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11-01 クランクイン / side 手塚佳純

*** 続けて手塚視点です *** 『島に住む野生の鹿をお前に見せたい』と麻生は言った。  砂浜を飛ぶように走る鹿は手塚のようなのだと麻生は言う。いや、手塚が鹿のようだと言ったのか。キツネリスより大きくなった、と手塚は思った。橋がかかっていない島らしいので、この撮影が終わったら一緒に見に行こうと話している。実現するかはわからない。  瀬戸内海には有名な安芸の宮島以外にも鹿が住む島がいくつかあるということを、手塚は麻生から教えられて知った。  宮島のように、野生と言っても人間に慣れている鹿は、船が近づいただけで、餌をねだりに次々跳ねてやってくるらしい。  島々に橋が渡され、鹿や猪が本土に移動し畑を荒らすことも深刻化している。手塚などは、月夜に鹿たちが列をなして橋を渡る幻想的な光景を思い浮かべてしまうのだけれど、実際には大きな問題だろう。  手塚に似ている麻生が好きな鹿は、山の中で暮らしていて、餌を目の前にしても人前にはほとんど姿を見せないそうだ。でも時々山から降りてきて、人気のない砂浜を走る。  波際ぎりぎりのところを夕日を背に走る姿に麻生は目を奪われたそうだ。その跳躍は高くて、正確で、美しい。野生の鹿は気高くて自由なんだ。なんだか手塚に似ている…と、しらーっと澄ました外見をしているくせに中身は暑苦しくて不器用なほどまっすぐな男が言う。  さしずめ麻生は穏やかでいつも凪いでいるように見えるが、本当は潮流の速い瀬戸内海みたいだと手塚は思う。  手塚にある魅力を役に映せばいいと麻生は言うけれど、撮影が始まり一週間が経った今も、それはどう演じることなのかわからないでいる。 * * * *

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