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07-06

「明日明後日は動きつけて通しでやろう。大分やってるんだろ?」 「それなりに。ツアーのシーズンでもないし、こっちに集中しろって。でも演技って難しい。今さら基礎からやったって間に合わないんだから、アイドルやってる時の延長でやれって言われたんだけど、また違う気がするし。どんな人でも普通にいろんなシーンで顔を使い分けてるじゃない?『SF』では俺はそれくらいのことしかやってないんだよね」  帽子のてっぺんをくしゃりと手で潰して持って少しずらし、隙間から視線が向けられている。こういうさらっとなんでもない仕草が様になる。 「それでいいと思うよ。お前、最初ものすごい小憎たらしかったもん。おまけに頭悪そうで。あれが演技でできたらすごい」 「ひでーなー。あん時は麻生さんも相当機嫌悪くて感じ悪かった」  むぅと突き出した口が帽子の間に見え、確かにライブのMCは素に近いと思って笑った。 「ごめんな。俺、いろんなことに甘えてたんだ」  自分のことでいっぱいいっぱいで、他のことを何も見ようとしていなかった。『自分はちゃんと見ている』と思いながら。 「麻生さんが謝ると、大抵キモい」  横腹に拳をを入れてやったら、手塚は身をよじって、ふふっと息を漏らす。  軽口をたたきあっているうちに、日差しはどんどんその強度を緩め、周囲の色を変えていく。静けさは変わらないのに、ざざざっと波の音がさっきよりくっきりと響く気がする。  海に突き出た防波堤の端にいると周りは全部海で、たったふたり取り残されたような気がしてくる。かつて同じ海で、他の誰かといて思ったように。自分が何かを失っても毎日は続いていく。悲しみに暮れて、拗ねて、立ち止まっていれば、この景色は見なかっただろう。 「あ、天使の梯子」  麻生の声に、手塚が麦わら帽子を手に起き上がった。 「おー、綺麗」  雲の間から落ちる光が白くたなびいている。その下の水面には銀の道が現れる。それは揺らめきながら、この先にもきっといいことがあるのだと伝えてくる。その煌めきを逃さず掴めと言われている気がしてくる。 「俺、ここに来て良かったよ」  本当は手塚とこの島に来て良かったと言いたかった。でもそれは、照れ臭いし、何かが過ぎている気がした。 「魚はうまいし、海は綺麗だしね。でもそれ、クランクアップした後言って欲しいんですけど。まだ本読みしかしてないって、気づいてます?」 「知っとるわ!」  わしゃわしゃと傍の手塚の横髪を乱してやる。 「も、やめてください。アイドルなんで」  互いの腕を掴み合って、もう何がしたいのか分からないまま、それを阻止する。 「ほんと手ぬぐいが似合うアイドルだな。今日どっちにするか迷った花火柄のやつも明日買ってやるよ。俺からのお土産」 「気楽なもんですねー。俺、撮影始まるの結構緊張してるんですけど」 「お前が緊張?ナイナイ」  両手の指を組み合わせたところで、言い合いが途切れた。 「お前なら、大丈夫だよ。いつもあんな大勢の期待の前に出てって、応える度胸あるじゃん。それに……きっと秀野さんが、なんとか形にしてくれるし」  合わせたままの手塚の手のひらに、ざらっとした触感があり広げてみる。深くはないが、幾つもの赤い擦り傷が線状に残っていて痛々しい。 「これも、ごめんな。早く治りますように」  両手で包んで呪詛のように神妙に額をつけると、そんなんで治んねーよと手荒く振り払われた。  すっかり日は落ちて、本当に暗闇と波の音にふたり取り残されていた。

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