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くねくね道の途中②
あの秋の日、小さな手で奏多の指を掴んだ陽太。
あの日を幾度となく思い出すが、その背景は必ず秋桜畑だ。
奏多の中では、陽太の小さな指と秋桜は一つの光景として成り立っている。
陽太をひとりぼっちになんてさせない。
兄貴や姐さんの代わりに自分が育て上げてみせる。
揺るぎない決意の元、陽太を引き取った。
奏多には20才まで母親がいた。
しかし陽太はたった6才で両親を失った。
不憫で可哀想で。
自分が母親にしてもらったように慈しみ育てる。
掌中の珠。
陽太の存在を知る者からはそう言われていたのも知っている。
陽太のことになると右往左往して、支離滅裂な判断しか出来ず、後悔ばかりして。
その中でも、今回のアメリカ行きは奏多を深海どころか、突き抜けた地中まで落としこんだ。
陽太がいなくなる。
陽太が…。
気づいたら、陽太の頬を張り倒していた。
大切な陽太の身体を傷つけた。
その陽太は泣きもせずに奏多を睨みつけた。
泣いて、縋り付く陽太はいなかった…。
あぁ、陽太は奏多のいない人生を歩みはじめている。
震えるほどの恐怖を感じた。
自分の部屋に引きこもり、まんじりもせずに朝を迎えた。
腫れ上がった頬を見たくなくて、逃げるようにマンションを出た。
其の足で佐伯のマンションへ押しかけ、寝ぼけ眼の顔を殴った。それ以上は新田に止められた。
ソファーに身体を投げ出し座る奏多に佐伯は怒り心頭で喚く。
「俺がなんで、お前に殴られなきゃ、いけねーえんだよ!ふざけんな!」
弁護士らしくない物言いで。
テーブルを挟んだ向かえの1人用ソファーに座りパジャマのまま、頬を氷で冷やす佐伯。
昨晩のデジャブ?新田が玄二にみえる。
「お前がコソコソ手を貸すからやろが!」
「俺は陽太の後見人や!」
チッ!口の中も切れた!と、新田が寄越したティッシュで血を拭う佐伯。
20年以上の付き合いになるが殴ったのは初めてだ。大学に入って間もない頃ひょんな事で知り合った。学部も違い接点もなかったが、奏多の先輩が企画した新歓という名の合コンでBBQするのに、佐伯が人数合わせで同じ高校だった奴に連れてこられたのだ。
奏多はそれなりに楽しくやっていたが、佐伯は、自分で肉を焼いて黙々と食べていた。
「俺にも焼いたのくれ」
「ほら」
焼けた肉をポイと皿に入れてくれた。
「豪牛も、炭で焼いたら美味いな」
そう言ってニヤリと笑った。その顔が妙に艶っぽかったのを今でも覚えている。
最も奏多も佐伯も当時はゲイでもバイでもなく、異性愛者だったから、何事もなったが。
佐伯の腫れた頬を見て、玄二は怒るだろうか?と内心思ったが、口に出すとややこしくなりそうで、止めた。
「お前な、陽太の今後を真剣に考えてんの?囲むことしか考えてへんやろう?」
「それのどこが悪いねん!」
「はぁー。いつからそんなんになってもうてん…」
佐伯のワザとらしくつく溜息にまた、怒りが再燃する。
「陽太はな、お前と一生生きていく為に、勉強してくるって言うとんねん。いつも親鳥の後ろにくっついてた雛が飛び立とうとしとんやから、喜んで送り出さんかい!」
「それが出来たら苦労はせんわ!」
久しぶりの関西弁の応酬。学生時代はこうだった。
懐かしいやりとりに昂った感情が緩んでくる。
佐伯は奏多が極道になると言っても、反対はしなかった。諸手を挙げての賛成もなかったが。
別に他人の事などどうでもいい奴なんだろうと思っていたが、それからも付かず離れず付き合いがあり、陽太を引き取った後はなんだかんだと言っては、親密に関わってくる。
いつのまにか、玄二と深い仲になってるし。こいつ、男もいけたのかと、自分のことは棚に上げて驚愕した。
ふふふと笑えば、佐伯が手元にあったクッションを投げつけてきた。
「何、笑ってんねん!」
「いや、関西弁丸出しやなって…」
呆気に取られた顔をして、口を開けば。
「…………。ほんまでんな」
こんな時でもノリのいい佐伯に吹き出す。
奏多は頭をソファーの背もたれに乗せて眼を瞑る。
それを佐伯は黙って見ていた。
勝手知ったるわけでもない新田がお茶を入れてきた。
「少しぬるめにしています」
「あぁ、ありがとさん」
ちびちびと佐伯がお茶を啜る音がする。滲みるから、顔を顰めているだろう。
佐伯のお茶が半分に減った頃、奏多が顔をあげる。
「可愛い子には旅をさせろって事か?お前はできるのか?」
「もちろん。寂しくて仕方ないだろうけどはな」
また、茶をすすり出した佐伯は玄二を思い浮かべているのだろうか?
