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10-02
手塚は菜穂の役で、出航間近の連絡船に後ろ髪引かれつつ向かっている。
『菜穂っ!』
呼ばれて振り向いて、飛び込んできた麻生にギョッとした。息を切らせ、絶対捕まえて離さないという程の真剣さで走りこんで来る。足の怪我など全く気にならず、バーでチンピラシャツにどやされた時と同じくらい目を見張った。
手塚はすっかり追われる立場の気分になった。
ーー おせーよ、俺を捕まえたいなら、さっさと捕まえろよ。
それなのに麻生は手前ですっと立ち止まる。
『俺は菜穂の側におりたい。菜穂のこと一番近くで見ときたい。それから、この先の未来を二人で見たい』
かき回された胸のうちを絞り出しているのに、静かに通った声は決意を感じさせた。切ないほどの気持ちが伝わり、とにかく触れたくなった。
ーー ぐだぐだ言ってないでキスしやがれ!
ここまでの勢いとは全く違う優しさでそっと抱き寄せられると、胸が鳴った。こちらを見つめながら顔を近づけてきた麻生が目元を伏せるのが見え、両腕にすがる形になった指に力を込める。
止めたな、と気配でわかった瞬間、手塚の方から距離を縮めた。本当に残りの距離は極わずかだった。角度をつけ意外に柔らかな唇を味わう。
一秒、二秒、三秒。勢いよく突き放された。
カットを入れられた状態でも、まだ酔っているような気分だ。ありがちでこっぱずかしい展開なのに、こんな風に情熱的に追いかけられて大切にキスされたら骨抜きになるなと思った。
「お前な!」
「だって麻生さんに、ここでキスしなかったらどうすんの?って気にされたから。ほんとだよ。ドキドキした」
仕方ないなといったようなため息が聞こえた。この人はため息ひとつで手塚とのキスもなしにしてしまえる。今のは演技が過ぎただけで、酔っ払って抱き合ったことをなかったことにしたのと同じ判断だ。麻生独自のラインがあって、そこを手塚には越えられない。
「もう、本当に…今日はこれでおしまい。お疲れさま」
「今日で最後でしょ?そんなあっさり?」
「撮影最後まで俺は立ち会うから、手塚が不安なところがあったら空き時間とかいくらでもつきあうよ。でもまぁそうなってくると、他の演者さんと相談しながらって感じになると思うから、俺があんまりできることはないと思うけど」
あまりに軽々と言われてしまって、体に篭っていた熱は失われ、すっと胸が冷えるようだった。
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