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Ⅱ-4

 彼の住むマンションに来るのはこれで二度目だった。あの時はこれが最初で最後になるんだろうと自分は思っていたはずなのに……。 「服脱げる?」  心配そうな声でこちらを伺い、茅葺くんは着替えのパジャマを渡してくれた。 「修学旅行以外で外泊するの――いつぶりだろう……」  俺が的外れなことを話したせいなのか、茅葺くんは少し不満げな表情を浮かべ俺の着ているシャツを捲り上げた。急に動かされたので「いててて」と思わず声が出た。  自分よりもワンサイズ大きな彼のパジャマに袖を通すとなんとなく気恥ずかしくなった。我ながら下らないと思う、それ以上のことを散々しておいて今更だ。  ペットボトルの水を渡されて、キャップを捻ろうとしたらそれはすでに緩めてあった。  じっとりとした目で彼を見たら不思議そうに首を傾げられた。なんだかオンナノコ扱いされたような気分だ。  喉を流れる水はとても甘く、身体の中に染み渡るかのように感じた。口の中はヒリヒリと多少痛みはするけれど、自分の身体が酷く乾いていたことを実感した。  ボトルから口を外して「はぁ」と幸せそうに安堵のため息をつくと、茅葺くんはクスリと小さく笑って俺の頰を撫でた。肌に触れた彼の優しい指先の感触が心地良い。 「希の――」  その名前を俺が口にした途端、彼の空気はピリリとささくれる。優しい眼差しが厳しいそれに変わっていた。 「希のしていることは茅葺くんからすれば、ただの暴行や犯罪だって言ったよね」 「――取り消すつもりないから」  拗ねた子供のように吐き捨てると、彼は俺から視線を逸らした。思わず俺の口から笑みがこぼれる。 「希はね、いつまでも子供で――俺が言う通りにならないのは我慢ならなくて、すぐにキレて、俺を殴る。――絶対に謝りはしないけど、俺にバレないようにいつも後悔しては、一人で静かに泣いてる――」 「だからって!」 「家のこともなーんにもしないし、手伝わない。でも家事のことで俺に文句は言わない。料理だってサッサとしろと怒るけど、マズイって一度も言われたことはない――。まあ、うまいもないけどね。あと絶対に残さない」  淡々と話す俺の顔に茅葺くんの視線がゆっくりと戻って来る。ようやく目が合ったので一度微笑みかけたが、不機嫌な視線が治ることはなかった。 「人として許されないようなこと――してるかもしれない。けど、それを許して来たのは結局全部俺だから――。希は――、本当はその事に何よりも一番、腹を立てているのかもしれない――」 「…………泉さん――」  彼はとても複雑な表情をしてみせた。助けてもらっておいて希を庇うようなことを言う俺に腹を立てたのかもしれない。当然だ。  彼は静かに俯き、俺の手を取って自分の両の手で包み込んだ。まるで壊れないように、そっと。 ――彼を愛せたら。俺はきっと、幸せになれるんだろう。彼が俺からすぐに離れて行ったとしても、少しの間だけでも、彼と一緒にいられたらそれだけで、今までの辛いことをひっくり返せるくらい深くて濃密な日々を送ることが出来るんだろう――。    俺にはそんな資格ないのに――。    泣いてしまいそうな胸に込み上げて来た感情は、彼のキスで止められた。怪我をした俺を気遣って、触れるだけの本当に優しい、彼らしいキス。  唇を離した彼はいつもの優しい笑顔に戻り、その長い指で俺の髪をすいた。 「横になって、もう休みなよ」 「――ありがとう」  こんな言葉しか、今の俺には返せない。  これ以上の言葉は優しい茅葺くんには重過ぎて、酷過ぎて……。  彼を俺の贖罪に巻き込んではいけない――。 「ごめん、茅葺くん。俺は――君のこと利用してる……」 「――大丈夫。わかってて俺は泉さんと会いたいって言ったんだ――」  子供を寝かしつけるみたいに彼は俺の頭を何度も撫でてベッドの中に意識を沈めさせて行く。茅葺くんの匂いが俺の中に充満していて、まるで彼に守られて、包まれているみたいに思えた。 「泉さんはバカだよ。普通そういうのは黙っててこその"利用"なんだよ」 「そうなんだ?」と、俺はほんの微かに笑って答えた。  その夜、俺の携帯は、一度も希からの着信を伝えることはなかった――
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