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03-01 一日目→二日目 / side 麻生聖

 少し車を走らせ朝市で焼きたてパンを買って帰ると、家の中に微かな自分ではない人の気配がした。手塚はすでに起きているらしい。映画のロケで合宿のような共同生活には慣れているが、家に誰かがいる感覚は久しぶりで新鮮だ。  食欲を誘う匂いを撒き散らす紙袋をテーブルに置き、ペーパードリップでコーヒーを淹れる。窓を全開にして、かつて家族が揃っていたダイニングでゆっくりと朝食をとった。海からの風が薄いカーテンを揺らしている。  いつまでたっても部屋から出てこない手塚に声もかけようか少し迷って、自分の部屋に戻り台本のページを繰った。手塚のやる気を試すような気持ちもあった。  何度も読み返し、何パターンも声に出して録音を繰り返したので台本はよれよれだ。文字のない白い部分はびっしりと書き込みで埋まり、色ごとに内容を分けた付箋がたくさん挟み込まれている。それでも、秀野がどうして今この映画を撮ろうと思ったのかだけは、さっぱり理解できない。  高校まで過ごした島に麻生が戻ったのは、橋が渡されてから初めてのことだった。  ものすごい田舎に変わりはないが、観光地としてあちこち整備され多少賑やかになっている。綺麗な砂浜を敷いた人工ビーチがいくつかでき、レストランや商業施設も増えた。どの島も小綺麗にその玄関口を広げ、思ったほど閑散とはしていない。  高齢者の島暮らしは厳しいからと、両親は橋ができる以前に実家と蜜柑畑を売り払い、本土に一軒家を買って越してしまっていた。  あの家はもうないのかな…と思ったのがきっかけで、元実家がリノベーションされ、短期滞在向けに貸し出されているのを知った。連絡を取ると滞在期間が空室にぴたりと合って、思わず勢いで予約してしまった。家主は広島に住む夫婦で、定年までは貸し出しているのだと仲介会社が丁寧に教えてくれた。  今あの島を見たら、かつて馴染んだ場所を歩いたら、そこからの景色を見たらどんな気持ちになるんだろう。もう時は過ぎて、自分も土地も状況も、何もかも変わったのだと受け止められるんだろうか。  そう思いながら島へ向かう高速道路を進むうち、ハンドルを握る手が少し汗ばみ、徐々に緊張が高まっていること気づく。  制限速度が七十キロの対面通行なので、オートマ車だと景色に目を遣る余裕ができる。幼い頃から見慣れた海を見てやっと懐かしいという実感が素直に湧いてきた。助手席にいる手塚の存在もしばらく忘れ、その感情に浸るほど。  大きな連絡橋の存在は圧倒的だったが、幾つもの景色が記憶と重なる。あの頃感じた息苦しいほど強烈な閉塞感は驚くほど薄れている。歳を重ねて記憶力が低下しただけなのかもしれないけれど。

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