佐伯と玄二。弁護士と極道。
どうやって均衡を保っているのだろうか?
奏多と陽太以上に難しい関係なのは間違いないだろう。
新田が用意した珈琲を一口飲み、奏多は立ち上がった。
「玄二としばらく会えないぞ」
奏多の捨て台詞に佐伯は小さくため息を落とした。
「ざまぁみろ」
お前もちょっとは同じ目にあえ。
出発日が近づくにつれ、陽太の待つマンションに帰るのが億劫になってくる。
陽太の誕生日にも帰らなかった、追いすがりそうで。
既定路線だったのか、奏多のことを買い被りすぎなのか、上部組織である澤本組の若頭補佐に就任した。それを機に俄然忙しくなった。
だが、奏多には好都合で。
断れる接待を受けた後、無意識に足が北のマンションに向く。
陽太の出発まで一週間を切ってから、陽太に会えなくなった。
鎖をつけて部屋に閉じ込めて…。
自分の感情の暴発が怖かった。
その日は、澤本組の三次団体の川原組の接待を受けていた。接待後、クラブに入店したばかりの新人の女が用意されていて。
「よろしくお願いします」
勝気な眼差しの若い女だった。陽太を抱くようになってから、こういう接待は全て断っている。
断ろと口を開きかけたところで、陽太が玄二に付き添われ北のマンションへ向かうと新田が耳打ちをしてきた。
陽太が?
「川原組長、お気遣い、ありがとうございます」
新田の困惑をよそに女を連れて北のマンションへ向かっていた。
部屋に入ってドアの正面にあるソファーに座り、女に楔を咥えさせた。
幾分もしないうちに陽太がリビングのドアを開けるだろう。
玄関ドアの開くかすかな音。
「もっとしっかり、奥まで咥えろ」
リビングのドアが開く。
眼があった陽太が固まっている。
陽太。
陽太、俺を嫌いになったか?未練なくアメリカへ発てるか?
俺は……。
俺はこんな形でしかお前を離してやれない。
「何のようだ、陽太」
泣いて逃げ帰ると思っていた陽太が、その場に踏みとどまり、奏多に堂々と意見する。
陽太はどんどん成長している。
もう幼い陽太ではない。
酒に免疫は全くなかったが…。
新田に陽太を殺す気かと、こっ酷く叱られた。
「悪足掻きはもう止めとけ!」
と、言ってきたのは佐伯。
「これ以上陽太を傷つけるな」
とも。
わかっている。
どう足掻いたところで、陽太は行ってしまう。アメリカで立派に成長して…。組長の息子のように帰って来ないかもしれない。
奏多は過去の人間になってしまうだろう。
それを思うと、素直に送り出すなどできなかった。
素直になろうと決めた途端に澤本組の三次団体同士で揉め事が勃発。
奏多の腕並拝見とばかりに仲裁を求められ。
陽太の元に帰って来れたのは出発二日前だった。
陽太は関空から羽田経由で成田に。アメリカボストンへ。
関空まで見送りに来た奏多に、陽太は手を振り颯爽と前を向いて歩いて行く。抱き潰せばよかったかと、一瞬脳裏を過ぎりこの期に及んでまだ、未練たらたらの自分に可笑しくなる。
「陽太!」
振り返った陽太は。
頬をびしょ濡れにしながら親指をグッと立てた。
「行ってくるよ!」
陽太は奏多の切望する言葉を一切掛けてはこなかった。
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