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06-04
海沿いの直売センターで昼過ぎになって半額になった小アジの握りと刺身の盛り合わせ、鯛のあら汁を買った。会計で「うまそうですねー」と土地のイントネーションを真似して言ってみる。
「おにいちゃん、どっから来とん?九州?今の時期まだ夏休み前やから人もおらんし、海飛び込んだら気持ちええやろ?」
年配のおじさんに言われて、半乾きとは言えないほどぽたぽた服から雫を滴らせたまま普通に買い物に来たことに気づき、自分で笑ってしまった。まだまだ地元の人間に方言は通用しないかと同時に悔しくもなる。
「すっげ、気持ちいいですよ。ここに来る途中に飛び込んじゃった。これ、いただきます」
ビニールの袋を少しだけ持ち上げて言う。
「またおいでや。他にも美味しいもんいっぱいあるけん」
標準語のイントネーションに戻しても、変わらない調子で声をかけられ、子供のように手を振って店を出た。
「ほんとさー、見境なく海に飛び込むなよ。島の人間でもそんなことしないから」
居間の方がくつろげるのに、いつもの定位置で麻生が手塚を待っていた。さっとシャワーを浴びたのかボディソープのいい匂いがする。
「だって東京帰ったら海すぐ近くにないし。お台場で飛び込む気にはさすがになれないし。店のおっちゃん、びしょ濡れの俺見ても普通に『海気持ちええやろー』って言ってましたよ。ここの海で泳いだらごちゃごちゃになった頭スッキリするんですよ」
「お前でも頭ごちゃごちゃするんだ?」
「しますよ。当然でしょ。海飛び込んだら忘れる程度だけど。それより美味そう。早く食べましょう。刺身はちゃんと天然物だから」
手塚は喋りながらも次々買って来たものをテーブルに広げる。
「あ、領収書もらった?経費で落とすから」
ないと答えると、いらないと言っているのに麻生が紙幣を押し付けて来る。いつまでも昼ごはんが食べられそうにないから、仕方なく受け取り財布にしまった。
「やっぱ、天然物はうまいなー」と握りを頬張って麻生が屈託無く言うから、つられて口角を上げてしまう。
「台詞に波みたいな記号が書いてあるのってイントネーションでしょう?習ったんですか?」
鯛のあら汁を啜ってから、手塚が尋ねる。
「そう。この仕事決まってから何回か講習行って、専門書読んで…つまりは付け焼き刃だな。地元の言葉だからできるけど、近県とかだったらもっと勉強しないと難しい。大きい仕事になるとオーディションもあるみたいだし」
「方言指導者の?」
「そうだよ。言葉選びとか方言の度合いで空気感も全然変わるから重要だよ。同じ県でも場所とか年齢が違うと喋り方変わるし、人って相手によっても気分によってもイントネーション変わるだろ?」
麻生の手はすっかり止まって、話すのに集中している。この男は説明が始まるといつもこうだ。
「今回だったら、男性の人物は全員担当してるんだけど、人によって変えてるし、表現したいことによって違うだろうなってところは何パターンか変えたり…演技って…」
言葉が途切れたので、手塚は先を促すように麻生の顔を見る。早く食え、続きするぞ、と喋っていたのは自分なのに、そう言って刺身を口に放り込んだ。
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