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旅立ち②

心が凍っていく。 永久に溶けることのない氷になっていく。 目を合わせたまま、動けない。 「陽太、何のようだ?」 その声にビクッとしたのは跪いていた女だった。 「ヒッ!」 女は転がるように横に退き、奏多はこれ見よがしに楔をしまい立ち上がった。 全てを一瞬に凍らせたいほどの怒りが沸いた。 ビーム!と、やれたらいいのに。 「その人は誰?」 「お前に言う必要あるか?」 奏多の流し目の先は連れ込んだ女。 「ある。まだ、別れ話すらしてないから、それって浮気だよね?」 そんは台詞をツラツラいう自分に内心呆れる。 自分は恋人に対してけんもほろろの態度を取っているのに。 「ほぉ、そうか。これは浮気か」 あざけるような言い方。 奏多と陽太が話している隙に、女は鞄を持ち陽太の背後を一目散に出口求めて駆け出した。 「おい、帰らなくていいんだぞ?」 笑うように女を引き止める奏多。 「帰れ!」 それに反して、振り絞るように陽太の口から出た言葉。 ドアの閉まる音がした。 やれやれと、言うように首を振り、キッチン近くのバーカウンターへ向かう奏多。 本格的なバーカウンターで壁にはギッシリと酒棚が設えてある。かなり大きめのワインセラーにはワインがビッシリと入っていた。 陽太の住むマンションでは、酒はキャビネットに並べてあるし、キッチンの冷蔵庫の隣に小ぶりなワインセラーが置いてある。 この北のマンションは奏多が寛ぐためのマンションなのだろう。 一体誰と寛ぐのか? 自分のことは棚に上げ、ムカついて仕方がない。 「かなたん、僕にも作って」 「お前が飲める酒はない」 「おんなじのでいいよ!」 「19になったばかりだろ?」 「うるさい!作って!」 陽太の19才の誕生日、奏多はいなかった。 米田や玄二、晶子が祝ってくれた。 玄二から手渡されたのは奏多からのプレゼント。 陽太には少し大振りの腕時計。敢えて調べてはないけれど相当高い物なのだろう。 二日後に帰ってきた奏多にお礼は言ったけれど……。 今日その時計をつけてきている。 奏多は気づくだろうか? カウンターに琥珀色の液体が入った小さなグラスが二つ用意された。 後にショットグラスと言うのを知った。 そのうちの一つを奏多は一気に飲んだ。 カウンターの椅子に座り残ったグラスを手に取った。 内心恐る恐るだが、それを奏多に知られたくなかった。 奏多は陽太のことなどそ知らぬふりで、同じものをまた作り口をつけた。 陽太も同じように一気に飲んだ。 「ゴホッ!ゴホッゴホッゴホッ‼︎」 焼けつくような喉の痛みに激しく咳き込んだ。 「馬鹿!一気に飲む奴があるか!」 そんな声が聞こえた気がしたが、それからのことを陽太は覚えていない。 気がついたら、Tシャツと下着を着けてベッドに寝かされていた。 ここは…。 あぁ、北のマンションの奏多の寝室か。 陽太の住むマンションの寝室と、窓の位置以外は変わりない。 隣に手を滑らせたら、ひんやりとした感触。 奏多は隣で眠らなかったのか…。 仕方ないとわかっているのに、悲しくて辛い。 のっそりと起き上がったところへ人が入ってきた。 「陽太さん。起きられましたか?」 「………。新田さん?」 「はい」 「かなた…、奏多は?」 「今日も澤本組の幹部会で、出かけられました」 ベッドのサイドチェストにはプレゼントの腕時計が、おいてあった。奏多がおいてくれたのかな? それを見ればもう昼前だった。 「こんな時間まで寝てしまい、すみません」 「いえ、お疲れだったのでしょう。玄二から報告を受けています。気分は悪くないですか?」 「……。はい、すみません」 玄二の報告した内容はだいたい想像がつく。きっと陽太が眠れていないのが伝わっているのだろう。 昨晩は酒の力を借りたのか、ぐっすりと眠れた。 爽快とまではいかないが、気分は悪くない。 「あの、服は…」 「浴室に洗って置いています。昨晩、吐かれて服を汚されましたので。今からシャワーを浴びて着替えられますか?」 「すみません、そうします」 勧められるままにそそくさと洗面室へ。 洗面室は部屋を出て廊下を横切ったところにあった。 シャワーを浴びてリビングのドアを開けば、ダイニングテーブルに新田が食事を用意してくれていた。 礼を言ったものの、食欲は全くない。 味噌汁を手にとり口をつけた。少しずつ口に含み、ゆっくりと食べた。 「陽太さん、差し出がましいのですが」 「はい?」 「昨晩は、私もそこにいたんですよ」 新田はキッチンの中にある椅子を指差した。 「は…はい?」 「気づきませんでしたか?」 「全然、全く」 「入口からは見えにくいですけど、カウンターに座られたときに見えませんでしたか?」 「これっぽっちも見えてません!」 「戻ってきてすぐに陽太さんが来られたので、他の部屋に逃げる事ができませんでした」 「へっ?」 ああ、そうか。 他の部屋に行くには廊下に出るしかなく、廊下を突き進む陽太と鉢合わせをしてしまう。 「組長は陽太さんが来ると知って、わざとあの女を持ち帰って来たんです」 「何で?」 「それが、あの方なんじゃないですか?陽太さんに対しては、いつもやり方がまずい」 「まずいって…」 「元々あの女は昨日の接待で連れて行かれたクラブで無理矢理押し付けられたんです。断ることもできた」 「意味がわからない」 「本当にわかりませんか?」 「だって…」 「まぁ組長の行動も矛盾しまくってますけど」 「……。僕も同じだから」 あの女を連れ帰ったのは僕がいなくてもへっちゃらだって思わせるためなの? 「新田さん、奏多と話してから、アメリカへ行きたいんです。お願いします、会わせてください!」 立ち上がって、頭を下げた。 「陽太さん、わかりました。頭を上げてください」 頭を上げれば、優しく微笑む新田の顔があった。本当にこの人も極道なのかと、疑うほど優しい表情だった。 奏多にしろ、玄二にしろ、みんな陽太には優しく接してくれる。 一旦自分のマンションへ帰ることになり、玄関を出れば、若衆が三人待機していて、一斉に頭を下げた。 今思えばおかしかったのだ。組長がいるマンションに見張り一人いないわけがない。良輔があれだけ挙動不審だったのも、組員が沢山隠れているのを知っていたからだ。 玄二だって、知っていたはず。だが、奏多が女を連れ込んでいることまでは把握していなかった。賢い玄二の事だから、全て察して慌てて陽太を止めた。 奏多も、陽太があんな場面に遭遇したら、尻尾を巻いて逃げ帰ると思っていたはず。 きっと、それで終わらすつもりだったんだ、二人の仲を。 陽太に負い目なくアメリカへ行かすために。 奏多って、阿呆だな。 でも、一番阿保で間抜けなのは陽太自身。 何でこんなに頑なで、独りよがりなことをしていたのか? アメリカで勉強するにしろ、もっと奏多と話し合っていれば、こんな風にならなかったのに。 アホボケカスって、言われても仕方ないよね、かなたん。

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