8 / 23

お題『特別な日』(稜而×遥)

「交通外傷、両足下腿骨折の疑いですって、稜而先生! どうする?」 読み上げられるバイタルを聞き、稜而は返事をした。 「頭は? 打ってない? 実際には調べてみないと分からないけど、いいですよ、とりましょう」  先輩に習った通り、ドレーン代わりの糸を一本留置して縫合した傷口を脱脂綿で拭き上げ、稜而は立ち上がった。 「あと三分で到着します。意識は清明だそうです」 「一応調べて、それから脳外にコンサルトするか考えよう」 腕時計を見て、まだ脳神経外科医が院内にいるであろう時間なことを確認し、少し気持ちが軽くなる。寝ているところを叩き起こすのは、人命優先とはいえ忍びない。  救急車を迎えに外に出て、夕暮れの空を見た。  沈む夕陽に下側から照らされた雲は、五色に光っていた。 「きれいな空だ」 「今夜は七夕だから、織姫さんがデートに備えておしゃれしてるんじゃない?」 「なるほど」 隣で一緒に救急車を待つベテランナースのロマンチックな言葉に、稜而は素直に頷いた。  静かに止まった救急車のハッチバックへ近寄り、人や物が転がり落ちてこないように声を掛けた。 「開けるよ」  コン、コンコンコン。中指の第二関節を四回車体にあてて、声を掛けた。  中から返事が聞こえて、稜而はハッチバックドアを跳ね上げた。 「うっ」  遥は両手で胸を押さえたが、その理由が稜而にはわかった。自分も同じ気持ちだった。  人差し指から外れて飛んできたモニターをキャッチしながら、稜而は、この先自分がどうなるのかを理解した。 『ああ、コイツだ。コイツと俺に、ほかの道はない』 驚くほど、自分の頭の中は落ち着いていた。 「降ろすよ、頭、気をつけて! ゆっくり、ゆっくり!」 声を掛け合いながらストレッチャーを引き出した。  泣きわめく遥をなだめながら診察し、検査に回すのは大変だったが、自分を見た途端に泣き出した姿は可愛いと思った。  処置室へ運び込み、救急隊員からの報告を聞きつつ、遥の頭や首の様子を確かめる。 「あっちの天井と壁の境目くらいのところを見てろよ」 方角を指さしながら、ペンライトをあてて目の動きを観察した。 「うん、とりあえず大丈夫そうかな。本当に頭は打ってないんだな?」 「逆上がりしたからだいじょぶだったーん! えーんっ!」 「改めて確認するけど、名前は?」 「マルタンさんちの、遥ラファエルちゃん! いたいよーっ!」 「誕生日は?」 「今日なのーっ! 七夕様の日なのーっ! うわーん! 十七歳の誕生日なのーっ!」 「よしよし、俺も頑張って処置するから、遥も頑張れ」 「あーんっ! がんばるーっ!」 「いい子だ。このままいい子にしていたら、あとでケーキを買ってやる」    午前二時を過ぎると、大半の人々は眠りにつき、怪我をする人は少なくなって、外科系の当直は一息つくことができる。  稜而は軽いストレッチをして救急外来を離れ、そのまま非常階段を三段飛ばしにして整形外科病棟へ上がった。  二人しかいないナースが静かに作業をしている横で、電子カルテと看護記録に目を通す。  特筆すべき事項は見当たらず、自分の受け持ち患者は軒並み落ち着いていて、稜而はそっとスタッフステーションを出ると、遥の個室のドアを開けた。  ペンライトで足元を照らしながらベッドサイドへ行き、薄暗がりのなかで遥の寝顔を見る。  遥は薄く口を開け、規則正しい寝息を立てていた。  光る頬に張り付くミルクティ色の髪をそっと指先で剥がしてやり、前髪を撫でて、もっと撫でたいと思う手を引っこめる。 「お大事に。またあとで」  当直室へ引き上げた。  ベッドへ倒れ込み、頬を枕に押し付けると、何もない空間に、今日一日の遥の姿が思い浮かぶ。 「楽しい一日だったな……」  カバーがかかった上掛けを掻き寄せ、自分の腕と足の間に挟んで抱いて、稜而はうっとり目を閉じた。  布団を抱きながら遥を思い浮かべて頬を擦りつけ、軽いキスをして、胸の中に溜まっている息を吐くと、緩やかな眠気に誘われ、稜而は身を任せる。 「来年の誕生日は、もっと丁寧に祝ってやるからな」

ともだちにシェアしよう!