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Ⅱ-2
とても暖かで穏やかな気分だった――。
目を覚ますと俺は茅葺くんの腕の中にいた。
彼は遊び疲れたこどもみたいに規則正しい寝息をたてて、すっかり熟睡していた。
こんな風に誰かと肌と肌を合わせたまま眠ったことなど一度だってなかった――。わざと頬を擦るようにして彼の肌の温度を確かめた。
希も、女の子にはこんな風に優しいのだろうか――。
折角の安らぎの中で貧乏クジのような要らぬ妄想だけがよぎる。
「また会えるよね?」
別れの間際、彼は遠距離でも始めた愛しい恋人に告げるみたいに甘えて問う。彼は自分の魅力を十二分に知っている。
「茅葺くん、俺は――」
俺の唇は優しいキスで塞がれ音を無くす。
その問いに対する本当の答えなど彼は求めてはいないのだ。
――最初からイエス以外いらないのだから――。
誰も俺を待つことはない我が家に戻る。
案の定、希はバイトに出掛けたらしく留守だった。
いつものように鍵とドアを開け、ドアを閉め、中から鍵を掛ける。
今日は何故か自分が締める鍵の音がとても大きく重く響いて感じた――。
「また牢屋に逆戻り……か」
なんだかおかしくてひとり笑いが出た。
玄関が開く音がした。俺は読みかけの雑誌から目を離さずに「おかえり」と声だけ発した。チラリと希がこちらを見たのが視界に入った。
「ご飯は?」
「――食う」
返事を受けて俺は立ち上がり冷蔵庫に向かい、電子レンジのタイマーをセットする。タバコを吸い始めた希はいつも通り何も話さない。俺はこっそりと欠伸を零した。
「じゃあ、俺先に寝るね。おやすみ」
――もちろん希はこちらも見なければ返事もしない。
いつものようにベッドの端に寄って俺は目を閉じた。
――もし、俺が茅葺くんを好きになっても、茅葺くんはすぐ逃げちゃうんだろうな……。
……それだけは、わかる――。
またつまらない妄想をしてしまった。
俺は頭の先まで布団をかぶって早く眠るように自分に暗示をかけた。
ハードカバー小説の入荷分を棚に並べていると近くに誰かが立った。邪魔になるといけないので退こうとして相手と目が合った。俺は素直に驚く。
「――茅葺くん……」
「……今日、大学で会えなかったから――」
「木曜は授業ないんだ。っていうか、よく来れたね。急に辞めたバイト先なんかに」
いじめたつもりではなかったけれど彼は少しバツの悪そうな顔をした。
「いつなら――空いてるの?携帯で連絡出来ないから……。会いたい時はどうしたら良いのかなって」
その質問に俺の意思などやはり最初から彼には必要なかったのだと再確認する。
「――今日は、希いるから……」
「しゃあさ、大学のあの会えたトコ。ベンチ。昼休み来て?授業ある日はいてよ――。そこでまた話そう?ね?」
「……わかった。ここは希もたまに来るから」
「わかった。じゃあ、絶対、絶対またね」
彼は縋るように俺の手を強く握り、真っ直ぐにこちらを見た。わかりやすいほどに熱い視線だ。彼には隠す気などないのだろう。俺が頷くと嬉しそうに顔を綻ばせた。腹が立つくらいに可愛い顔だった。
用件を済ませた彼はそそくさと店から出て行った。「今のお客さん、茅葺くんじゃなかった?」と同僚の一人がそばに来て告げたので「違いますよ」とだけ返した。
フライパンに入れた鶏肉が高温の油に漂いながらパチパチと弾けた音を立てている。居間で新聞に目を通しながら希は思い出したように口にした。
「なー、あいつってバイト辞めたの?」
「あいつって、茅葺くんのこと?うん、辞めたよ。次の日にはいなくなってた」
「仕事が早いなあいつ!」ケラケラと希は笑った。そして含みのある声で「寂しい?」と付け加えた。
そこで初めて希に視線を向けると希もこちらを見ていた。
「俺以外とヤったの――あいつが初めてだろ?」
希の顔にはもう笑顔はなかった。俺はフライパンに視線を戻す。希の空気が変わったのをすぐに背中で感じた。
「ンだよ!その顔は!!」
「痛ッ」
後ろで一つに結んだ髪をまとめて鷲掴みされ後ろに引かれた。身体ごと自然と希と向かい合う形になる。
「別に――寂しくないよ」
答えると間髪入れずに頬を打たれた。想定内だ。
――なんで答えればよかったの?どっちにしても殴るのに……。俺は心の中でだけボヤいてみせる。
「サッサと作れよ!」
酷く面倒そうに告げると希はまた新聞の続きを広げた。
「……はい」と、ヒリヒリと痛む頬を撫でながら俺は静かに返事をした。
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