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お題『おぼえているよ』(舟而×白帆)
白黒のブラウン管テレビの中に、二代目銀杏白帆がいた。粋を通り抜けた地味な着物姿でソファに座り、司会者に促されて身の上を話す。
「さよですね。私は芝居小屋に生まれて、ずっと芝居をして参りました。ですから放課になったら暗くなるまで友達と路地で遊んで、お母様が拵えて下すったお夕飯を頂くというよな『普通の暮らし』を、あまり知らないんです」
視線の動かし方も、姿勢も所作もぴたりと決まって、たじろぐ様子は微塵もないが、セリフとして与えられていない自由な言葉は早口で、テレビの前に座る舟而は、片頬を上げる。
「少し緊張しているかな?」
画面の中の白帆は、司会者の目を真っ直ぐに見て、一つ一つの言葉に丁寧に頷いた。
「声変わりで降板したのが、今になって思えば初めての挫折でした。そのとき私は、渡辺舟而先生がお書きになった『夢灯籠』で、妹役を演じていたんです。それで先生が楽屋まで様子を見に来て下すって。……ふふっ」
白帆は揃えた指先で、口許を覆った。
「先生が楽屋へ来て、何かあったんですか?」
スーツ姿の男性司会者が朗らかな声で問いながら、白帆の顔を覗き込む。
「ええ。私ったら泣きながら、先生に手拭いを投げつけたんです!」
明るく笑う白帆に、司会者は大仰に目を見開いて見せた。
「脚本家の先生にそんなことをなさったんですか」
「ええ。失礼にも程がありますでしょ? わざわざ私を心配して来て下すってるのに、八つ当たりなんかしちゃって、いけない子です。ふふふ」
年齢を重ねてなお、笑い方には艶があった。
「先生は、お怒りにならなかったんですか」
「まったく! 『これは贔屓筋への配りものかな』『せっかくだから頂いていきましょう』とか何とか仰って、その手拭いを背広のポケットに入れて、持って帰ってしまわれました。……そのあと私は、親方から散々に叱られまして」
白帆は思い出し笑いをしながら、話を続ける。
「その夜は、まぁ、むかっ腹が立ちましてねぇ。夜、布団に入ってからも天井を睨みつけて、思いつく限りの悪口を、こう、布団の端を口にあてまして、散々にね。お若い先生なのに、いけ好かない。こっちは人生の一大事だって深刻になってるのに、あんなふうにお笑いになってと。一生分の悪口を言ったと思います」
「そんなに仰ったんですか」
身を乗り出してくる司会者に、白帆は大きく頷いた。
「ええ、たんと申しました。でも、今になって思うと、そんなにたくさんの悪口を言えるくらい、私は先生のことを見ていて、思慕の念を持っていたのだろうと、そう思うんです」
納得したように頷く司会者に、白帆は目を細めたまま話し続ける。
「そのときは、本当に気持ちがおっ詰まっちまって、踊りまで踊れなくなりまして。いよいよ駄目になって、いっそ身を投げようかと吾妻橋の上から隅田川を見たんです。でも、そんなこと簡単にはできませんでしょう? 川を見るうちに、切々と舟而先生に会いたいと思いました。三途の川を渡るより、隅田川を渡るほうがよさそうだと思って、吾妻橋を渡って、本所区にあった舟而先生のお宅へ参りました」
テレビ番組が終わってしばらくして、自宅の門の前に黒塗りの車が停まって、白帆が家の中へ入ってきた。
「お前さん、身投げを考えていたなんて、初めて聞いたぞ」
自分の隣に白帆の座布団を置き、白帆を座らせて肩を抱く。染めた黒髪がさらさらと舟而の唇に触れた。
「ふふっ。初めて申しました。私も忘れていたんですけれど、司会の方があんまりお上手なので、思い出しました。……先生も、おぼえてらっしゃいます?」
「もちろんだ。お前さんが初めて家に来た日、こうやって判子を押したこともおぼえているよ」
舟而は白帆の頬に接吻をした。
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