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02-01 一日目 / side 手塚佳純
和室の畳に敷かれた布団の上で転がっていると、どうして自分がこんなところにいるのかと不思議な気分になる。
外は真っ暗で、夜でも窓から光が差し込んでくる都会ではないことを嫌でも感じる。そのせいか天井の蛍光灯が妙にぼんやりと霞んでいるように見える。潮の香りが混じる海風が窓から時折吹き込み、エアコンをつけなくても部屋は涼しい。
麻生の運転でこのど古い民家に連れてこられた時、手塚は玄関前で固まった。
デビューしたての頃は地方に行くと五人まとめて旅館の一部屋で雑魚寝なんてこともあったけれど、一週間親しくもない人間とふたり、ひとつ屋根の下寝泊まりするのは気が進まない。
平屋の木造住宅はなんとも年期を感じる趣深さを醸し出している。中に入ってみれば内装はリフォームされ清潔に保たれていて、嫌な感じはなかった。
それでも生活感のある空間に戸惑う手塚を、麻生は勝手知ったる様子で部屋に案内した。
十畳のがらんと広い和室を見て、もうどうにでもなれという気持ちが強くなる。風呂に入ってさっぱりした後ひとりになると、自分でも驚くほど気分がほぐれた。短期貸し物件なので必要最低限の物しかなく、私的な匂いがしないことも手塚を安心させた。
うぅーん、とシーツの上で伸びをして、いつもダンスレッスンを受けている習慣で、軽くストレッチをこなす。
もう三日もほとんど体を動かしていない。明日は早起きして少し走って、筋トレして…と予定を立てる。それがこの先役に立つのかわからないけれど。
知らない土地の知らない四角の空間にぽつりと取り残されているような気がしているのに、東京の自宅マンションにいる時よりも手塚の心は落ち着いていた。
盛り上がらない飲み会の翌日、麻生が手塚を迎えにホテルに姿を見せたのは昼前だった。島に滞在するというからてっきり船で渡るものと思っていたら、橋梁がかかり高速道路で地続きになっていた。
幾つかの橋と島を車で抜けていく。必然性でもって作られた造形物は自然の中にきっぱりと美しいラインを描く。目の前に迫ってくるような大きな橋に対し、向こうに見える景色はのどかだ。夏本番を控えた海は落ち着いた濃いブルーで、霞む向こうに小さな島々浮べている。
広く開けた青空の明るさはスタジオのライトとはあまりに違っていて、いきなり異空間に連れてこられたように軽い目眩がした。
「高校までは俺、島に住んでたんだ。ここ、俺の地元」
車を走らせている時、ぼそりと唐突に麻生が言った。なんと答えていいかわからず「いいとこですね」と普通に返した。こういうタイミングや喋る言葉に手塚は違和感を覚える。どこか馴染まないというか、心にざりっとひっかっかる。
初めて麻生のことをちゃんと意識して空港で会った時、アンバランスな印象を受けたことを思い出す。
録音された台詞の声を聞いていたからかもしれない。イントネーションは関西弁に似ているが、どこか優しく聞こえる瀬戸内訛りは気持ちを和ませる。高過ぎず低過ぎず、するりと耳に入ってくる声は安心して聞いていられる。
目の前に現れた麻生が口を開くと『お、本物』と、テレビで見ていた芸能人に実際会った時のような気分になった。ちっとも優しくなく、和みもしない麻生の声は、明らかに強い不快感を滲ませていた。
ぼんやりと少し下がった目のせいか草食動物みたいなのに、そこに柔らかさはない。細身でシャープなフェイスラインにすっきりとした顔立ちがナイーブな雰囲気を醸し出している。
ーー こういう顔、塩顔って言うんだっけ?雰囲気イケメン?この人の方が俺より役にぴったりじゃん。
本業は役者だと聞いているから、きっと主役を演じたかったのだろうと直感的に思った。
どうしてこう世の中はうまい具合にいかないのか。誰かがそっと指で天秤を揺らすみたいに、傾きが少し変われば全てが変わる。
『キミ』という発音がやたら不快に響いた。仕事柄、ネガティブな感情を無視するのには慣れている。いちいち気にしていたら芸能活動などやっていられない。
にもかかわらず、隠しきれているとでも思っているのかあからさまに表面だけ繕ったあしらい方を流しきれず、つい煽ってしまった。
田舎でふたりで過ごすなどという仕事と呼ぶには曖昧な間柄だったからかもしれない。台詞の録音で優しい言葉をかけられている気分になっていたからギャップが大きかったのかもしれない。
先のことなど全く考えないで、面倒ごとをさらに大きくするようなことを言ってしまった。いつもの自分ならこんな対応はしない。後悔なんてしていなかったけれど、こうも麻生に対して苛立ちを露わにしてしまうはっきりとした理由がよくわからなかった。
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