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 小さな島で生まれ育った麻生は、意識しなくても『あの向こうには行けない』という感覚を常に持っていた。  だから映画が好きだった。一瞬でどんなところにも行ける。どんな自分にもなれる。自分の知らない世界が無限に広がっていて、それを人が作り出すことができるんだと感動した。  映像が語る『本当』が好きだった。作られたものの中に、本質なのか、心なのか、重ねられた事実なのか、いつも心を揺さぶる本当のことがある。  好きな映画に携わって生きていけたら、めちゃくちゃ楽しいだろうな。単純な憧れと自由への強い羨望。自分を解き放って生きるという感覚を一瞬一秒残さず感じたい。そんなのはスクリーンの向こうの話で、無理だという気持ちが手足を縛り、つなぎ留める。自分は何も知らないし、特別にできることなんて何もない。  海の向こうに霞む、あちら側には行けない。  きっかけは高校一年の時に見た、ネットのサイトだった。好きな映画監督が近県を舞台にした次作のエキストラを一般公募しているという文面をなんども読み直した。 ーー ここなら一泊で行って帰れるかも…。グループ課題のために高校の友達のうちに泊まるからと言えば疑われないだろう。行けるかも知れない。でも、倍率高くて当選なんてしないんだろうな…  簡単な応募フォームを埋めるだけの作業だったから、よく考えもせず申し込むことができた。それでも最後に送信のボタンを必要以上に強くクリックした。  撮影詳細のメールを信じられないような気持ちで見た。試験が近いことなど構わず、連絡船の時間、電車の時刻表、格安ホテル、どこにこんな計画性と判断力が自分にあったのかという程のスピードで予定を固めた。  どうしても行かなくちゃ。それだけの思いに駆られていた。  ひとりで他県に行くなんて初めてのことで、緊張なんてものじゃない。逃走犯のごとく不自然だったと思う。体調が悪いと早退した学校から両親の元へ連絡が入るんじゃないかと気が気じゃなかった。離れるごとに、島は重苦しく存在感を増した。  でもバレたって構いはしない。反対に変に気が大きくなっていて、どうなったって生きてロケ地に辿り着けさえすればいいと思った。何度も時刻表と停車駅を確認して、喉の渇きを覚え、飲みもしない水のペットボトルに口をつける。  野球場のスタンドに座って、繰り広げられない試合に歓声を上げる。それだけだった。ひたすら長い待ち時間の間に、時折小さく見える指示を出す監督の姿や同じ動作を繰り返す役者に目を奪われた。  もし監督に会ったらなんて言おう。役者に会ったら感動をどう伝えよう。次のロケに誘われたら学校はどうしよう。全ては杞憂に終わった。 「皆さんの協力のおかげで撮影を終えることができました。ありがとうございました」  最後にエキストラに向かって監督が深々と頭を下げると、盛大な拍手に飲まれた。何がなんだかわからないうちに地元を離れ、撮影中も興奮のあまりあちこち見ているようで何も覚えてなくて、この瞬間自分はここにいるのだと実感した。  たかがエキストラ。名もない大勢のひとりに過ぎない。でもここにいる。ここに海を渡り自分でやってきた。

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