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生きる糧②
「帰らないと駄目だよね…」
ピタっとベッドに椅子をくっつけて、奏多の寝巻きを掴む陽太。
ここが大学病院でよかったのか、悪かったのか、面会時間が厳守されていて。
「陽太さん」
玄二の呼びかけが聴こえてるであろう陽太は目も合わせない。
「お前は幾つだ!」
と、怒るべきだが陽太のトラウマになって然るべき過去を考えると、奏多達が強く言えるわけもなく。
悪者になってくれた看護師にやんわり注意をされ、これまた、心を鬼にした玄二に引き摺られ渋々帰る状態。
怪我人の奏多が頭を撫でて
「明日も来るの待ってるから。ベッドでゆっくり寝るんだぞ」
と、声をかける始末。
でも、そんな陽太が可愛くて仕方がない奏多。
ドアに向かう陽太の背中をニマニマしながら見送る。
そんな奏多を呆れた目で見ていた佐伯だが、陽太がドアの向こうに消えた途端に真剣な表情になる。
「陽太は向こうで、医者にはかかってないんだろう?」
「ああ、精神状態は問題なかったと聞いている」
「一度、念のために心療内科を受診させるか?」
「ああ、頼む」
「あぁ?えらい素直やな」
「不安感を取り除けるものなら、取り除いてやりたい」
先程とは打って変わりこちらも真面目な表情の奏多。
陽太の怯え方が尋常じゃなく、片時も奏多の傍を離れようとしない。
「秋山に紹介してもらうわ。でも、お前が元気で傍にいることが一番の薬かもよ」
「やっと、帰ってきたんだ。離すかよ」
「うわっ!すげぇ執着心、怖いわ」
聞き捨てならない台詞を残して佐伯も帰って行った。
先程まで賑やかだった病室も今は静寂を保っている。
陽太。
何のために生まれて何のために生きるのか?
陽太の幼い頃、そんな歌を耳にした。
確かパンの頭をもつヒーローのアニメの主題歌だったか。
20才で母親が亡くなり生活が、いや、人生が激変するまで、奏多は一般的な大学生だった。
経済を学ぶことは奏多にとって楽しくやりがいのあることで、起業を目指していた。
看護学生の恋人もいた。
背が高くて、指の長い綺麗な女だった。
思考も嗜好も似ていたし、身体も性格的にも相性が良かったので、きっと長く付き合い、そのまま結婚しただろう。
家族を作り、平々凡々な人生を送っただろう。
だが、そうはならなかった。
奏多が極道と付き合うことを彼女は良しとはしなかった。三歳上の兄が警察のキャリアになったばかりだったのだ。
それに…。自分達が亡くなった両親と同じ道をすすむのではないか。そんな疑念が頭をよぎったりもした。
何度も話し合い結局は別れを決めた。
恋人よりも極道を取った。
それほどに。
父を彷彿させる陽太の父、謙也に出会ったことで、会ったことのない父、その父が生きた世界というものに取り憑かれた。
その謙也の忘れ形見の陽太。
謙也と出会って間もなくして産まれた陽太。
謙也の懐に入っている陽太は可愛いだけの存在だった。
だが、自分の懐に入れた途端に奏多にとって、生きる為には絶対に必要な糧となった。
現在奏多はその陽太のために極道とは別の場所を確保しようとしている。
これを聞いたら昔の恋人は詰るだろうか?
私の時にはどうして?と。
過去のことを思い出すのは入院していて、頻繁に看護師と顔を合わせるからだろう。
総合病院の特別室に転院し、初日から陽太が我が物顔で居座っている。
「陽太、眠れてるのか?」
「ここで寝る」
「はいはい」
新田や若衆が荷物を片付けに動き回っている。
陽太も手伝おうとしたが、丁寧に断られていた。
それで少しおかんむりだ。
トントンとドアを叩く音と同時にスライドドアが動いた。
「おはようございます。ご挨拶に参りました」
到着時に案内をしてくれた看護師を先頭に白衣を着た男と、看護師二名。
担当医と挨拶した男の後ろにいた看護師を見て目を瞬いた。
「看護師長の松田です」
「…。ああ、よろしく頼みます」
言葉に詰まる。
松田里美。
思い出の中にいた人。
里美は苦笑いをしている。
入院患者の名前を確認して奏多とわかったのだろう。
ヤクザの組長の入院。
奏多の名前を確認して、さぞかし里美は驚いただろう。
「かなたん、知り合い?」
傍にいた陽太が訝しげな表情をする。
「ああ、大学の同窓生だ」
陽太が里美にむかってペコリと頭を下げる。
「息子さん?」
「ああ、そうだ」
陽太の口がへっ?と言うように開く。
里美が
「よろしくお願いします」
と頭を下げた。
一行が引き上げた後、壁にくっついていた面々を含め誰も口を開かない。
「まぁ、ここでは、そう言うことにしとけ」
陽太の顔が歪んだ。
「何で?あの人のせい?」
食ってかかる陽太。
「その方が後々都合がいい」
ピシャリと言うと、ますます陽太の表情が険しくなる。
「どんな関係だったの?」
まぁ、そうくるわな。
しみじみ思う、自分はどうして陽太には言葉のチョイスが下手なんだ?
上手く誤魔化せよなぁ。
「しんどいから寝るわ」
陽太が何か言っているが、聞いてないふりをした。
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