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08-03

「麻生さん、砂浜歩いて帰ろうよ」と誘うと、普段口うるさい麻生はあっさり承諾して海側に道を逸れた。風邪引くと困るから絶対飛び込むなとは釘を刺されたけれど。  満月に近い月が海の上に浮かんでいて浜辺は明るかった。ざざんと波が寄せてくる間際をふたりで並んで歩く。いつもはすぐに砂だらけになるビーチサンダルの足も、砂が湿っていてまとわりついてこないから歩きやすい。 「なんで機嫌悪いんだよ?俺が急に店に行ったから?」  麻生が突然口を開いたから驚いた。 ーー 機嫌が悪い?俺が?  そんな理由はどこにもない。「悪くなんてないですよ」と言いながら、胸にこみ上げるモヤついたものを振り払えない。 「飲み過ぎですよ。そんな飲んで大丈夫なんですか?酒弱いのに」  沈黙の間に、何度も波が足元の近くまで流れてきて、手塚はそちらに走り出したくなった。それを麻生がとどめた。 「お前、ほんとはあのこと覚えてるだろ」  その言葉にイライラして、確かに自分は機嫌が悪いのだとやっとわかった。 「俺が覚えてても忘れてても、麻生さんには関係ないじゃないですか。だってあんた、感情が絡まないことはすぐに忘れてどうでもいいんだから。島のこととか、秀野さんの話になったら敏感に反応してずっとぐだぐだ考えてるくせに、俺とのことは簡単に全然なかったことにできるんだから」 「だってあれ、酔っ払ってただろ?俺もお前も。さっさと忘れた方がいいじゃん。お前が酔っ払ってて仕掛けてきたんだから、俺のこと責められないよな。俺も酒入ってて応えたからお前のこと責められない。お互いにナシってするのが普通だろ。お前、俺にどう思って欲しいんだよ?」  どう思って欲しい?そんなのこちらが知りたい。どうして自分が麻生に絡んでいるのか、手塚にはよくわからなかった。  昨日はかなり酔っ払っていた。それでも、酒に強い手塚は記憶をなくすほど自分を失ったことはない。  こっそりライブ映像を見ている麻生を可愛いなと思った。目が覚めたら、無防備な寝顔がすぐそこにあって、無意識に抱き寄せた。唇を合わせれば馴染んで、もっと先が欲しくなった。抱き合ったら気持ち良かった。淡白そうに見える麻生が積極的に応えてくれて嬉しかった。  それだけだ。アルコールが入っていなければ、最初からありえない。 「麻生さん、悦士って呼ぶから、俺、萎えましたよ」 「嘘だ!」  麻生の顔は月明かりに照らされていて、すぐさま表情が変わったのがわかる。 「嘘じゃない、本当。でもまぁ、あのまま最後までヤっちゃってもまずかったけど。それで俺が正気に戻ったら、あんた寝てた」 「嘘だろ?」 「そこにこだわる時点で、嘘じゃないってわかってんでしょ?やだなー、この映画って公開仲直りセックス?気持ちいんだろうなー。周りからしたら、ほんっと迷惑だよね」  ぱしんと乾いた音が響いて、頬を張られたのだと遅れて気づいた。皮膚がじんじんと傷んだ。  クランクイン間近で怪我が風邪がと言っていただけに、躊躇なく麻生が自分の体に触れてきて跡を残したことが、むしろ子気味良よかった。 「途中まで相手はお前だってわかってた。秀野とはもう終わってる」 「それってなんか意味ある?」  手塚は冷たい言葉を投げつけて、人との関わりで生まれて初めて泣きたくなった。何がなんだかわからなくて苦しい。もう家には帰れないんだなとなんとなく思った。

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