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「ただいまー」  もうこの家には戻ることがなくなって初めて『ただいま』とあっさり口にした。不思議なほど今は手塚にとって麻生のいるこの家が帰ってくる場所のように思える。 「早かったな。もっと遅いかと思ってた」  撮影初日を終え『とりあえず初日打ち上げ』とベテラン勢の誘いを断われるわけもなく、酒の席に着いた。撮影ではきっぱりと両親から縁を切られたが、二人ともなぜか手塚のことを気に入ってくれて、飲め飲めと手塚が取り囲まれていたのを麻生も見ていて知っている。 「途中で抜けてきたんです。荷物ないと困るし、麻生さんに早く会いたかったから」 「お疲れだな。『それは逆に言った方が可愛げがある』ってお前が言うとこなのに。逆に言わないところが可愛いのがお前だな」 「え?意味わかんない」 「疲れてんだよ。お前可愛いな、って言ったんだ」  そう言われて一瞬心の中でデレてしまって、どうして麻生に可愛いと言われて嬉しくならなければならないのだと『初めての恋』が自分を変えた恐ろしさに気づいた。 ーー やばいな、俺!どんどん頭悪くなってる…というか、全般的におかしい!  今日は一日ずっと神経を張り詰めていて、精神的にも体力的にも疲れたから、麻生に頭をくしゃくしゃされたり、よしよしされたり、ぎゅってしてもらったり、ちゅってされたりしたいのだ。たった二日前に『なんかよくわからないけど好きかもしれない』という告白をして、どうやって自分はこんな境地に辿り着いたのかと愕然としてしまう。  思わず逃げるように洗面台に来てしまった。いつもより丁寧に石鹸を泡だて手を洗い、心を落ち着かせてから、居間の和室でロケスケジュール表を見ていた麻生の隣に座った。 「どうして麻生さん合宿所来ないんですか?」  どう接していいのかさっぱりわからなくなったので、振りやすい話題から始めてみた。 「俺は今回一歩引いた立場で参加してるし、ここに泊まる方が気が楽だから」 「時々帰って来てもいい?」 「ダメに決まってるだろ。明らかに変だろ」 「仲良いから飲みに行って、帰るの面倒くさくなって泊まったとか、普通にあるでしょ」 「それ、ロケ全日で、一、二回が限度だな」  えぇーー、と手塚は絶望的な気分になった。そして自分の落ち込み具合に、また恋愛感情で甘えたことに気づいてしまう。元々、撮影期間中は麻生のことは忘れようと決めていたのだから、ふたりきりで過ごした一週間のようにはいかないことはわかっていたはずだ。  いつも細々とアドバイスを出す麻生が、今日の演技については何も行ってこない。方言のイントネーションやそれ以外にも手塚の方から相談すれば、いくらでも手塚につきあってくれるだろう。でも、ひとつの役を演じ始めた手塚の、役者としての領域に不用意に踏み込んでくるようなことは麻生はしない。 「…そうだね。俺、もう行くね」  立ち上がりかけた手塚の腕を麻生が引き止める。 「もっとこっち来いよ」  そう言われると振り切って行くこともできず、引き寄せられるように肩が触れるほど近づいて座りなおす。麻生の両腕が柔らかく肩に回され包まれるとほっとした。胸に頬をつけると気持ちよかった。 「初日お疲れさま。いい顔してたよ。方言のイントネーションは今までで一番自然に出てた」 「『親父』と『お母さん』につられたから」 「怯まないでそこに馴染んで行くのはなかなかできることじゃない。一日やりきったんだから、ちょっとは甘えろよ。俺も早く手塚に会いたいなって思って待ってたよ」  髪を撫でてくれる手が優しくて、体の緊張が解けて行く。ふぅと息を吐き出して麻生の腕の中に身を委ねた。

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