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奏多の罪 ①
市内にある組事務所から車で30分程の距離にある豪邸が建ち並ぶ住宅街。
その一角の石塀に囲まれた日本屋敷に奏多はいた。
人龍会組長、稲郷重治の本邸である。
奏多は稲郷とサシで呑んでいる。
陽太との大雑把な経緯の報告、承諾をもらいに人龍会組長の稲郷に会いに来たのだ。
「よりによって陽太か…」
稲郷にとって陽太は切り捨てることの出来ない相手だ。自分の盾になり亡くなった腹心の忘れ形見なのだから。
「近いうちに養子にします」
もっと早くにするべきでした。と、話す奏多に向かって溜息を落とす稲郷。
「杏果と形だけ所帯を持つってのは、…無いな」
目を眇めた奏多に言葉尻を変更して。
「自己完結ですか」
思わずニヤリと笑う奏多に、稲郷はまた盛大な溜息を落とした。
「すんません、失礼します」
廊下から声がして、正座をした若頭補佐の新田が襖をスッと開ける。
「頭」
「なんだ?」
小声で話す新田。
「家へ帰らせろ」
「はい」
新田から報告を聞く間、難しい顔をしていたのだろう。
「どうした、奏多?」
「いえ」
「陽太に何かあったのか?」
稲郷が、組長の表情に戻る。
「何故、陽太と?」
「お前にそんな顔をさせるのは陽太しかいないだろ」
どんな顔をしていたのか…。
奏多は頬を摩る。
「まぁ、お前も人だったってことか」
「なかなか、失礼ですね親父」
徳利を持ち稲郷に酌をする。
「帰らなくていいのか?」
「ええ大丈夫ですよ、あいつ、俺の女になる覚悟はあるらしいですから」
「そうか、それは頼もしい姐になるな」
「そうだといいですがね」
「次期組長は、お前しかいない。杏果の相手は別に探すさ」
「恐れいります」
「今日は呑むぞ、最後まで付き合えよ」
その声を合図に襖が空き、稲郷の正妻の晶子が入ってきた。
「姐さん、ご無沙汰しております」
「そうよ。全然、こっちには顔を出さないんだから」
「すみません」
「陽太は元気なの?」
「はい、おかげ様で」
「こいつ、陽太と所帯持つんだと」
「まぁ、陽太と」
晶子がびっくりし、そして笑った。
「陽太、初志貫徹ね」
「姐さん?」
「陽太、あんたの事好きだったからね」
陽太の小学低学年の頃は陽太の父親が亡くなった抗争で奏多はなかなか家に帰れなかった。ひとりぼっちになる陽太の面倒をみてくれたのはこの晶子だった。
「その節はお世話になりました」
夜中にグズグズ泣いて晶子に添寝をしてもらっていた陽太。
いろいろな取り留めもない話をして、母親のように接してもらって。
このまま、ずっと晶子に預けていれば、陽太にあんな思いをさせる事はなかったのに。
たら、ればと、しても仕方のない後悔。
先程、新田の口からでた聞きたく無い名前。
遠い記憶の向こうに追いやっていた、痛恨の思いと共に。
浜岸美和。
抗争も終結して、日常に戻りつつある頃。
季節をようやく感じるようになって、ほっと一息つきたかったのかも知れない。陽太も以前程手がかからなくなった。
組事務所の近くのカフェで働く綺麗な店員。
何度も顔を合わせて。
少しずつ、話すようになって。
笑顔が眩しかった。
だから、奏多から誘いをかけた。
「俺と付き合わないか?」
陽太が小学四年になった初夏、奏多は綺麗な店員、美和と恋人同士になった。
子供好きの優しい女だった。
陽太も懐いた。
ただ、奏多は陽太が高校生になるまで誰とも結婚するつもりはなかった。
美和はまだ21才。奏多の八つ下。結婚を焦る齢でもない。奏多と恋人の美和と愛しい陽太。
仲良くやっていけると信じていた。
いつからおかしくなったのだろうか。
もしかしたら、美和は薄々勘付いていたのかもしれない。奏多自身でさえ、気づいていなかった陽太への想いを。
陽太が小六になって間もない春の日。
奏多はクラブ周りで遅くなり、明け方陽太の待つ自宅へ帰った。
陽太は自室で、美和は奏多の部屋で眠っていた。
いつものように陽太の部屋に入り、陽太の頭を撫でると、「痛い」と呻き手で頭をかばった。
「陽太、どうした?」
声をかけても陽太は眠ったまま。
起きてから聞こうと頬を撫でようとして、頬に涙の跡を見つける。
「陽太?」
起きてから確かめよう。
陽太の頬の涙を拭って。
寝ている美和の隣に滑り込み、抱きしめて眠った。
三時間後、眠い目をこすりながら陽太が朝食を食べてるリビングへ顔をだして。
「静かだな」
陽太は黙々とトーストを齧っていて、美和は背中を向け洗い物をしている。
「陽太、また、頭打ったのか?」
「えっ?」
「昨日、いや今日か、触ったら痛いと言ったから」
「…うん。ちょっとぶつけたんだ…」
「お前、何回目だ?一体どこにぶつけるんだ、そんなに何回も」
