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奏多の遠謀深慮①
春の陽射しを浴びながら、黒塗りのベンツ二台は大阪へ向かってひたすら走る。
車内の静寂を時折破る、衣摺れの音とフガフガ、スースーの擬音。
その音の発生源は奏多のジャケットを身体にかけられ、且つその膝枕で眠る陽太だ。今朝、自分の脚で車には乗り込んだものの、抱き潰された身体はまだ睡眠を欲していたようで座席に沈み込み瞳を閉じた。
「陽太」
後から乗り込んだ奏多がトントンと膝をたたくと、陽太はびっくりして
「いいの?」
奏多が頷けばヘニョリと嬉しそうに笑い頭を預けた。
腹の方に顔を向け左手は奏多のシャツの裾を掴む。
随分前、幼かった頃こうして奏多の膝枕で眠っていた陽太。
器用に身体を丸めて眠る陽太の頭を撫でる自分の手。
陽太の成長と共に触れ合う機会が減り、ここ数年は顔を合わせる機会も減っていた、主に奏多側の事情で。
それを取り返すように触れてしまう。
玄二と徹、前の座席の二人は沈黙を保っているが、内心、奏多の変貌ぶりに口をあんぐりと開けていることだろう。
後ろの護衛の車の者は陽太を見てクエスチョンマークを顔に貼り付けていた。
「若頭はお稚児さん趣味だった!」
と、話しているか。
早朝、ホテルの部屋へ着替えを持ちやって来た玄二は悲壮感丸出しで。
「陽太さんは…」
クイッと寝室を顎で示し、
「手伝ってやってくれ」
と声を掛ければ
「失礼します」
と、慌てて寝室へ駆け込んだ。
奏多よりよっぽど親身に世話をしていた玄二。心配で心配で仕方なかったのだろう。
身支度を整え出てきた陽太は恥ずかしそうに奏多を見る。
「帰るぞ」
「…うん」
その様子を安堵の表情で見守る玄二。
お前は母親か?と、突っ込みそうになった。
車は順調に西へ進む。
「陽太を送ってから事務所へ行く」
「はい」
二度と帰らぬはずのマンションへ帰ったからか、陽太は一言も喋らない。
「元どおりなんだ」
自分の部屋を覗きボソッと呟いた。
東京からトンボ帰りした陽太の荷物も帰って来ていたし、新幹線に取り残されたキャリーケースも、クローゼットの隅に鎮座している。
「陽太。もう少し休んでおけよ。俺は事務所に顔を出してくるから」
「帰ってくる?」
追い縋るような瞳。
「ああ、いい子で待ってろ」
陽太の髪の毛をくしゃっとすれば、はにかんだ笑顔を見せる。
18才にしてこの表情…………。
狼の群れに仔羊を放り込もうとした自分を殴りたい。
「玄二、後を頼む」
「はい、いってらっしゃいまし」
元々あった組事務所の隣に建てた五階建ビル。一、二階はフロント企業である不動産屋と美容サロン、テナントの医院やカフェが入居している。
奏多はこのビルの三階で経営コンサルティング会社を経営している。
実際奏多は国内MBAの資格を持っていて、正規に依頼される仕事の方が多い。
社長の奏多を筆頭に社員も20名程いて、全員、極道の関係者ではあるが極道ではない。
そこへ行く前に組事務所に顔を出す。
組事務所といっても一見は組事務所に見えない。表玄関の出入口はセキュリティに守られている。
構成員もTheヤクザという格好の者も少ない。もっとも目つきが悪いので、堅気には見えないが。
「お帰りなさいやし」
若い構成員が一斉に頭を下げる。
「ああ、新田はいるか?」
「はい。ただ今綾さんと電話中です」
「綾さんと?」
「はい」
舎弟頭の田所が扉を押さえている箱に乗って二階の執務室へ。
「何の用だ?」
「頭の帰りを待っていらっしゃいました」
「ふぅん、どうせ、ロクなことじゃないんだろ」
「昨日も掛かってきました」
執務室の扉を抜ければ、ちょうど新田が電話を切ったところだった。
「おかえりなさいませ」
「綾さんは何だって?」
「いつ、若頭が帰ってくるのかと、再三問合せがありました。杏果さんとの食事をキャンセルしましたから」
「ああ、そうだったな」
杏果と綾の母娘と土曜日の夜食事に行くはずだった、渋々だが。
奏多は金曜の夕方、飛行機で東京入りした。そして今日は火曜日。四泊五日の東京旅行。極道になって四泊五日の休みを取ったことは流石にない。もっとも、ラップトップを持ち込み仕事をしたし、琥太郎の組と玄二に陽太の護衛を頼み、精力的に友好関係にある組の幹部と接触した。遊興にふけってばかりではない。
組長には東京行きの了解を得ていた。
組長が、身を盾にして己れを守った兄貴の息子の名前を出して、頷かない訳がない。
二つ返事だった。
「綾?おぅ任しておけ」
組長の言葉を当てにし過ぎたか?
この綾は綺麗だが浅はかな女だ。金や権力に執着心がある。本家の姐がどっしり構えた聡い女なので、事なきを得ているが。今回の杏果との結婚も組長より寧ろ綾が、乗り気で勧めてくる、しつこい程に。
奏多は陽太と死ぬまで一緒にいると覚悟を決めた。
覚悟を決めてから、深く先のことまで考えている。この世界で陽太を守るにはどうすれば良いのか?
結局は一つのことにいきつく。
全てを封じ込める力を持つこと。
陽太を惑わす事柄を一つずつ確実に潰していく。
まずはこの綾からだろう。
「組長に会いにいく」
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