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09-01 六日目 / side 麻生聖

 朝起きて携帯でメールをチェックすると、秀野から台本の変更部分が送られてきていた。パソコンを立ち上げて、方言にする部分を書き直し、台詞を録音して送り返す。今は関東でヒロイン、菜穂のパートを撮影中だが、実際に撮りはじめて後半に影響する部分も出てくるのだろう。  あの男は本当に映画を撮るんだな、と思った。  まだ子供臭さが抜けきらない二十歳のころ語った夢を、たった十年で叶えようとしている。  あの頃、秀野のことが本当に好きだった。それまで同性を恋愛対象として見たことは一度もなかったのに、疑問も葛藤も全く湧かなかった。好きだと言われて求められて抱かれて、夢を見ているかのように幸せだった。  実際恋人としてつきあったのは一年にも満たない。親友だった時はぴたりと心がくっつきあって、いつも一緒にいたのに、つきあい始めたら全部がすれ違っていった。男女でもよくある話で、何のドラマティックな理由もない。  ちょうどその年、秀野はテレビドラマでブレイクとも言える売れ方をした。秀野はどんどん『テレビの人』になっていった。  麻生は映画一本で譲らなかった。自分がいいと思った脚本、好きな監督の作品に参加できるなら、どんな小さな役でも、条件でも受けた。商業映画にもこだわらず、魅力を感じたインディペンデント映画にも積極的に出演し、業界人の間で密かに注目されていると話題になったほどの作品も中にはある。  こだわりのある映像で丁寧にエピソードを重ね、淡々とした心理描写に真実のようなものを紡ぎ出す、人間が描かれた映画。二人の映画の好みはとても近くて、いいと思う演技も目指す役者像も限りなく近かったのに、立ち位置は全く違ってしまった。  秀野は忙しさにかまけて連絡もしてこない。恋人だと思うから、言葉にも遠慮がなくなり、受け取り方も違ってくる。  まっすぐな麻生が好きだと言った秀野は、麻生に言った。 『譲るとこちょっと譲ればうまくいくこともあるんだよ。もっと柔軟になれよ。そんなんじゃ仕事こないぞ』 『いつまで小さい役ばっかりしてるつもりだよ?もう学生じゃないんだよ』  どんな場所でも輝いている秀野が好きだと言った麻生は、秀野に言った。 『どうしてあんなつまらないドラマに出るんだよ?』 『俺に会えない理由がくだらないバラエティに出ることか?』  一年つきあいが続いたと言っても、最後の方はたまに会っては言い争って、別れの言葉を放置していただけだ。  その日は洒落た隠れ家的イタリアンで秀野の誕生日を祝っていた。秀野の仕事のせいで一週間遅れだったが、シャンパンで乾杯して久しぶりにゆっくりと食事をした。滅多にない外でのデートにいつもより気分が浮き立っていた。たまには甘い展開も、なんて期待も虚しく、結局いつも通りの険悪な雰囲気になった。きっかけは例外なく同じ仕事の話だ。 『俺は役者として成功したい。名前が売れた分大きい役が来るし、仕事も選べるようになる。だからお前がくだらないって言うドラマにもバラエティにも何にでも出て、どんなつまんない役でも、どんな期待が大きい役でも、俺が演ったからよかったって言わせてやるよ。それから必ず実力で映画に戻る。必ず映画も撮る』 『テレビにまみれた役者には、本物の映画の仕事はこない』 『もう人のことは放っておいて、お前は自己満足の俳優ごっこ続けてろよ』  それが秀野との最後で、最低な終わり方だった。

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