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第2話「生徒会の仕事」

 夏目は今、埃と汗の入り混じった部屋にいる。何故こんな事になってしまったのだ、という気持ちが込み上げてくる。事の発端は、やはりクラスメイトでルームメイトの八辻九重にあった。それは数時間前に遡る――……。 転校から数日たったある日の事、夏目はいつもと同じ様に授業を終え、学生寮へと帰る予定だった。しかしその道すがら、桜の木の上で器用に寝扱けている八辻を発見してしまったものだから、声を掛けずにはいられなかった。落っこちてもらっては、こちらも気分が悪い。夏目は仕方なく、八辻に声を掛けたのだった。 「おい、サボり魔。起きろ」 「ん……」 長いまつ毛が小刻みに揺れて、八辻は目を覚ました。その膝の上には先日たすけた子猫がスースーと寝息を立てて眠っている。八辻が子猫を脇に抱え、桜の木から地面へと着地した。それを見届けて、夏目は寮へと帰ろうとしたが、八辻に呼び止められて足を止めた。  どうやら、夏目に用事があったらしい。八辻は面倒臭そうに言ってのけた。 「お前、生徒会からお呼びが掛かってるぞ」 「生徒会? 俺、何かしたかな……」  とりあえず着いて来い、という八辻の後に続いて、夏目は生徒会室へと向かった。生徒会室は校舎一階の図書室の隣にある。静まり返った廊下が、どことなくこの場所を近寄りがたいものへと変える。しかしそんな事はお構いなしとでもいう様に、八辻はずかずかと生徒会室へと入っていく。この男に、遠慮や緊張と言った言葉は存在しないのだろうか、と夏目は不思議に思うのだった。  生徒会室には、数名の生徒がいて皆それぞれに自身の仕事をこなしているようだった。ドアから一番奥の席に座っていた個性的な生徒が、夏目たちの存在に気付き、他の生徒に声を掛ける。 「どうやら転校生君のご到着の様だよ」  その一声で、この場にいる全員が夏目の方を見詰めた。急に向けられた視線の数に、急に緊張してくる。八辻は、自分の仕事は終わったとばかりに帰ろうとしている最中だ。しかし、それをも制したのはやはり、個性的な格好をした生徒だった。 「九重、君もここの一員だろう。何を帰ろうとしているんだい?」  八辻は面倒臭いとばかりに舌打ちをして、その場に留まった。制服のブレザーに赤いマントを羽織った彼――この生徒会の会長である須王祐(すおうたすく)は、その整った顔を夏目に向けた。ブロンドの柔らかそうな髪がとても印象的だ。しかし、その口調のせいで胡散臭い事この上ない。須王はニッコリと微笑み、夏目に手を差し出した。 「ようこそ、我が正東学園へ。僕はこの学園の生徒会長をしている、須藤祐だ」  差し出された手を握り返して、夏目も軽く自己紹介をする。その間にも、八辻は眠たそうに欠伸を噛み殺していた。須王は、他のメンバーも紹介してくれるようで、夏目に向かって話しかけた。 「そこにいる眼鏡の彼が会計の五反田智晴(ごたんだともはる)。僕と同じ三年生だ。そして、その隣がキミもよく知っているだろう、楓実葉、書記だ」 「夏目、宜しくね-!」  楓がにこにこと返してくれた。夏目は見知った人物が居る事に少し安堵する。最後の一人である一年の日浦知己(ひうらともみ)は、高校一年にしては身長もガタイも良過ぎだ。大男と言っても過言ではない。彼は主に雑用を任されているらしい。この四名と、八辻も入れて五名で生徒会として活動しているようだ。  全員を紹介し終えた所で、須王が真剣な顔つきへと変わった。 「君の特殊能力について教えて欲しい」  夏目は、また用意された答えを口にした。自分の特殊能力は、運動神経がずば抜けて良い事です――。その答えに、須王はにっこりと笑って、「そうか」と呟いた。そして、続けてこうも言った。 「では、そのずば抜けた身体能力を是非、生徒会の為に使ってくれないかな?」  夏目はその言葉の意図が読めずに素っ頓狂な声を出してしまう。須王は「君を生徒会へ歓迎するよ」と付け加えた。夏目はと言うといきなりの申し出に驚く事しか出来ない。何故自分のような転校生が、生徒会に勧誘されるのかが解らなかった。