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09-04
「俺、麻生さんのこと好きかもしれない」
「はっ?」
「告白してるのに、間抜けな返事しないでくれます?」
前髪を全部上げてしまうと、手塚の顔はいつもより精悍に見える。一応告白というものをしているらしき男は、人にそんなことが言えるか!と言いたくなるほど、しれっとした無表情のまま切れ長の目で睨んでくる。
「昨日なんであんなにムカついてたのか考えてたんですよ。あ、俺、秀野さんに嫉妬してんだって気づいて…て、ことは麻生さんのこと好きなのかなって」
「はあっ?…いや……、えっ?」
手塚には様々な新鮮な感情を味あわせてもらったが、こんな手に余るものはまだ知らない。片手で髪を耳の後ろにかけながら、遠くを睨みつけている。これは普通ならば不貞腐れた表情だが、おそらく照れているのだろう。
「でも、こんな辺鄙な田舎でずっとふたりきりでいるからさ、なんて言うんだっけ?ストックホルム症候群?」
「人を勝手に犯罪者にするな!」
どんな気持ちであれ、犯罪被害者が犯人に抱く同情や好意と一緒にしないでほしい。
「違うのか。じゃーリアリティーショーみたいな。外国でシェアハウスに男女で住むの出たやつ会ったことあるけど、やらせはないって言ってました。でもスタッフさんからさりげなく好意的な話を聞かされると、そうかなーって気がしてくるみたいですよ。情報遮断して方向性決めてやると、人って流されるんですって」
「何が言いたいんだお前は…」
「…こうやって考えてるの苦しくて。助けてほしいな、って」
そこでやっと、ちらっと麻生を見た。かすかに色が滲む瞳で。切ない表情に、こんな顔もするんだなとまた麻生は思った。
「…えっ?アッチ?」
突然思い当たったことに、つい目線をさりげなく下に落としてしまう。
「ぶはっ!やばい、マジで吹いちゃった」
ひどい勘違いに気づいて、堪らない羞恥に背中から本当に倒れた。どぷんと海に受け止められる。そのまま後ろに泳いで、反転して顔を水に晒して冷やす。息が続かなくなったところで仕方なく起き上がった。
さっきまで冷めた顔をしていたのに、目の前の男は泣きながら笑っている。目の縁を人差し指の付け根で拭って笑い続けるから、恥ずかしさを通り越して腹立たしくなってきた。
「麻生さん、やっぱ面白しれー。なんですか?アッチって。お願いしたら慰めてくれるの?ほんとに涙出ちゃった。違うって、もう。なんか俺……、こんなに自分の気持ちがわかんないのって初めてなんです」
最後の方は意味不明にぐるりと歩きながら言うから、手塚の戸惑いが伝わる。でもそういうのは普通、本人じゃなくて友達とかに相談したりするんじゃないのかと思うが、こいつは普通じゃなかったと思い直す。
「だって、麻生さん、うるさいことばっかり言うし、性格めちゃくちゃ面倒くさいし、突然謝ってきたりとか気持ち悪いし、見た目…は悪くないけど全然俺の好みじゃないし」
「お前は俺を怒らせたいのか?」
「怒らせたいっていうか…、気持ちを俺に向かせたい。麻生さんが、秀野さんのこと見てると嫌になる」
「なんでそこで秀野が出てくるんだよ?終わってるって言ってるだろ」
ざばっと突然顔に海水を飛ばされる。手塚は片手で水面を滑らせただけだったが、勢いよく当たり、目を閉じた。
「ほらね。今日一番の否定だよ」
ーー 違う。お前の気持ちをどう考えていいのかわからないんだ。秀野のことは明確に否定できるから言ってるだけなのに。
そういうことをどうやって説明すればいいのかと考えてると、手塚は一人で砂浜に向かって歩いていた。
「待てよ、手塚」
さっきの告白はどうなったんだと服が水で張り付いた後ろ姿を追って歩く。
「さっさと今日の練習始めましょ」
ーー 出たよ!いつもの手塚が。
「なんか不安になってきた。秀野さんに恥ずかしいとこ絶対見せたくない」
「演技は勝ち負けとかでやるもんじゃないから」
「わかってますよ。この役、俺がちゃんとやりたいだけ」
ーー ほんとにわからん、この身変わりの早さ。
少し素顔が見えたと思えば、新しい表情を見せる。とてつもなく予想外な。ささやかに気持ちが交わる瞬間を見つけたと思えば、理解不能な宇宙人に戻る。わっかんないよ。ずぶ濡れのTシャツを絞りながら熱過ぎる砂の上を歩く。
ーー そういえば、あいつに勝手にキスされたんだった!
唇を濡れた指で押さえても、塩の味しかしなかった。
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