「学校で、つ、机に…」
「机?お前、机にぶつけてるのか?」
「け、け消しゴム拾おうとして」
「消しゴム?もっと気をつけろ!頭ばかりぶつけたら、アホになるぞ」
「もう!大丈夫だよ、もう行くね!」
「ああ?もう行くのか?」
「うん。サッカーするの!」
バタバタと駆け出しランドセルを乱暴に背負いドアを飛び出した。
「いってきます!」
「車に気をつけて行くんだぞ!」
「……」
返事もせずに玄関を出ていった。
「何だ、あいつは?」
「サッカー好きみたいだから」
振り向いた美和は無表情だった。
「おいおい。お前までどうした?」
「ううん。私も寂しかったの」
抱きついてくる美和。
頤を持ち唇を奪った。
「奏多、抱いて」
それから、据え膳食わぬは男の恥と、美和を抱いて。
快楽を得る事に没頭していた奏多は何にも考えてなかった。
しばらくして、若頭に癌が見つかり余命が宣告された。
当時、若頭補佐は奏多と中馬。
奏多は前の抗争での働きを評価され若頭補佐に抜擢されていた。奏多自身はまだ若輩者で若頭になろうとはこれっぽっちも考えていなかった。
しかし、中馬はそれを信じる訳なく。
組が真っ二つに分かれた。
気の休まる暇などなかった。
功を焦ったのか中馬はご法度の薬に手を出した。
それも、中国マフィアと手を組もうとして嵌められた。薬は手に入らず金だけを奪われた。
組の資金、奏多や新田が投資で得た真っ当な金を。
結局、組長の怒りを買い中馬は絶縁。
若頭の他界をもって奏多は若頭代行に就任する。
季節は冬になっていた。
正月が明けて。
正月の奏多は組長と上部団体の澤本組に出向いていた。陽太は本家の晶子に預かってもらっていた。美和が四国の実家へ里帰りしたためだ。
明日、奏多は泊まりで組長夫妻と名古屋まで向かう。結婚式への参加だ。
陽太はまだ冬休みで、
「明日は美和に頼むな」
「明日、美和ちゃんが来るの?」
俯く陽太。
「どうしたんだ?」
「どうもしない。かなたん、早く帰ってきてね」
今にも泣きそうな瞳をして。
「陽太?」
何に怯えている?
抱きついてくる陽太の背中を抱きしめ撫でた。
その夜は甘える陽太と一緒に寝て。
しがみつく陽太を抱きしめた。
久しぶりに一緒に寝るからこんなにしがみつくのか?確かに最近は一緒に寝てなかった。
いつから?
そう、美和と付き合いだしてから。
全くと言っていいほど陽太は一緒に寝てとせがまなくなった。
何だろ?何かが引っかかる。
あまり話さなくなった陽太と美和。
怯える陽太。
無表情の美和。
頭ばかりぶつける陽太。
陽太をそっと引き離し上掛けをかけてリビングへ。
スマホを手に取り電話をかければワンコールで。
「はい。新田です」
「新田、どこかに防犯カメラ転がってないか?」
翌日、名古屋から車をとばして連絡もせずに深夜に帰宅した。
美和はびっくりしながらも喜んで迎える。
「おかえりなさい、あら?」
「舎弟の佐倉だ」
「お邪魔します」
奏多はソファへ座り、佐倉はテレビボードへ向かう。
美和はリビングの入口で突っ立ったままだ。
陽太の両親の写真の入ったフォトフレームと陽太が一泊二日の沖縄旅行で作った小さなシーサーの陰に巧妙に隠されたカメラ。
佐倉はそれを取り出してテレビへ繋ぎ早送り再生する。
佐倉の指が停止を押し、そこから再生が開始された。
美和の怒鳴り声。
陽太の泣き声。
美和が履いていたゴム底スリッパで陽太の頭を叩く音がパンパンと響いている。
「佐倉、陽太の頭を冷やしてくれ」
「はい」
「美和、ここへ来て座れ」
ヨロヨロと美和が歩いてくる。
テレビはようやく叩くのをやめた美和が肩で息をしているのを写している。
陽太はふらつきながら部屋に入っていった……。
殺意が沸いた、精一杯愛そうとして愛せなかった恋人に。
親愛の情しか無いと思い込もうとした愛しい子に虐待を加える姿を見て。
そう。これは全部奏多の罪。
奏多が帰りの車に乗り込んだのは稲郷邸に入ってから五時間後。
稲郷が酔いつぶれて、お開きになった。
「陽太はどんな感じなんだ?」
車の中でネクタイを抜き去り、フゥーと息を吐く。
陽太に「息を嗅ぐだけで酔う」と、文句を言われそうなぐらい酒臭い。
「怯えているようです、話しますか?」
「玄二を呼び出せ」
「はい」
玄二の報告を聞く奏多の眉間の皺はどんどん深くなっていく。
「新田、美和を調べてくれ」
「はい。明日には調査書が届きます」
組が使っている調査会社に既に連絡を入れているのだろう。
「堅気だと、情けをかけ過ぎたか」
「あの時はあれが最良だったと」
「もう、堅気じゃないな」
「はい」
奏多は静かに目を瞑った。
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