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第二話『 Shaker 』 下

       二人はその後、事務所の近場にあるフランクなカフェに入ることにした。  その店はランチメニューもある為、桔流もちょくちょく立ち寄るカフェだったのだが、どうやら花厳もそうだったようで、二人を出迎えた店員がやや驚いたような顔をしていた。 「お二人ともお知り合いだったんですね」  それぞれが頼んだ食事を運んできたなじみの店員が楽しそうにそう言いながらことり、ことり、とテーブルに皿を置く。 「俺がよくお邪魔してるお店のバーテンダーさんなんですよ」 「ご贔屓にして頂いてて」  二人揃ってそう答えると店員はまぁ、とまた嬉しそうな表情を作った。  そうしてやや短い会話を交わし、一礼をして去っていく店員を見送り、改めてお互いに向き直り、いただきます、と食事に手を付け始める。  その中で、桔流は逃がさんとばかりに先ほどの話題を切り出す。  「花厳さん。俳優って事は、ドラマとか映画とか出られてるんですか?」  再びの追及にややギクリとしたような反応を示し、逃がしてもらえないのだと観念した花厳は答える。 「あ、いやいや、映像メディアにはそんなに出てないんだよ。どっちかっていうと舞台とか……後は教える方が多いかな」 「えっ、技術指導もしてるんですか?」 「うん。というか、講師の仕事の方が本職。今、舞台の方は講師の合間に、って感じなんだ」 「そうなんですか。俳優なんて、すごいですね……」  自分は役者向きではないと自覚のある桔流は、その険しいであろう道を歩んでいる花厳に素直に尊敬の念を込めてそう言った。  するとまた照れたように、大したことはないんだよ、でも、ありがとう、と花厳は言った。 「でも、そしたら、一応ちょくちょく舞台もあるんですか?」 「そうだね、年に何回かは」 「えぇっ、結構あるじゃないですか。今度お知らせ下さいね」 「えっ! そ、それはちょっと」 「お嫌ですか?」 「いや、さすがに恥ずかしいものが」 「役者さんが何を仰るやら。あ、そうだ、俺が雑誌の表紙になってるの見たんですよね?」 「え˝っ……あ、えーと……うん」 「ではお相子という事で、お知らせ、楽しみにしてますから」  桔流はにこりと微笑む。  それに対し、やってしまった、というような表情をした花厳はその後、次の舞台のお知らせを桔流にすることを約束した。  話によれば、花厳はアクション部門を専門としているらしく、アクション演出がある役どころや作品のオファーがよく来るらしい。  また、総合的な演技指導に加え、そういったアクション演出における技術指導も行っているのだそうだ。  花厳の体格が良いのも、まだ七分袖ほどで事足りる季節ゆえに見える腕回りの男らしさも、そういった面が理由だったのだと桔流は更に納得した。 「あぁそうだ、それと……」  食事を終え、食後に追加注文した珈琲を飲みながら、花厳は思い出したようにとある話題を切り出した。 「改めてだけど、この間の忘れ物の件。桔流君や法雨(みのり)さんたちにも迷惑をかけてしまったよね。申し訳ない」 「いえ、その……こちらも融通がきかず……」  先に頭をさげた花厳に対し、同じく申し訳なさそうに軽く頭を下げてくる桔流に、とんでもない、と花厳は言う。 「あんな丁寧に包装されたような物、中身がなんなのかもわからないのに店の為に使ってくれなんて言われたら普通困るよ。でも、それなのに預かってくれてありがとう。本当に助かったよ」  いえ、と返す桔流は、そう礼を言った花厳の笑顔に安心する事が出来なかった。  やはりまだ何かあるのではないか。  そう考えずにはいられず、桔流は無意識に花厳に問いかけていた。 「その……もう、大丈夫なんですか」  言葉を発してしまってから桔流はしまった、と思い謝罪する。 「あ、すいません。余計な事を……」  気まずそうにする桔流に微笑み、花厳は落ち着いた様子で言葉を返す。 