5 / 6

第5話

 最初に出会った樋口の傍で、どれだけめちゃくちゃになっていたかは、記憶よりもずっと酷かったのか。  そんな敏樹を、樋口は受け入れてくれたのに。  真実を知るのを勝手に怖がり、なにも問わないまま遠ざかって。  そして、樋口から想いを伝えに来てくれたのに、敏樹の勘違いから怒鳴ったり。 「色々と……ごめんなさい」  謝りながらおずおずと近づくと、敏樹の(てのひら)に樋口の掌がそっと重ねられた。 「あんな場所に結婚案内からの通知を置きっぱなしにしていた、俺が悪かったよ。あれを見たら、俺が結婚を考えている、と思うのは当たり前だろう」  このひとはすぐに謝る。自分の車に自分宛ての封書を置いていた、そんなのは当たり前なのに。 「きみは、不倫なんかしたくない、って正しい考えを持っていただけだよ」  そしてすぐに許す。ふたりがすれ違ったのは敏樹のせいなのに。 「今日はすまなかったね、驚かせて」  敏樹の掌を(さす)りながら、樋口はまた謝ってきた。 「いいえ、嬉しいです……駅で見たときは驚いたけど」  微笑んだ敏樹に樋口も笑うが、その笑みはどこか切なそうだ。 「だんだんと分かってきたけれど、きみは同性愛者や、その将来について、しっかりとした考えを持つ人間だ」  敏樹の手をぎゅっと握ると、樋口はいきなり褒め言葉を投げてきた。 「また……以前のような、立派な相手が、きみの傍に現れたら……俺は、きみと別れたほうが良い」  途切れ途切れに樋口は語る。 「それが、きみの為だろう。でも、それまで俺と逢っていて欲しかった」 (なんで勝手に、そんな善し悪しを決めるんだ?)  敏樹はじれったくなった。樋口がやたらと自虐的な台詞を吐くのは、自身の失恋からか。それとも、酔った敏樹から聞かされた思い出話からか。 「立派とか、そんなの求めてません。自分に必要なのは、隣に居て安心出来るひと」  その安心出来る身体に思い切って抱き着くと、 「それが樋口さんです。あなたの傍に居るだけで、自分は落ち着く」  いままで言えなかった言葉をぶつける。そして、樋口も敏樹の身体を強く抱きしめた。  どさり、とふたりでベッドに倒れると、樋口の身体が敏樹に被さった。 「この前、海へ行った時……最初に海へ向かった理由を尋ねましたよね?」 瞳を閉じて頬を寄せ、拗ねた声で敏樹は尋ねる。 「樋口さんは、失恋から号泣する見ず知らずの若い男……一年前の自分を、落ち着かせてくれたんですか?」  無精髭(ぶしょうひげ)を生やした樋口に頬擦(ほおず)りをしながら、 「また逢ってくれたのは、呑みすぎて倒れてないか、なんて心配していたから?」  過去の自分が恥ずかしくて、顔を合わせる事は出来ずに、自身を馬鹿にする様な質問を次々と口に出す。 「単純に、またきみと、逢いたかったからだよ」  慰めでもなく樋口は応える。その穏やかな口調に感極まった敏樹は、樋口の後頭部を掴むと、その唇に自分の唇を押し付けた。 「ん……っ」  深いキスを交わしながら、自然な流れでふたりとも服を脱いでいく。 「今夜もそうだ……もう一度でも、絶対、きみに、逢いたくて……」  敏樹の身体に触れながら交わすキスの合間に、樋口が囁く。久し振りに感じる、荒れた指先や、熱い吐息に、涙が出そうになる。 (このひとが、一緒に居たい、と想ってくれるのは、本当に自分ひとりなんだ)  でも、またこれから結婚が必要となれば、敏樹への想いとどちらを大切にするのだろう。 ゲイの樋口には女性との結婚は辛いから、敏樹を選ぶだろうが。 (また、こんな捻くれた考え方しか出来ない) そして敏樹の存在から、樋口が家族と争うのも嫌だ。  自分への想いをはっきり伝えてくれたひとに、こんな事を主張しても、ただのわがままだけれど。

ともだちにシェアしよう!