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Ⅲ-1

 部屋の中が朝日でゆっくりと明るくなり、床に寝ていた茅葺はぼんやりと目を覚ました。  寝ぼけながら上半身だけ起こし、目線の先のベッドから泉の姿が消えていることに気付いた。  まさか黙って一人帰ってしまったのかと焦るが、背後から人の気配を感じて慌てて立ち上がる。 「泉さん……」  台所に立つ泉を見て安堵し、それを確かめるように名を呼んだ。 「茅葺くん、おはよう」 「……おはよう、ございます」  振り返り泉は優しく微笑む。台所からは味噌汁のいい香りと、置かれた和皿には綺麗に巻かれただし巻きが乗せられている。 「寝癖。すごいよ」  泉はくしゃりと顔を綻ばせ笑う。豪快に跳ねた後ろ髪を照れ臭そうに茅葺は抑えた。 「茅葺くんって料理するんだね、色々揃ってたから。勝手してごめんね」 「あ、いえ……」となぜかかしこまった返事を寄越す。  泉も不思議に思ったのか横に並んで立つ茅葺の顔を見上げる。その顔はなんだかソワソワしているようにも見えた。 「なんか、コレ、ヤバい」とヘラヘラした口元で茅葺は漏らす。 「なに?」  そう聞き返すと同時にキスされた。泉は一瞬驚いた表情をしたが、素直にそれを受け入れ、瞼を閉じた。 「――もっと、したくなった……」  ポツリと耳元で茅葺が囁く。答える代わりに今度は泉から口付けると、茅葺の手が伸びコンロの火が消された。 「――ごめんね、痛い?」  身体を動かすたびに眉をぴくりと動かし、苦い表情を見せる泉が心配で茅葺から不安げな声が出る。 「平気……」  平気なわけはないだろうにと、茅葺は内心思ったが口にしてまで否定はしなかった。  泉の全身は所々赤紫色に内出血していて、肩や頰に貼られたガーゼからは血が滲んでいた。痩せた身体が余計に痛々しさを倍増させて見せる。 「今日はじっとしてて?」  茅葺の思いやりの言葉に泉は不服だったのか、拗ねたような表情で「つまんない」と口を尖らせた。 「もう、何言ってんの。それに、じっとしてても泉さんスゲーじゃん」  ボヤくように告げた茅葺に泉はイタズラっ子みたいな意地の悪い笑顔をしてみせた。 「うわ! 悪い顔〜!」  抱きしめた腕の中で泉はとても無邪気に笑っていて、茅葺はこの幸せがずっと続けば良いのにと素直に心から思った。こんなに綺麗な顔をして笑う泉をどうしてあの男は無茶苦茶に壊せるのか、どうしても理解出来なかった。  そして、それ以上に受けた痛みの全てを許している泉が茅葺には何よりも信じられなかった――。  茅葺は全身を痛めている泉を気遣って横向きに寝かせたまま後ろからそっと抱き締めた。強く抱き締めたい願望を押し殺して大切にくるむように抱いた。  自分のすでに露骨になっていた欲望を泉の身体に沈めると、繋がった場所は酷く熱くて、キスの何倍も溶けそうに気持ちが良かった。泉の胸に回した手を上からぎゅっと強く握りしめられ茅葺はたまらない気持ちになった。  この手をこのまま繋ぎ止めておけるならどんなに良いか――。  ずっと離さないでいて欲しいと心の中でだけで茅葺は切望し、泉の一番深い場所まで進んだ。  泉から漏れる甘い声だけが茅葺の鼓膜に溶けていく。 「ごちそうさまでした!」 「はい、おそまつさまでした」  両手を胸の前で合わせ、茅葺は食べ終わった食器を重ねる。一人暮らし用の小さいローテーブルに二人でくっつくように座って朝御飯を済ませた。茅葺は満足そうに茶を啜る。 「俺さぁ、最初泉さんの第一印象、スッゲー暗い人! だったよ」 「うん、合ってるよ? 俺、暗いよ」  湯呑みを口に当てたままで目だけこちらを向き、泉は答えた。茅葺は不服そうに顔を泉に近付ける。 「違うね! あれはわざとそういうキャラ作ってた!」 「キャラ?」クスクスと泉は笑った。 「ほら! ソレ!」 「え? 何?」 「笑顔がエロいんだって!」 「何それ」 「エロい、かわいい、エロい」  呪文でも唱えるかのように茅葺はブツブツと繰り返しながら泉の頰に何度もキスをする。肩を竦めながら泉は笑い「変な人」とだけ返した。  泉が着てきた服がようやく乾いて、泉はすぐにそれに着替えた。落ち着かない様子で茅葺はじっと眺めている。 「――じゃあ、帰るね」  それは想定していた言葉だったが茅葺は慌てた。 「でもっ」 「大学の本も全部家だし……いつまでもここに居たら迷惑だし」 「迷惑なんかじゃないよ! 荷物なら俺も一緒に取りに行くから!」 「大丈夫」 「何が! 何が大丈夫なんだよ!」  苦しそうに話す茅葺を諭すように泉はその頰を優しく撫でた。 「やだよ、泉さん。やだよ!」 「茅葺くん。本当にありがとう」 「――やだよ、泉さん……、泉さん……」  親と引き離される子供のように茅葺は泉の肩にしがみついて何度も名前を呼ぶ。その小刻みに震える背中をただ泉は優しく撫でた。  そして、瞼を閉じ、ため息混じりに告げる。 「茅葺くんはあったかいな……」 ――それが茅葺と泉の最後の会話だった――

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