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 海里の家庭の事情を知ったのは、海里の髪を切るために大学帰りに海里の住む学生寮に寄った日のことだった。  俺は自宅から通っていたので、親元を離れて自由に生活している奴らのことを羨ましいと思っていたが、その建物のあまりのボロさと汚さにそんな考えは一瞬で吹き飛んだ。  大きな地震でもあったら一瞬で崩れてしまいそうな――台風ですら耐えられるのか分からない――頼りない木造アパートの2階の角部屋が、海里の住まいだった。  なんでも、去年少し離れた場所に新しい寮が出来て、寮費は少し高くなるがほとんどの学生がそちらに移っていったらしい。  つまり、ここに住んでいるのはよほどの苦学生だけ。理容費をケチっていたことから海里も苦学生だろうと思ってはいたが……。 「一人部屋なのか?」 「今のところはな」  この寮は全て二人部屋らしいが、入居希望者が少ないため寮生のほとんどが一人部屋らしい。なので中は広々としていた。  けど、そう見えたのはあまりにも海里の私物が少なかったからかもしれない。 備え付けであろう最低限の家具に、本と資料が机の上に(うずたか)く積まれている。  勝手に部屋の中を散策してみたが、台所に調理器具の類は一つも無く、流しにプラスチック製のコップが一つ置いてあるだけだった。トイレと風呂は共同らしく、部屋の中には見当たらない。   「悪い。来客とか考えたこともなかったから出せるものは何もない」 「気にしなくていいよ、俺も手土産とか持ってきてないし……っていうか、部屋何もなさすぎじゃないか?メシは外で食ってるのか?自炊してる様子はないけど」  訊きたがりのオバサンみたいについ質問攻めにしてしまったが、海里は嫌な顔はせずに俺の質問に淡々と答えた。 「メシは学食で済ませてる」 「……え……じゃあ昼しか食ってないのか?」 「ああ。水だけは朝晩飲んでるけどな」  海里の私生活はそのときの俺の想像を超えていた。 これは今でも変わらないけれど、海里は食べること自体が『面倒臭い』のだ。腹が減るから仕方なく一日一食は食べている、みたいな。  俺は、こいつ燃費良すぎだろ……と思いつつ、他には何があるのだろうと散策を再開したが髪を切る準備ができたと海里がベランダから呼んできたので、散策は打ち切りとなった。 *  俺は海里の髪を手持ちの櫛で整えて――櫛の一つも持っていないなんて、無頓着にも程がある――適当に切り揃えながら訊いた。 「おまえがケチなのって仕送りだけで生活してるからか?とは言っても遊んでなさそうだし、メシ代も昼だけなら金も貯まるだろ」  入学して四ヶ月ほど経つが、俺の知り合いで一人暮らしをしている奴らは大体バイトをしている。 仕送りだけじゃ生活できないんだよ、と誰かが管を巻きながら話しているのを見て、じゃあ飲み会なんて来なければいいのに、と他人事のように思ったのはまだ記憶に新しい。 「仕送りなんてものはない。両親は俺が高1の時に事故で死んだから」 「……え?」  俺は驚いて、思わずジャキンと思い切り切ってしまった。 「大学は両親の保険金で通ってるんだ。少ない額じゃないけど、大学は四年もあるし無駄遣いはしたくないからな」 「両親ともいないって……他に家族は?って、別に言わなくてもいいんだけど」  訊きたがりの悪い癖で、反射的に立ち入ったことを聞いてしまったことをすぐに後悔した。  けど海里は……外の方を向いていたので表情は見えなかったが、俺の慌てた様子が可笑しいのか、くすっと笑った気がした。 「きょうだいはいない。大学に入るまでは祖母と二人で暮らしてた。けど、その祖母も卒業の半年前から入院していて、俺の大学合格の知らせを聞いたその日の夜に死んだ」 「………」 「俺の後見人は伯父夫婦になってる。でも海外に住んでるし、両親とも祖母とも縁が薄かったみたいだから俺は葬式の時しか会ったことがない。……たぶん、ほとんど他人だ」  海里は俺が訊いたこと以上のことを教えてくれたのに、俺は「そうか」としか返事ができなかった。  海里の事情を知って、その無頓着さや無愛想な振る舞いの背景が少し分かった気がしたけれど、だからといってわざわざ言葉にする必要はないし、分かった風な口をきくのも嫌だった。  海里も、あのとき俺が一般的な同情の言葉を口にしなかったことで――『家族がいなくてさびしいか?』とか『今まで大変だったな』とか――逆に俺に好感を持ったらしい。 あのときの俺、本当にGJ(グッジョブ)だ。  それから俺は黙って海里の髪を切り続けて、俺の手鏡で出来上がりを確認した海里に『前髪が少し短すぎる』と嫌な顔をされた。  うん。そこだけ失敗したんだ。

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