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お題『染まる』(舟而×白帆)

「まぁ、素敵に染まりましたね」 「少し色ムラが出ましたので、あられに致しました」 「よろしいじゃござんせんか、前よりぐっとよくなりました。これでまた着ることができます」 濃紺のあられ模様に染め返した着物を喜んで、白帆は畳紙を受け取った。 「ちょっと行ってくるよ」  喜んでいる白帆に笑顔を向けて、舟而は三つ揃いにハットをかぶり、ステッキを持って、カフェーへ行った。 「やあ、ここだよ、ここ!」 左右に女を侍らせた森多に手招きされて、向かいの椅子に座ってコーヒーを頼んだ。 「今日は白帆ちゃんはいないのかい」 「ええ、コロッケを作ると言っていました」 「何かの役作りかい」 「どうなんでしょうか。日常の暮らし全てが女形の修行だとは言ってます」 舟而の答えに、耳隠しの女が賑やかな声を出す。 「今どき、私生活でも女のようにして暮らす女形なんて、珍しいわねぇ! 白帆は純潔な赤姫もいいけど、最近はしっとりした情が滲み出る女なんか、飛び切りよ。情を交わした女の凄みが出てて、現実の女よりうんとその気持ちが表現できてる」 断髪の女も、真っ赤な口紅を引いた口を開いた。 「男が演じるから、女が浮き彫りになるのよねぇ。こないだの森多先生が書いた女郎役、家に帰って寝るときまで、胸につっかえるよな気がしたわ」 舟而はコーヒーを飲みながら、黙って女たちの話を聞いた。 「白帆って普段着はうんと地味なのね。こないだ見掛けたときは、裾に絵羽模様を入れた深緑色を来てたんだけど、染めっ返しみたいに模様にまで色を掛けたのを着てたの」 「やぁだ、白帆が染めっ返しなんて、着るはずないじゃないの。一度着た着物なんて、二度は袖を通さずに、誰かに下げちまうもんでしょ」 「うん、だから最初からそうやって仕立てたんでしょうけど、せっかく絵羽模様を入れておきながら、色を掛けて潰すなんて、おごってるなと思ったのよ」  晩メシはどうだいという誘いに、コロッケが待っていますからと挨拶をして、松木町の家へ向かった。  家の周りには油の匂いが広がっていて、舟而は足を忍ばせ、台所の窓際へ寄ってみた。 「あら、餡子。おいたは駄目。先生にお上げするんだから。今日はコロッケですって申し上げておいたから、きっとじきに帰ってらっしゃるわ。どっさり作ったから、おソース掛けて食べましょ」 「にゃあん」  うめは、さいたし、さくらも、さきました、季節に合わせて歌詞を変えながら、澄んだ声で歌って、まな板の上に置いた春のキャベツを千切りにし始めた。  舟而は聞き耳を立てるのをやめて、玄関から家に入った。 「お前さんは、一度袖を通した着物は誰かにやったりしないのかい」 山盛りのコロッケを夢中になって食べ、あらかた腹が落ち着いてから、舟而は白帆に質問した。 「さよですねぇ。よっぽどの方はそうなさると聞きますけど。私はあまり弟子も持たず、小さくやってますし。目を剥くような豪奢な普段着を着るならともかく、私はそうではありませんから、もらう方だって嬉しくないだろうと思うんです。だから反物でやるか、たまにお郷へ帰るのに合わせて新品を仕立ててやったりしてますけど……」 「なるほど」 「いかがなすったんですか」 「いや、お前がわざわざ染め返したような着物を着ていて、一度仕立ててから色を掛けて潰すなんて、おごってると」 「まぁ! 本当にただの染めっ返しですのに。役者というと、皆さん夢を見てくださるんですね」 「こんな地味な生活に、僕が染めてしまったんじゃないかと」 舟而の懸念に、白帆は鈴が転がるように笑った。 「先生ったら! 私は好きでこうしております。もちろん声変わりに悩むこともなく、先生のところへお願いに上がるようなこともなく、すらりといってましたら、私も、一度着た着物は二度着るもんじゃないと教育されて、同じようにしていたかも知れませんけど。私程度の役者でしたら、私ではなく、お金に集まってくる人しか周りにいなかったでしょうね」 「そういうものかい」 「そういうものでございます。背伸びや無理はよくありません。私は、好きな方を思いながらコロッケを小判型にして、油で揚げる時間の嬉しさを知る役者。先生との暮らしに染まった当代一の女形……にこれから育つ予定の役者でございます」 「そうかい」 コロッケと一緒に白帆の言葉を咀嚼していると、白帆が舟而の顔を覗きこんだ。 「先生。今宵も染めてくださいまし、ね?」 「えっ? あ、ああ……」 耳を赤く染めた舟而を見て、白帆も頬を染めながら明るく笑った。

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