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09-03

ーー 全く何してんだよ?もうすぐクラインクインだ。さっさと始めよーぜ。  今すぐ、たった今すぐ。 「麻生さん」  リアルに聞こえた手塚の声に、本気で胸をはねあげるほど驚いた。 「麻生さん、俺が溺れてるよー。助けてー」  声が聞こえるのは開けられた窓の外からだ。内容とは相反して、口調には全く緊迫感はなく、むしろ声音は平坦で低い。 「はっ?全然意味がわからん」  姿も見ていないのに、思わず声がこぼれる。網戸を引くと、すぐ下に手塚が座り込んでいた。 「俺、溺れてるんだって。助けてよ」  体育座りのような体勢で、こちらを見上げてくる。さっきの平坦な言い方ではなく、訴えるようなトーンが加わった。 「そこで溺れてろよ。まったく、お前は、普通に帰ってこれないの?」  意図の掴めないからかいに、眉間にしわを寄せてしまう。 「助けてね。……いくよ?」 ーー なに?どこに?何すればいいんだ? 「よーい……、ドン!」  田舎の長閑な空気をつんざく声。風の中に踊り出す体。座った体勢から、伸びやかに体を伸ばすのが見えた。  一瞬遅れて裸足のまま窓枠を超えた。庭の敷石、灼けたアスファルト、わずかに体を沈める海辺の砂。足裏にダイレクトに伝わる感触と熱を感じながら、綺麗な背中を追いかけた。  前にはもうすぐ間近に、濃いブルーが広がっている。どうやっても捕まえる。寄せてくる波に足を捉われながら、逃れてもう一方の足を出す。深くなってもすぐそこに届きそうな手塚を追いかけた。  片手で肩を掴んで引き寄せようとした。突然振り向いた手塚に正面から抱きしめられた。そのままふたり水面に倒れる。男の重さに抗えずそのまま沈んでいく。体を包み込まれたまま光射す水の中に沈むのは気持ちがよかった。波間から走ってきているからそんなに深さはないはずが、どんどん沈んでいるような気がする。  瞬間、唇が触れた。ぎゅっと乱暴に押し付けられた。急に息苦しくなって、手塚の腕を逃れ水面に出ようともがいた。足で底の砂を蹴り、男の体を必死に引き離す。 「っは!?何やってんだよ?!」 「麻生さん、足、問題ないんじゃない?追いつかれると思ってなかった」  手塚は麻生をあっさり解放して、手足をすらりと伸ばしながら、すいと水面に浮かぶ。Tシャツと羽織ったシャツがふわふわ海水に漂っている。 「お前に追いつけるわけないだろ。途中から手加減しただろ?てか、なんだこれは?何がしたいんだ!」 「この前、俺のこと助けてくれたなって思い出してたら、また助けてくれないかなと思って」  ざばっと起き上がり、濡れた顔から髪を一気に両手でかき上げて手塚が言った。

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