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第5話「体育祭」
桜の花は散り、梅雨の時期に差し掛かった。六月に入り学園は体育祭の準備に追われていた。それは生徒会も例外ではなく、メンバーは放課後も慌ただしく動いている。特に気合の入っているメンバーが一人いた。
「夏目センパイ! それはこっちに置いてください!」
日浦知己――今年入学したばかりなのに、その手腕を生徒会長に買われ生徒会へと入ることとなった大柄の男だ。大型犬のように人懐こい性格で、喜怒哀楽がはっきりしている彼は同級生からも、上級生からも親しまれているようだ。堀の深い顔立ちは男らしさを一層引き立てている。短く切り揃えられた髪は清潔感があり、日浦にとてもよく似合っていた。そんな日浦がこの体育祭に尋常ならぬ熱量を注いでいるのは、誰が見ても明確だった。
「体育祭まであと二日、俺、体動かすの好きなんでめちゃくちゃ楽しみです!」
そう言って笑って見せる日浦は生きいきしている。中学の頃はバスケ部に所属しており全国で一位の成績を収めたのだという。色々な高校からスポーツ推薦されたが、進学・就職共に有利なこの正東学園に入学したのだった。
「そうだ、夏目センパイこれからって時間ありますか?」
「今日の仕ことは一応片付いたから大丈夫だよ」
「やった! じゃあ一緒に練習しませんか?」
そう言って日浦達がやって来たのは学園のすぐ傍にある河原だった。二人とも制服から体操着に着替えてストレッチを終える。正東学園の体育祭は一風変わっている。それは、各々の【特殊能力】を発揮されて行う種目が用意されているのだ。その名も『借り物競争』。各自の能力を駆使して、紙に書かれた内容の物を探し出しそれをもってゴールするという普通の借り物競争とそう変わらない内容だが、どうやら書かれているものが入手困難なものや、難しい内容のものが多いらしい。この競技で脱落する者が多く、それが逆に生徒たちのやる気を一層引き立てていて、体育祭の目玉競技となっている。
日浦はぐるぐると肩を回し、気合を入れた。夏目に見ていてください、と言い左手を前に出しゆっくりと呼吸を繰り返した。ゆっくりと瞳を閉じ、素早く開く。すると、眼前の少し大きめの石が粉々に砕け散った。夏目は訳が分からずただ口をあんぐりと開けて、その光景を傍観することしか出来ない。確実に目の前で起こった摩訶不思議な出来ことに驚いていると、日浦が照れ笑いしながら教えてくれる。
「俺の特殊能力、何でも粉々にしちゃうんですよね」
果たしてこれが借り物競争で役に立つのか不安です、と日浦はおどけてみせた。夏目は初めて特殊能力を目にして興奮した。まるで初めて手品を見た子どもの様にはしゃいでいる。夏目自身、自分の本当の特殊能力をひた隠しにしなくてはいけない ので、こうして他人の前でその威力を発揮させることの出来る日浦を羨ましく思った。
その後は二人で走り込みをして、日浦の足の速さに驚き、存分に体を動かした。夏目もアスリート並みに足は速いが、日浦はそれ以上ではないだろうか。二人して汗だくで寮へと戻った。
「今日はありがとうございました。当日頑張りましょうね!」
お互い健闘を祈り、日浦と別れて夏目は自室へと戻った。先にシャワーを浴びてしまおうと風呂場へ向かう。ユニットバスの隅で服を脱ぎカーテンを閉めてシャワーの蛇口をひねった。少し熱めのお湯が、汗を流してくれる。頭と体を素早く洗い、ユニットバスを出て体を拭いて風呂場を出た。ガシガシと髪の毛を拭いていると夕食から戻って来たのか八辻が部屋に戻ってきたところだった。
「おかえり。夕飯何だった?」
「とんかつ」
「うわぁ、お腹空いた! 早く食べ行こ」
バスタオルを選択カゴに放り投げ、部屋を出ていこうとした所で八辻に呼び止められる。夏目は何事かと振り返り、八辻を見上げた。
「髪、そのままだと風邪ひくぞ。せめて乾かしてから行けよ」
ぶっきらぼうにそう告げられ、夏目は小さくあっ、と声を漏らした。空腹でそこまで頭が回らなかった。ユニットバスに備え付けられている洗面台の上のドライヤーを持ってきて、部屋の隅っこにある電源プラグにコンセントを差し込んだ。髪を乾かしていると、八辻が大きな声で話しかけてきた。
