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第6話「家族」
体育祭も終わり、暑さが増してきた七月初旬。夏目はまだ先日の体育祭での出来事を引きずっていた。いつも明るい日浦のあんな表情を見るのは初めてで、それが気になっていた。体育祭翌日の日浦は、前日の出来事がなかったかのようにいつも通りだったので、それ以上追及する事はなかった。気掛かりで夏目の方から日浦に声をかける事が多くなり、休日には二人して遊びに出掛けることが増えたが、夏目はあの時のことを聞き出せずにいた。今日も、日浦とスポーツジムに行く約束をしている。夏目は、スポーツバッグに荷物を詰め込んで部屋を出た。玄関ホールにはすでに日浦がいて、人懐こい笑顔を向けてくる。夏目はおはよう、と声をかけてから二人して寮を出た。
山道を下り、バスに揺られること数分、最寄り駅の前でバスは停車した。バスを降り、駅の改札へ向かう。休日という事もあり、田舎の駅前の割には人で溢れていた。切符を買い、改札を通る。数分後に地下鉄が到着してそれに乗り込んだ。空いている席を見つけて腰掛ける。隣に座っている四十台と見られる女性は、うつらうつらと船をこぎ始めていた。それを横目に夏目は日浦と他愛もない会話をする。勉強がどうだとか、生徒会の仕事は大変だとか、ごく普通の男子高校生らしい会話が続いた。目的の駅に到着したので、降りる。チラリと横目で自分の座っていた席を見返すと、先ほどの女性が盛大に船をこぎ、それに驚いてハッと目を覚ますところだった。
目的のジムに着き、ジャージに着替えてトレーニングを開始した。ランニングマシンで軽く三十分ほど走ったり歩いたりを繰り返した後、それぞれ鍛えたい部位のマシンを使い、自身を追い込んでいく。夏目は久しぶりに体を動かすので、息が上がるのが日裏より早かった。中学の頃は陸上部に入り、放課後は部活に勤しんでいた。それに加えて、休日はある施設で特別な訓練 を受けていた。そんなだから体力にはかなり自信があったが、この数か月あまり体を動かさなかっただけですぐに息が上がるなんて、寮でも少しは動かないといけないなと夏目は思い直した。
一時間後、トレーニングを終えた二人は昼食を取るためにジム近くの定食屋に来ていた。日浦がよく利用する定食屋だそうで、全体的にボリュームもあり、メニューの種類も豊富だ。夏目は焼肉定食を、日浦は唐揚げ定食をそれぞれ注文した。
「夏目センパイの特殊能力って、身体能力が高い……でしたよね?」
「え? あぁ、うん。楓に聞いたの?」
はい、と日浦が答える。
「良いですよね、俺もそんな能力が欲しかったです」
「でも普段そんなに役に立たないよ?」
軽く走ったつもりでも、普通の人よりも足が速いためよく驚かれることなど、夏目は少し困った体験談を面白おかしく日浦に話す。
夏目の背後にあるドアがガラガラと開き、五十台と思わしき夫婦が入店してきた。その二人と見た途端、日浦の表情が引き攣る。夏目は何事かと、背後を確認し、夫婦と日浦を交互に見た。
「父さんと母さん何でこんな所に……」
「ご両親?」
「あ、はい」
物腰の柔らかい日浦の両親が、夏目に挨拶をする。慌てて、夏目も背筋を正して挨拶し返した。夫婦は病院の帰りだと話してくれた。どこか悪いのかと夏目が訪ねると、日浦の母親が表情を曇らせ、この子の弟が……と一言呟いた。それを聞いて夏目は何と言って良いのか解らず言葉を詰まらせた。母親は笑顔を作り、気を使わせてごめんなさいね、と謝ってから父親と一緒に一番奥のテーブル席へと去っていった。
「優しそうなご両親だね」
そう声を掛けた夏目だが、日浦の様子がおかしいことに気付き、彼の顔を除き込んだ。日浦は先日の体育祭の時と同じように青白い顔をしている。大丈夫かと声を掛けた所でやっと日浦が夏目の方に顔を向けた。
