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大切な人①

「陽太君?」 総合病院のエントランスで里美に声をかけられた。 クリップボードを抱え笑顔の里美は奏多と同じ齢なのに30代にしか見えない。 その瞳は陽太を柔らかく見る、慈しむように。 どうして? 「松田さん、こんにちは」 ペコリと、頭を下げた。 「今から、お父様のところに行かれるの?」 そう言われるたびに口の中が苦くなる。 父親じゃない!と、心の中でだけ、叫ぶ。 「はい。奏多に会いに来ました」 「そう、仲が良いのね」 わざと奏多と呼び捨てにしても、里美はやんわりと微笑むだけ。 「陽太くんはお父様が大好きなのね」 確かにカッコいいわよね。と、ウィンクまでする。 意味不明。 ふと、里美の上着のポケットから覗く仕事用の携帯が目に入った。 あれは…。 陽太がまだ小学生の頃、奏多にあげた可愛いキャラクターの絵のあるクッキーの空き缶。 奏多が持っていた紙の箱に入っていた小物をその缶に入れ直してあげた。 奏多が幼い頃から気に入った物を雑多に放り込んでいた箱。 その中の物を一つずつ、掴んでは 「これはなぁに?」 と、尋ねながら入れ直した。 小学校の修学旅行のお土産のキーホルダー。缶バッチ。記念硬貨。陽太があげたガチャのフィギュア。おっぱいの消しゴムもあった。 「あっ!これすごくきれい」 イルカが、澄んだブルーの丸い石を抱いたシルバーのストラップ。 透明の袋の中から出して目の前に掲げてみたら、キラリと光った。 「沖縄の水族館で、買ったやつ」 「きれいだね、かなたん」 「いるなら、やるぞ」 「まだ、携帯もってないもの」 そんなやりとりをしたような。 あのストラップは缶の中にあるはずだ。 里美の携帯のストラップはそれと同じものだった。 こちらの方は使用感がかなりあったが見間違えるわけがない。 奏多は里美と沖縄に行ったんだ……。 里美は未だにそれを大切にしているの? 奏多の学生時代の恋人里美。 奏多は恋人と共に歩いていくより、陽太の父である謙也と同じ極道になることを選んだ。 「別れてから、20年以上会っていなかった。今更、どうこうなるつもりはない。俺には可愛い陽太がいるだろう?」 と、奏多はベッドに腰掛ける陽太の腕をとり、抱きしめてくれた。 でも。 奏多は里美に陽太の事を息子と紹介した。 恋人では、なかった。 里美は10年ほど前に離婚をして今はシングル。里美のキャリアだった兄は病気で亡くなり、高齢の両親は施設に入り、もう何のしがらみも無くなっていた。 学生の頃、奏多が嫌いになり、別れたわけでは無い。奏多が極道になるのを必死に反対し、兄を思い泣く泣く別れた。たしかに恋人がヤクザになるのを両手を上げて賛成する者などいない。 それが今。 里美は自分の想いだけで突き進む事ができる。奏多をまだ好きならそれを全うするが出来るのだ。 そんな風に一度思うと里美の看護師としての態度でさえ、邪な目で見てしまう。 大人でしっかりとしていて、優しくて、綺麗で。 そして、女性で。 やっぱり。 奏多とお揃いの少し高価なストラップ。 里美はまだ、持っていた。 「それ……」 「えっ、何?」 「それです、イルカの…」 「ああ、これ。素敵でしょ?学生時代からもってるのよ。丈夫でね、ストラップの紐だけ何回も付け直してるの 」 何でもないように陽太に見せて、ポケットにしまった。 あぁ、この女性はまだ奏多を想っているんだな。 心臓がズキリと痛んだ。

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