「桔流君はあの包みの中身、なんだかわかった?」 「えと、あくまで予想でしたけど、指輪かな、と」 「うん、大正解。中身は指輪。本当はあの日、恋人にあげる予定のものだったんだけどね。色々あって渡せなくなっちゃって」 「色々……」 「気になる? ――といっても、大した話じゃないんだけど」  苦笑しつつやや首をかしげるようにしてそう言う花厳を見て、桔流は更に胸が痛んだ。  それと同時に、どうしても聞かなくては、とも思った。  理由は分からないが、自分の好奇心とは別に、花厳をこのまま放っておけないような、そんな気持ちになったのだ。 「気に、なります……。失礼ながら本音を言うと、指輪を預かってほしいと言われたあの日から、理由はずっと気になってて……。なので、聞かせて頂けるのなら、聞きたいです」 「そうか。じゃあ、つまらない話だけど、少し聞いてくれるかい」 「はい」  桔流はゆっくり頷き、花厳の目をまっすぐに見る。  その視線を受け、花厳は記憶を手繰るようにゆっくりと話し出した。  花厳には三つほど年の離れた恋人がいた。  その恋人の年齢は丁度桔流と同じ、25歳とのことだった。  年齢的に、28歳である花厳の方が年上だった事もあり、その恋人に対しては随分と遠慮をして過ごし、やや過保護気味であった為、相手がわがままをしやすい環境をつくってしまっていたらしい。  それゆえか、講師の仕事に加えて舞台の稽古でなかなか会えない日が続くと、いざ予定をつけても一日中不機嫌であったり、妙にプレゼントをせがむようになり、しまいにはプロポーズになるくらいの指輪をプレゼントしてくれないと不安だ、と言い出したという。 「――で、あの指輪……」 「そう」  当時の花厳は、恋人を不安にさせてしまっているのは自分なのだという申し訳なさもあり、せめても不安が解消されるなら、と指輪を購入した。  そして指輪を渡そうとしていたのが、桔流たちの働く店に訪れたあの日の事だった。  実はあの日、店に訪れた時には既に指輪は用なしになっていた。  というのも、あの店に来る前に花厳は恋人の働く店に出向いて、サプライズとして指輪を渡しに行こうと思っていた。  だがそのサプライズが仇となり、花厳はたまたま店の裏手で別の男と抱き合っている恋人を目撃してしまった。 「………………」  そこまで話したところで、相槌も打てず言葉を失っている桔流に苦笑しつつ、花厳はまた続ける。  それを目撃した花厳は、なんとも言えない心境にはなったものの、哀しさや悔しさよりも虚しさに加えて安堵を覚えていた。  きっと情熱的に愛してもらえる相手を見つけられたのなら、自分のところにいるよりもその方がいいだろうと花厳は思った。  だからそれを伝える為、少し時間をおいてから恋人にその旨と、抱き合っている現場を見てしまったという事を伝えた。  が、恋人から返ってきた反応は花厳を困惑させるものであった。  メッセージの送信後、すぐに電話がかかってきたのだが、電話口で発せられる言葉はどれも花厳への叱責だった。  ずっと自分に寂しい思いをさせ続けた花厳が悪い。自分は悪くない。  そう泣き喚くように怒鳴り続けた恋人に、花厳は一言謝罪し、別れを告げた。 「それじゃあ、あの時連れが来るかもって言っていたのは……」 「いつもね、寂しいって泣かれる時もこういう感じだったんだ。その後決まって今どこにいるのかって連絡して来たり、やっぱり話したい会いたいって言ってくるから。その日だけは、もしもの為にと思ってね」 「なるほど……」 「多分、店にいて自分の席がなかったらまた怒っちゃうから」  優しすぎるんだ、と桔流は思った。  きっとその恋人も、決して泣き喚きたいわけではなかったのだろうが、感情の制御が苦手で、恐らく言葉を伝えるのも苦手なタイプだ。  そして精神的に弱く、子供の面が強かった。  きっとそういった中でほとんど恋人と会えない状況が続き、不安と不満がたまり、結果としてそうなってしまったのだろう。 