかった。 上目遣いで見た、晶子の驚きの表情。 今日はこんな表情ばかりだなと、自分がさせているにも関わらず思った。 「晶子ママは僕より、杏果さんの方がいいんだね?そんなに組が大切なんだ」 「陽太…」 「晶子ママ、お願いがあるんだ。僕を杏果さんに会わせて」 「えっ?」 晶子が今度は困惑の表情をした。 ここ数日、奏多は忙しそうにしている。陽太が自室に引き上げた後にまた、出かけたりしている。 朝からしとしと雨がふっていた。 窓の外は厚いクモに覆われて薄暗い。 その日の午後、マンションの地下駐車場に停まった黒塗りの高級車に晶子と乗り込んだ。 玄二は晶子と入れ替わりに既に出かけている。 奏多から呼び出され、陽太を心配しながらも慌てて出かけた。 最も、この用件は晶子が稲郷を経由して無理やり作ったものだ。 奏多は玄二を陽太の側から離すのを嫌がったが、代わりに晶子が側にいるということで渋々従った。 ちなみに米田も前日から組の仕事についている。 人龍会組長の姐である、晶子。流石としかいいようがなかった。 陽太が乗った車が向かったのは人龍会がよく使っている会員制レストランの特別室。 「陽太、本当に大丈夫?」 ここまで完璧に、陽太の思うように動いてくれた晶子。 だが、杏果と陽太を会わすことに躊躇いが無いわけじゃないようだ。 「うん。大丈夫だよ、行こう」 晶子、陽太と続いて晶子の側近の屈強な男二人が、日差しが降り注ぐ部屋に入った。 陽太の住むマンションとは違い、庭があり大きな窓の向こうには秋の花が咲いている。 部屋にはダイニングテーブルとソファー。 壁には家具が置かれていて、一見するとホテルの部屋のようだ。 奥の方にはドアが三箇所ある。 何にしろとてつもなく広い。 陽太が呆気にとられていると 「晶子姐さん」 女がサッとソファーから立ち上がり、頭を下げた。 「陽太くん、初めまして」 見たことある、この女。 年明けに奏多の後をつけた時にエスコートしていた女だ。北の情人じゃなかったのか…。 この女が杏果。 杏果は女であることを前面に打ち出した胸の開いた膝丈ワンピースで、スラリとした脚を惜しげもなく晒していた。 ある意味、潔い。 「こんにちは。今日はありがとうございます」 陽太はペコリと頭を下げた。 「貴方から会いたいなんて」 杏果はにこやかに微笑んだ。 極道の娘というより、どこかの会社のお嬢様みたいだ。 「座りましょうか」 杏果の声に、弾かれたように陽太は座った。 晶子は打ち合わせ通りに部屋の奥にある扉の向こうへ行ってくれた、側近二人も後に続く。 後ろ髪を引かれるのか、何度も陽太の顔を見る。 「晶子ママ、終わったら呼ぶから」 黒いジャケットに黒いズボン、紫のネクタイをした店員がお茶を用意してくれる。 その間、じっと正面に座る杏果を見ていた。 もっと厳つい感じの女を想像していた。 こんな女に奏多を譲るなんてできないと、思いたかったのかも知れない。 「そんなに見つめられると、恥ずかしいですね」 「あ…。すみません」 不躾なことをしてしまい、慌てて頭を下げた。 「大丈夫ですよ。それで、私に用があるんですよね?」 「はい…………。あの。杏果さんは奏多を好きなんですか?」 杏果が眼を瞠り、そして、口角を上げた。 「直球できましたね。勿論、好きですよ。一緒に組を盛り立てて行きたいと思っています。奏多さん、四十前だから、早く子供も欲しいですね」 そう語る彼女はほんとに綺麗な女だと思う。 稲郷は晶子がいるのに杏果の母親の美貌によろめき、二人の娘まで作った。その母親に似ているのだろう、杏果も母親と違わず綺麗だ。 でも、どんなに綺麗な女であろうと、稲郷のように浮気をして子供を作るなど、陽太には意味不明なだけ。 「そうですか…。」 「陽太くんは奏多さんに何をしてあげれるのかしら?」 フフフと笑い、杏果はカップに手を伸ばす。 陽太に出来ること。 それはひとつしか、ない。 でも、今はそれを言うつもりはない。 「ありがとうございました。僕、帰ります」 えっ、もう?と、呟き杏果の視線が晶子達がいる部屋とは反対の方を向く。 「杏果さん、どうかしましたか?」 「いえ、別に……。」 立ち上がり、晶子を呼んだ。 「終わったの?陽太」 「うん、終わった。ありがとう晶子ママ」 杏果に挨拶をして、歩き出したその時に扉のうちの一つから男が三人出てきた。 そこへ杏果が走り寄った。 サッと晶子の側近二人が晶子と陽太を庇い、前に出る。 晶子さえ、陽太を庇うように前に立った。 「あら、見覚えの無い顔ね。杏果誰かしら?」 晶子がのほほんとした声を出す。 さっきまでとは打って変わって、杏果が三人の背後でおどおどしている。 「飛んで火に入る夏の虫かな」 ケラケラと、三人の男が笑う。 「杏果、どう言うことかしら?」 相変わらず、晶子の声は穏やかだ。 「晶子姐さん…これは…」 杏果にも想定外のことだったのだろうか?しどろもどろになっている。 「このまま、帰ってもらっちゃあ、困るんだ」 「な、な、何いってるの?」 そう、叫んだのは杏果だった。 ブルブルと震え出し、壁へペタッと張り付き、しゃがみ込む。 側近の二人と知らない男三人の手には初めてみる鉄の塊。 一発触発。 コンコン、ノックの音と 「失礼します」 先程の店員の暢気な声と同時に扉が開き、シュッという音がした。 怒声と悲鳴と物の倒れる音、食器の割れる音。 沢山の音の洪水。 陽太自身の悲鳴も入っていたのだろうか? それから、気づいた時には車の後部座席で奏多にもたれ掛かっていた。 「陽太、気がついたか?」 「かなたん、僕…」

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