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生きる糧③
一時間ほど眠り、目覚めて部屋を見渡せば。
言葉通り見渡すほどに、この病院の特別室は広い。総合病院と言っても、地域に根ざしたというより、不正を犯した政治家の避難場所になったり、芸能人の整形手術をしたりと、金持ち相手のホテルのような病院だ。
奏多の主治医のようにそれなりに腕の立つ医者もいるようだが。
ブラインドの隙間から柔らかな光が入る窓際に置かれた応接セットのソファー。
その2人がけ用ソファにブランケットが掛かる身体を縮こませ眠る陽太。
機嫌が急降下したまま眠ってしまったのか、陽太の眉間に皺が寄っている。
ふと、辛い思いをしていた小学生の頃もよく眉間に皺が寄っていた事を思いだす。
あの女と付き合ったせいで陽太に取り返しのつかない傷を心身に深く刻んでしまった。
もしも。
里美がもしもまだ奏多の傍にいて、兄貴が死んだ後、陽太を一緒に育ててくれていたら、奏多と陽太は本当の親子のようになっていたかもしれない。
あんな辛い目に遭わなかったかもしれない。
陽太に父親然として接する自分を想像して、ありえないなと、頭を横に振る。
ぼんやり陽太を眺めていたら、ドアが静かに開いて、新田が入ってきた。
手には百貨店の紙袋。
「組長、起きられましたか?」
「ああ。今な」
「何かお飲みになられますか?」
「水をくれ」
冷蔵庫から出した冷たい水をグラスに注ごうとした新田に声を掛けて、ペットボトルのまま受け取り咽喉へ流しこんだ。
冷たい水が臓腑に染み渡る。
新田は落ちかけたブランケットを陽太の身体に戻し、枕にしているクッションを寝やすい位置に押し込んでいた。
新田は奏多にとって兄貴分であり、謙也が死んでからは同志だった。
寡黙で前に立つのを好まない性格で、いつのまにやら、奏多を支える立場になった。
いつも奏多の影になり動いている。
もちろん里美のことも知っている。
陽太が生まれる直前に里美と別れた。
陽太が生まれ姐さんが亡くなり、奏多は謙也を手伝ったが、新田は赤ん坊は苦手だと、陽太に触れようとははせず、遠巻きにみるだけだった。
奏多が組長になると同時に新田は若頭になった。その頃から陽太を気遣うようになった。
奏多にしてみれば、陽太を気にかける人数が増えるのは好ましいのだが、あの新田が?
という驚きが隠せない。
「新田、松田里美を調べてくれ」
「はい、そう仰ると思い、既に手配しています」
「あぁ、さすがだな」
奏多がニヤリと笑うと、新田は頭を下げた。
「偶然だと思うか?」
新田はしばし考えて。
「はい、偶然だとは思いますが、念のため」
「陽太には正直にいうわ」
「はい。気になされていますよ」
「昔のことだ。今更どうこうなるわけでも、ねえのにな」
「松田さんには息子さんで通すんで?」
「あぁ、どっちにしても籍を入れて養子にするつもりだしな」
「そうですね」
「しかし、まさか、ここで会うとはなぁ…」
苦笑いで返せば、新田も唇を少し歪めた。
「陽太さんに、危害がかからないようにします」
「ああ頼む」
変われば変わるもんだと、奏多はニヤリと笑った。
松田里美と別れて20年以上経つ。
甘酸っぱい感傷も無ければ、焼け木杭に火がつくことも無かった。
陽太が気にするほどもなく、過去の遺物のような物なのだ。
「かなたん?」
陽太が目を覚ました。
怒涛の質問攻めにあうだろうと思うと、気が重い。
「陽太、こっち来い」
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