須王は、まずは自分たちの活動を見てもらって、それから考えてもらえればいいと言ってくれた。それなら、と夏目もOKする。善は急げ、と言わんばかりに須王は五反田に指示を出し、本日の予定を確認した。どうやら今日は、来月行われる体育祭の進行表についての話し合いをするようだ。夏目は自分の身体能力をその話し合いでどう使うのだろうか、と考えた。すると、須王は数ページにわたる資料を夏目に渡して見せ、簡単に言ってのけた。 「ここに書いてある部活に行って、それぞれの競技についての提案表を貰ってきて」  簡単に言ってくれる。その資料には、ざっと目を通しただけで三十もの部活動の名前が書かれていた。この中の部活すべてが体育祭へ出場する訳ではなく、いくつかの部活は合同で出場するようだった。とにかく、夏目は言われた通りに各部を巡った。案内役にこれまた八辻を寄越してくれたのは、大きな誤算だが今は致し方ない。八辻も生徒会長の申しつけとあらば、面倒臭そうではあるがきちんと従っていた。  半分まで回った所で、八辻が口を開いた。 「一旦休憩しよう。アンタもさすがに疲れただろ」 「あ-、そうしてもらえると助かる」  自販機でジュースを買い、中庭のベンチに腰かける。太陽は西に傾いていた。桜の木が春風にそよそよと靡いて花弁が舞った。それが、八辻の頭の上に乗っかったものだから、夏目は思わずジュースを吹き出しそうになった。  ごめん、と一言断りを入れて、髪に付いた花弁を取り除く。八辻は興味なさそうに缶コーヒーを煽った。暫くの間沈黙が流れたが、それは今の夏目にとっては心地よい沈黙だった。ふと、小さな少女の事が脳裏をよぎる。あの日も、こんな夕暮れだったな、と夏目は思い返していた。 「行くぞ」  その声で、一気に現実に引き戻される。何を感傷的になっているのだと夏目は首を左右に振って、その少女の姿を掻き消した。ジュースの残りを胃に流し込んで、夏目は立ち上がる。終わった事を思っていても先には進めない。八辻と夏目はまた、部活巡りを再開した。中庭のベンチはぽつんとそこにあるだけだが、夏目にはそれが酷く悲しい事のように思えて仕方なかった。  校庭にやって来た。練習真っ最中の野球部のキャプテンに恐るおそる声を掛ける。坊主姿のキャプテンは、夏目の存在に気付き、声を掛けてきた。入部希望かと思われたらしく、夏目は事情を説明して書類の提出をお願いした。用紙が部室にあると言われ、キャプテンと一緒に部室へと向かった。校庭隅にあるプレハブは運動系の部活の部室として使用されているようだった。右から二番目のドアを開き、キャプテンが中に入っていった。それに続く様に夏目も中へと入ろうとしたが、汗の臭いと埃の臭いの混ざった何とも表現時がたい悪臭により、入室は断念せざるを得なかった。数分後、キャプテンが難しそうな顔をしてプレハブから出てきた。その手には用紙が握られてはいるものの、それはグシャグシャになり原形を留めていなかった。受け取って見てみると、辛うじて内容が解る。男子校でしかも体育会系の部活だ、こんな事も想定内だろうと夏目は笑顔でそれを受理し、お礼を言って野球部を後にした。 その後も、様々な部活に顔を出し、用紙を回収して回る。最後の一つを終えた所で、夏目は大きく息を吐いた。 「終わった~~」 大きく伸びをするとバキバキと背中が音を立てた。八辻は相変わらず不愛想で夏目の事など見ていないが、真実を語った。 「その部活の量、普通の奴だったらあと二日は掛かってる。アンタの能力は本物だったって事だな、アンタは会長に試されたんだよ」 「そうなのか?」  夏目は、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。誰かの役に立てる事は、夏目にとっては嬉しい事だったからだ。今回は成り行き上手伝ったが、最終的には夏目自身、楽しんでやっていた。生徒会へ入る事については保留にしてあるが、手伝ってもいいかなと夏目は思った。窓から見えた空の色は、オレンジ色に染まっていた。

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