「アンタ、日浦と何してたんだ?」
「何って、体育祭の練習手伝ってくれって言われたから手伝っただけだよ」
「ふ-ん……」
それだけ聞くと、八辻は風呂場へと姿を消した。髪が渇いた夏目はようやく食べ物にあり付けると、意気揚々と部屋を後にした。
*****
六月某日、晴天。絶好の体育祭日和だ。この日ばかりは各地から生徒たちの親族が集まって来て、学園が一層賑やかになる。プログラムは順調に進み、一、二年生合同での競技『騎馬戦』の順番が回って来る。各学年から選ばれた生徒が出場する競技だが、その中に夏目、八辻、日浦の姿があった。土台となる下側に八辻と日浦がスタンバイして、その上に小柄な夏目が乗るという戦法だ。
夏目たちは次々と相手を倒し、残りは自分たちともう一組だけになった。夏目が相手の帽子を奪おうと苦戦している。八辻と日浦は、バランスを崩すまいと必死に夏目を持ち上げている。
しかし、不意に日浦の足が絡まりバランスを崩して夏目が地面に叩き付けられた。観客席からは悲鳴が上がり、場内はざわめき出す。夏目は、意識を失っている様で目を覚ましそうにない。担架が運ばれてきて、夏目は保健室へと運ばれていった。日浦は青ざめた表情で、担架の後を追いかけて行った。残された生徒たちは、困惑の表情を浮かべ、その場に佇んでいた。暫くして告げられたアナウンスは、体育祭の続行だった。騎馬戦は引き分けとなり、次のプログラムに移った。
夏目が目を覚ましたのは、それから暫くしてのことだった。まず目に入ったのは年季の入った天井。それから、心配そうに夏目の名を呼ぶ日浦の顔だった。夏目が目を覚ましたのを確認した日浦は、開口一番謝罪の言葉を述べた。
「すみません!! 俺の不注意でセンパイをこんな目に……」
「大丈夫だいじょうぶ、こう見えても俺、体は丈夫に出来てるからさ」
「本当ですか!? どこか痛い所とかないですか!?」
「だいじょう……痛っ」
起き上がろうとして、背中に軽い痛みが走った。どうやら背中を打ち付けてしまった様だ。じんじんと痛みが広がる。だが、動けないことはない。夏目はベッドから抜け出して大丈夫だ、と日浦にアピールして見せた。まだ心配そうな日浦の頭を軽く小突いて、夏目はニヤリと笑う。
「日浦の特殊能力見るまでは、俺休んでられないし」
「センパイ……」
抱きついて来そうな勢いの日浦に再度笑いかけてから、夏目は戻ろう、と告げた。校庭では学年対抗のリレーが行われていた。自分のクラスのテントに戻った夏目をクラスメイトが心配して駆け寄ってくる。クラスメイト達に大丈夫だと告げて、夏目は八辻の姿を見つけ、隣に腰かけた。
「大丈夫だったか?」
「平気へいき、あんなの怪我のうちに入んないよ」
「夏目、無事でよかった! うちの戦力が一人減るのは大問題だよ」
楓のその物言いに、夏目はただ苦笑するのだった。
それからは、順調にプログラムが進行していき、昼食を挟んで午後の部が始まった。午後一のプログラムは一年生による借り物競争だ。夏目は日浦を応援すべく、テントの前の方に座り直す。どんどん順番が回っていき、日浦の番になる。
ピストルの乾いた音が空に響き、スタートの合図を告げた。一斉に走り出すが、ずば抜けて足の速い日裏は他の生徒をやすやすと抜き去り、トップに躍り出た。途中箱の中から紙を引いて、それを難しい顔で凝視した。どんな指示が書かれているのだろう、と夏目は気になったが日浦は微動だにしない。他の生徒も日浦に追いつき、箱の中から紙を引っ張り出しそれぞれ動き出している。結局、日浦はその場から動くことなく借り物競争は幕を閉じた。肩を落として持ち場へと帰る日浦に夏目は声を掛けた。
「どうしたんだよ、日浦? 紙には一体なんて書いてあったんだ?」
「……家族、です」
そう呟いた日浦の顔は青白く、顔色が良くない。夏目は心配になって日浦の顔を除き込んだ。
「両親、今日は来てないのか?」
「いえ、親は来てます。……そうじゃなくて……」
それ以上、日浦が口を開くことはなかった。ただ正気がなく、トボトボと歩いていく日裏を夏目は見送ることしか出来なかった。
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