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09-07
秀野は沈黙の中で一方的に立ち上がった。
「じゃ、また明後日に。俺、市内にホテルとってるから。ロケ地は見に行くけどお前らの邪魔はしないから、予定通り最後までよろしく」
返事をした手塚に手を振った後、思い出したように秀野が言う。
「そーいや、今あの家に泊まってるんだな」
なんでもない調子に、勝手に咎められている気がしてしまう。
「短期貸しで出てたんで」
「懐かしいよな」
秀野の言葉に主語がなかった。もちろん麻生が懐かしく思っているだろうという意味だろうが、また読みきれない間怠い空気が流れる。
「じゃ、クランクインで。何かあったら連絡してください」
今度は麻生の方が一方的に空気を断ち切って、秀野から離れた。
家に戻って手塚がいるのは半々かなと思っていたら、部屋に明かりがついているのが見えた。
襖を軽く叩いて返事があった後部屋を覗いたら、手塚は布団に転がっていた。前には台本が広げられていて、そのまま起き上がりもせず麻生に投げやりな視線を向ける。
「秀野さん、なんて?これはお前のための映画だよとか、言われました?」
表情は固く、言葉に温度は感じられない。
「言わないよ。なんか思い違いしてるみたいだけど、秀野とはもうそんなんじゃないから。その多大な想像力と妙な勘を演技に活かすといい」
台本を閉じて手にしたまま、手塚は体を起こしてこちらに向かって座り直した。
「ホント、全然気づいてないのは麻生さんだから。これは麻生さんが主演やるために書かれてる。もともと秀野さんは単館上映でもいいから自分の撮りたい映画を撮りたいって思ってたんですよ。あんたとのこの島で一緒に過ごした時間を映画にしたかったんでしょ?でも人気俳優が撮る映画にのりたいってのが出てくるのは自然で、気がついたらストーリーもキャストもどんどん決められちゃって、自分は引けないとこまで来てた。よくある話だよ」
「すごい想像力だな。業界のしがらみは、ありそうな話だけど。あいつとは相手にダメージ与えることだけ考えてめちゃくちゃ言い争って別れたんだ。そんな綺麗なもんじゃない」
「この本読んで秀野さんの気持ちがわからないなら、あれだけ書き込みして、台本の何を読んでるんですか?これは、あんたのために書かれてる」
内臓ごとずるずる引き出される気分だ。手塚の言葉で、本当の自分に向き合わされる。目をそらしたい弱い自分を嫌ほど思い知らされる。
全く納得の行かない秀野の仕事のやり方に腹を立てていた。もちろんそれは本音で、一方で心の底では単純に役者としてどんどん引き離されていく焦りにも駆られていた。恋人として大切にされていないという苛立ちもあった。あれほど切ないほど好きだと言ったのに。秀野だから抱かれて嬉しかったのに。
不安と不満、どの気持ちが大きかったのかはわからない。感情を向ける方向が違うということはわかっていながら、秀野を責める自分を止められなかった。
それさえしっかり気づいていて、ぎりぎりまで自分を待ってくれた秀野の、我慢のコップが最後にあふれた。これでもかとマイナス感情をコップに注いだのは麻生だ。結果、ひどい罵り合いの決裂。
もちろん秀野もキャリアとなる目の前の仕事を最優先させていて、気持ちが繋がっていると信じた麻生を、今は仕方がないとおざなりにしていた。恋の終わりはどちらか一方のせいだとは決められない。ただ、麻生は根本的なところを見ないふりをして、仕事の方向性と気持ちのすれ違いだったと片付けた。忘れたふりをした。
映画からも役者からも、何もかもから目をそらして逃げた自分を、もう一度映画の世界に引きずり込んだのも秀野だった。
それでもまだ、気持ちは靄がかかり、先が見えない。心を縛られたままの主人公『透』が自分に重なる。
過去は過去で秀野に気持ちが残っているわけではない。でも何も見ないで、何も考えないで、感情に蓋をして、痛くないふりして、放置したのは弱い自分だ。
誰かに優しく大丈夫だと言われたい。もうどうしようもないことで、終わったことだと安心させて欲しい。でもそれじゃ何の意味もない。何も変わらない。
「なんで!なんで俺のこと好きかもって言っときながら秀野の肩持つんだよ!」
「俺は誰の肩も持たないよ。自分が思ってること言ってるだけ」
手塚にすがりたかった。でもそれは今一番してはいけないことだった。
ヒロインを励ましながらも、自分の強張りを解いていく『透』の背中を追うことで、かろうじて「おやすみ、明日な」と手塚に声をかけることができた。映画に広がる風景が、あの日秀野と分かち合った気持ちを写している事を認められないまま。
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