「あの子は悪くないんだ」  その恋人は本当に花厳を好きだったのだろう。だからこそ、自分の中の欲求が強く膨れ上がってしまった。  被害妄想も膨らみ、もしかしたら自分以外と一緒にいるのではないかと想像する。  そして精神が弱り、歪み病んでいく。  その状況に自分自身も混乱し、結果としてそのタイミングで手を差し伸べてきた相手にすがってしまった。  花厳からの最後の連絡が入った時の逆上も、恐らく恋人自身による心の自己防衛だったのだろう。 「花厳さんも、悪くないです」 「………………」  花厳は目を伏せ、桔流の言葉にどうにも返答ができずにいるようだった。  それを受け、桔流は静かに続ける。 「花厳さんが悪いなら、その恋人さんも悪いです。でも、恋人さんが悪くないなら、花厳さんも悪くないです」 「………………」  続けられたその言葉を受け、花厳は顔を上げて桔流を見る。 「お二人はお互いにちゃんと好きだった分、遠慮しすぎちゃったんだろうなって、俺は思います。でも花厳さんと違って、その方は耐えることがうまくなかった。花厳さんしか世界にいなくなっちゃうタイプだったんですよ」 「俺しか……?」 「恋は盲目、なんて言いますけど。ヒトによっては大好きな相手にすべてを使っちゃう子もいるんです。他のものは全部犠牲にして、そのヒトに自分の何もかもを費やしてしまうんですよ。だから、いつの間にかお互いの方向性やバランスが崩れて喧嘩ばかりになったり……」 「そうか。あの子は、そうだったのかな」 「多分、ですけど」 「……そっか」  また申し訳なさそうな顔で考える花厳に、桔流は続ける。 「でもその方は花厳さんに、自分がどれだけ花厳さんに時間を費やし、他のものを犠牲にしているかは言わなかったんですよね」 「うん……。他の人たちはもっと一緒にいられてるのに、とか寂しい、って言われるだけで、俺も仕事だから、としか言えなくてね」 「お互いにちゃんと気持ちを伝え合えなかった上、お互いの環境が合わなかった。それが乗り越えられていたら、また違ったのかもしれませんね」  仕事が忙しいと言われた。  どうしようもない事だと分かってはいるけど、でも寂しくてたまらない。  そういう話は幾度となく聞いた。  店にやってくる客の中には、ただ恋人といられぬ寂しさに身を焦がしている人々も少なくはなかった。  そして彼らには店がその気持ちのはけ口や安心剤になっていた。  ただ、花厳の恋人はそれが別のヒトになってしまった。  だからこそ、離別の結末となったのだ。 「そっか」  もう一度そう呟いた花厳に、桔流は苦笑しながら言った。 「色々、大変でしたね……」 「ははは、うん。大変だったかも……、ありがとう」  その後、その話の流れで花厳の恋人は男であったことも知った。  以前、花厳の職業についての話題と共に盛り上がっていた、花厳が“どれか”という点についても、その日に答えが出ることとなった。  花厳はバイセクシャルとのことだったが、彼との相性的に、女は特に長く続かないことが多いらしく、成人後は付き合うとしても男に限定するようになったらしい。 「今日はありがとう。なんだか変な話に付き合わせてしまって悪かったね」 「いえそんな、こちらが聞きたいといった事でしたから。辛い話だったのに、話してくださってありがとうございました」 「こちらこそ、桔流君に聞いてもらえて楽になったよ。また助けてもらっちゃったね。本当にありがとう」 「お役に立ててよかったです。それと、ごちそうさまでした」  いえいえ、と言いつつジャケットを着直す花厳に桔流は頭を下げ礼を述べる。  自分が知らない内に会計を済ませてきたらしい花厳に驚かされた桔流は、仕事が忙しいという点はまだしも、相性が悪くてフラれるという要素が見当たらなかった。 「今日は結局俺の話ばかりだったし、今度はまた普通に食事でもどうかな?」 「はい、喜んで」  そう微笑むと、花厳はまた爽やかな笑みで言った。 