「……弟は俺の十個下で、小さい頃から病気がちなんです。だから入院してるんですけど……」
「そうなんだ、弟病状良くないの?」
「センパイ、俺……!」
日浦が夏目の方に身を乗り出しそうになった所で、メニューが運ばれてきた。坊主頭の店主がサービスしといたよ! と言って厨房へと戻って行った。確かに、焼肉や唐揚げの量が多いように思われる。日浦は箸を手に取ってはいるが、唐揚げを突くだけで食べようとしない。
「後で話聞くから、まずは食べようよ」
「はい、そうですね……」
二人して黙々と定食を食べる。折角の料理は味気なかった。定食屋を出てしばらく歩くと、小さな公園を見つけた。幸いにも人はおらず、話をするには最適だと判断した夏目は、公園のベンチへと日浦を誘導した。ぎらつく太陽に、汗がじんわりとにじむ。薄手のパーカーの腕をまくり、夏目は日浦を見つめた。
「あの、センパイ。この話は、誰にも話さないでもらえますか」
「それは勿論」
日浦はほっと胸を撫で下ろし、一呼吸おいてから口を開いた。
「俺の弟――辰己って言うんですけど、辰己は今目を覚まさないんです」
「え……?」
「もう二年間、ずっと寝たままで病院にいます。俺にとって、『家族』は両親と辰己の四人なんです」
だから、借り物競争の時、『家族』というメモを見て、ここには家族全員いないと思ったのだと日浦は夏目に告げた。その顔がとても辛そうで、夏目は見ていられなかった。そっと、自分よりも大きい日浦の頭を撫でてやることしか夏目には出来なかった。
「ジム付き合ってくれてありがとうございました」
「……また、また行こうな! あと俺いつでも日浦の話聞くから! 話したくなったら言ってよ」
「ありがとう、ございます」
少し涙声になった日浦に気付かない振りをして、夏目は部屋へと戻った。部屋に入ると、珍しい人物が来ていることに気付く。
「生徒会長に、五反田さん?」
「あぁ、彰人! おかえり」
「邪魔しているぞ」
須王は夏目に抱き付かんばかりに両手を広げて出迎えてくれた。それを制するように、五反田が間に割って入る。どうしたんですか、と問うと須王はニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべた。
「聞きたいかい!? ふふふ、実はね……」
「こら、まだ計画段階だ。軽々しく口にするな」
「ちぇ-、トモのいじわる!」
ブーッと膨れる須王に対して、やれやれと言う様に五反田は深い溜息を吐いた。はてなマークを浮かべる夏目に、八辻がそのうち解ると告げ、この話はそれでおしまいになる。用は済んだと、須王と五反田は(須王を強制的に五反田が引っ張って)帰って行った。
先程の賑やかさが嘘のように、静寂が訪れた。夏目はもう八辻があまり話したがらないことに慣れてしまった為、自分のスポーツバッグから洗濯物を取り出してカゴに放り込む。夕飯までまだ時間がある。何をしようかと考えていると、八辻がこちらへ近づいてきた。
「どうしたんだ、これ」
「え?」
目が少し赤くなっている、と指摘された。そっと肌に触れられて夏目は動揺した。先程、日浦と別れてから、今日一日の出来事を思い出し、日浦の辛そうな顔や、泣きそうな表情を思い出し、夏目自身が涙してしまった。それは、自分の境遇と少し似ていたからだろう。あの少女の事を思い出して、夏目はポロポロと涙が止まらなくなった。それをどうにかやり過ごして部屋に戻って来たのだった、
「何でもないよ。ゴミが入って、それで擦り過ぎただけだ」
八辻の手を払い除けるようにして、夏目は風呂場にある洗面台に向かった。蛇口を捻って冷水で顔を洗う。もっとしっかりしなくては、そう自分の言い聞かせながら。
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