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05-01 二日目→三日目 / side 麻生聖
防波堤を走って、その端から思い切りよく飛び込むのは小学生の頃からの定番の遊びだった。
小さな頃は見えない海の底に怯えたし、潮の満ち引きをある程度理解すると浅くて怪我をするのではないかと慎重になった。その時期を超えてコツがつかめてしまえば、安全な水位と場所を覚え、同級生たちと声をあげて飛び込むのが普通になる。
宙に浮いた後、ざぶんと海水に引き込まれる感覚は、単純な割に何度やっても飽きず、我も我もと飛び込んだ。少し前までは、羨ましいと思いながら踏み切れないで、勢いよく防波堤を蹴る上級生たちを眺めているばかりだったのに。
高校生になって海で遊ぶ頻度は減ったけれど、やることは変わらなかった。泳いで、友達を水面に向かって突き飛ばして、飛び込んで。
藍色に侵食される海が、さぁっと染み込むような波の音を響かせる。砂浜に直に座って海をぼんやり眺めながら、手塚の美しい跳躍を思い出していた。
向かってくる波を足で蹴り上げ、水際を走っては飛び込む。逆光になっている夕焼け前の光を纏い、飛沫を上げてキラキラと撒き散らす。
昔見慣れた勢いある飛び込みよりも、水泳に自信のある泳ぎよりも、手塚の水際の戯れはまるでひとつの舞台を見ているかのようで、惹きつけるものがあった。あれがアイドルというものなのだろうか。
体の細かいパーツ全てに神経が行き届いている動き。今、というときのタイミング。制御されているようで、力ませなダイナミズム。
麻生には、他の人間と何が違っているのかわからない。いつもふてぶてしい手塚が思いきり走り回って泳ぐ姿に、いつの間にか嫉妬と羨望の視線を向けていた。上級生の飛び込みを眺めていた頃のように。
きっと手塚には『何か』があるのだろう。演技に期待できないなら、それを被写体に活かせばいい。
『アイドルごとき』などと言っておきながら、手塚のことを何も知らなかった。軽薄なイメージだけを先行させて、知ろうともしなかった。演技を少し見ただけで、なんの期待もしなかった。
本読みや演技を見るだけなら東京でもできたはずだ。むしろ自分よりも経験を積んだボイストレーナーや演技指導者がいくらでもいる。秀野が手塚を自分に任せたのは土地に馴染ませるためだと思っていたが、それ以上の成果を期待しているのかもしれない。
『麻生さんが、この役やればよかったのにね』と手塚から嫌味を言われて『ほんとにな!やれてればな!やりたくもないけどな!』と、心の中で吐き捨てた。
確かにこの役をうまくやるというイメージは麻生にとって難しくなかった。自分ならこう演じるのに、こんな風に役を理解するのに、自分がやる方が絶対にしっくりくる、そんなことばかり考えていた。
違う。この役を演じるのは手塚なのだと、今更ながら実感する。
手塚の魅力を映し出すような役にすればいい。そのために何か手助けができればいい。それが今回受けた仕事だし、短期間で今自分ができることなんて限られているんだから。
すっかりあたりが暗くなってしまうまで、麻生は徒然に考えていた。
撮影開始まで、あと五日。
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