「今度は桔流君の話も聞かせてほしいな」 「俺の方こそ楽しい話題なんてないですけど、良かったら聞いてください」 「うん」  心なしか花厳の笑みに明るさが宿ったように感じた桔流は、改めて安心していた。  まだ完全でなくとも、また一つ肩の荷を軽くできたのならそれに越したことはない。  桔流はそんな事を思いながら、お互いの帰路の分岐点まで花厳と他愛のない話をして歩いた。        その日は、事務所にて次回の舞台に関する打ち合わせがあった。  長引くことなくスムーズに終了した打ち合わせの後、花厳(かざり)は決起会の決起会という不思議な理由づけのもと開催された飲み会に参加した。  そんな飲み会の後に帰路を辿っていると、今では行きつけとなったバーから見慣れた人物が出てきた。 (あれ……?)  バーから出てきた人物はそのバーのスタッフで、いつもそこで見かけるならばバーテンダーの装いがお決まりだったのだが、その日は珍しく私服だった。  仕事終わりかと思って遠目から見ていたが、すぐに一度店内に戻り再び顔を見せた時には、どちらかといえば可愛らしい面立ちの青年に肩を貸していた。 「お前さぁ、潰れると帰れなくなんだからそんな飲むなよ馬鹿だな~」  文句を言いつつも彼の顔はひどく楽しそうで、花厳の見たことのない砕けた笑顔を見せていた。 「ほら、帰ろうぜ」  そんな彼は酔いつぶれてしまった連れの青年に肩を貸しながら、呼びつけてあったらしいタクシーに乗り込んでいった。  やや離れた場所だったからか、彼は花厳に気付かなかった。  花厳はそんな彼を乗せて遠ざかっていったタクシーをぼうっと眺め見送る。  花厳はその時、数日前に自分に向けられていた彼の笑顔を思い出していた。  そのまま彼の笑顔は脳裏に張り付いて離れない。 (あぁ、そうか……)  そして花厳は気づいた。 (また、一歩遅かったな、俺は)  心の中でそう呟き、苦笑する。 (桔流(きりゅう)君にはもう、恋人がいたんだな……)  今更気付いても遅いんだよ、と小さく呟き、花厳は再び帰路についた。       「おやおや、御影(みかげ)。また潰れちゃったのかい?」  稲荷神社に面した大きな平屋の玄関で、同居人とその友人を出迎えた白髪の男がそう言いながら苦笑した。  ホッキョクギツネ族の亜人であるこの男は名を樹神(こだま)と言い、その稲荷神社の若い神主であった。 「う~……」  そして桔流に肩を借り、何とか住まいに辿り着き、玄関でうめいているのは、この稲荷神社で神主の手伝いであるカラカル族の青年。名は御影という。 「ったく、ちょっと目ぇ離すとすぐこれだ」 「ふふ、いつもすまないねぇ桔流君。君も少し休んでいったらどうだい?」 「いえ、俺、明日また仕事なんで、すぐ帰って寝ちゃおうと思います」  おや、そうかい、と穏やかに言った樹神は、手荷物が大丈夫なら、と桔流に日本酒を差し出す。 「えっ、いいんですか! これ、珍しいやつ」 「もちろん。丁度二本頂いてね。いつもの御礼に」 「有難うございます!」  満面の笑みを浮かべ、心から喜んでくれているらしい桔流に微笑み、樹神は言った。 「じゃあ、そこまで見送ろう」 「あ、大丈夫です! タクシー待ってもらってるんで。それと、俺より御影なんとかしてやってください」 「ふふ、すまないね。ありがとう」  気を付けてね、と言った樹神に、酔っているせいかいつもより子供っぽい笑顔をたたえて一礼した桔流は玄関を出、神社の階段を下ってゆく。  待たせていたタクシーの運転手に、すいません、お待たせしました、と言いながらタクシーに乗り込む。  自宅に帰りつくまでの間、桔流は数日前に次回は普通に食事でも、と花厳と約束した事を思い出していた。  (せっかく美味い酒貰ったし、花厳さんが良いなら家でもいいかもな……)  ふとそう思い至り、先日交換した花厳の連絡先をディスプレイに表示する。 (近いうちに連絡してみよ……)  

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