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10-03
長い一日を終え、シャワーを済ませてもう寝るだけになっても、麻生は手塚の明日撮影分の本読みにつきあってくれている。麻生の部屋で隣にはすでに布団が敷かれているが色っぽい雰囲気は皆無だ。演技云々は別として、麻生と台詞を追っているだけでクランクイン前の昂った気持ちが落ち着いた。
眠れないと言って手塚が麻生の部屋に行くと「明日の分だけさらっと読んどく?」と提案したのは麻生だ。少しでも穏やかで親密な時間を引き伸ばしたいという気持ちもあった。
最初の時と同じように、麻生が読むのを手塚が追いかけた。録音よりもすぐそこで語りかけてくるような声はずっと自分の中に染み込んでくる。
『菜穂のこと、一番近くで見とるけん』
『菜穂のこと、一番近くで見とるけん』
『好きや』
『好きだ』
「うーん、どっちでもいいけどな。どっちかな。『好きや』『好きだ』『好きや』『好きだ』」
そんな好き好き言うな。自分ばっかり浮かれてしまうから。そんな事を思いながら、言葉を繰り返し動く麻生の唇を見つめていた。
「明日は大丈夫。自信持ってやれ」
最後にそう麻生が言って、予定分を終えてしまうと手塚は急に寂しいような気がした。
「ねー麻生さん、透て菜穂のこと好きなのかな? 自分が島を出る口実っていうか、菜穂がいるから自分は島にいてもいつでも出ていける気がするって言い訳ぽくない?」
もう少しだけ、居心地のいい場所にいたくて会話を続けた。
「お前『透』嫌いだろ?」
さっきまで聞いていた台詞とは違うトーンの声で、麻生が言う。
「好きも嫌いもないな。俺とは違う人間だなって思うだけ。俺ならちゃんと現実的かつ具体的な解決案を選ぶから。前にも言いましたけど」
「手塚は効率重視なとこあるからそうだろうな」
普通にしているとあまり表情が出にくい奥二重の目に笑みが浮かぶ。
「麻生さんと一緒にいて、好きかもって思ったみたいに、透の俺は演技してるうちに菜穂の事好きになっていくのかな」
「変な例え入れて全部ごっちゃにすんな。気分悪いから。でも好きだっていう演技してると相手がキラキラして見えてくるって女優さんが言ってるの聞いたことある。撮影中はすごく素敵な人だなって思ってたのに、終わったら全然思わなくなったって笑い話にしてたけど」
台本を閉じて畳に起き、麻生は手を後ろについて大勢を崩した。
「ふーん。じゃあ、明日この家出たら、もう麻生さんのこと気にならなくなるかな」
だといいな、と他人事のように思いながら、くつろいだ姿の麻生を眺める。思ったより肌綺麗だなとか、腰細くて脚まっすぐだなとか、今までは全く気にしてもいなかったことに意識がいく。
「俺に聞くなよ」
麻生が秀野を切なげに見つめてるのを見て、心を乱されるのは絶対嫌だった。
「布団敷いてある部屋に『こいよ』とか言われたら、普通は期待するか、何もなくてもなんとかしてやろうかなって思うんだけど…なに?しませんよ何も。最後まで聞いてよ」
心なしか後ずさった麻生を、手塚はムッと唇を結んでで睨みつけた。
「麻生さんの場合、がっくりくるね。あーこの人俺のことなーんとも思ってないんだなって」
「お前の普通は普通じゃない!お前が不安そうな顔してたからだろ!もー早く部屋戻って寝ろ!」
シャワーを浴びた後で、まだしっとりと濡れている髪をくしゃくしゃっとかき混ぜられる。こういう親しみのこもった触れ合いに、いつもの手塚ならわざと距離を詰められている気がしてしまって鬱陶しさを感じるが、麻生にされるのは嫌じゃない。むしろ心地いい。
まっすぐ過ぎる麻生が自分にくれるものは『ただそうしたいからしている』ことがわかるから。ただそれ以上にならないことに焦れる。
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