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07-01 四日目→五日目 / side 麻生聖
手塚が部屋に戻っても、麻生は居間でしばらく台本に目を落としたままだった。今日読み終えた部分でチェックを入れた箇所をもう一度確認する。
今日の手塚は、最初の本読みの時とは格段に違っていた。ほとんどの台詞を覚えているようで、ちらっと確認する以外は台本も見ていなかった。台本に折り目はなく、それほど読んだ形跡がないので録音を聞いて覚えたのだろう。
感覚的に捉らえるやり方は手塚には合っているのかもしれない。明日読むシーンとロケ地を地図と合わせてチェックし終え、予定表を閉じる。
麻生がシャワーを浴びている間に、手塚は今日も出かけたようだ。髪をタオルで拭きながらダイニングに来ると、朝置いてあったメモ用紙と同じものがテーブルに置かれていた。
ーー 使い回しかよ…散歩って、こんな時間にどこほっつき歩いてるんだか…
冷蔵庫からビールの五百ミリリットル缶を取り出して、プルタブを引き、椅子にも座らずそのまま口をつける。冷たくて苦い液体が心地よく喉を濡らす。ごくごくと続けて数口あおる。
アルコールにあまり強くない麻生には珍しいことだった。家で飲む時でも必ずグラスに注ぐし、こんなペースで飲んだりしない。どこか気分が浮き立っていて、なんとなく豪快に飲みたい気分だった。
この仕事を受けて、初めて『楽しい』と麻生は思った。自分の演技を丁寧に手塚が辿っていくのが気持ちよかった。午前中の段階で、『透』をどう演じるか考え始めると体にワクワクした気持ちが漲っていくようだった。昼ごはんまで実際以上に美味しく感じるほどに。
ちょっとそこまでと家を出た手塚が、また服のまま泳いでいたことには呆れたけれど。
気分転換に、やはり自分も買い物に一緒に行こうと追いかけてみれば、海に浮かんでいる手塚を見つけて、ほんっとこいつはとんでもないことばかりするなと、憤るやら苦笑するやら。けれど、沈んだまま浮いてこなかった時には本気で心配した。服が濡れるのも構わず引き上げてみれば、手塚はいつもの涼しげな顔で見返してきて、今度は本気で腹が立った。
今日、やはり演技することが好きだと思えた。何もないところに『何か』を作って、人に伝えていくことが好きだ。
脚本を方言に書き換える時は手探り状態だったし、台詞を録音する時は複数パターンのアレンジを考え、自分の色を消すよう心がけた。けれど今日は、手塚が麻生が思う通りにやって欲しいと言うから、いつもよりするすると台詞が出てきた。
しかも、全くやる気がないと思っていた手塚が真剣に麻生の表現した『透』を受け止め、自分の中に馴染ませようとしていることにも好感を持った。演技というにはまだまだだけれど、音感があるのは方言の習得にプラスに働いているし、プロとしてボイストレーニングを受けているから声の通りもいい。
何より手塚との作業が楽しかったから、こんなにも気分がいいのだと、認めざるを得ない。
ーー に、しても、だ!夜にもなってまた出かけるとか。あいつらしいと言えばらしいけど…。
ぼんやり考え事をしながら、いつになくあっという間に二本も缶を空けてしまった。いつまでも手塚は帰ってこないので、麻生は歯を磨いて部屋に戻った。
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