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第二話『 Shaker 』 上
バーは、他の飲食店とは違う独特の雰囲気を持った夜の店というイメージをよくされる。
そんなバーという場所で働き始めてから数年間。
客も同僚も含め、様々なヒトと関わりをもつこの仕事で、他人の過ごす平凡な人生から異常過ぎる人生、そしてその悩みや喜び、生き様なども様々見聞きしてきた。
そんな桔流 だったが、大切な誰かに渡す予定だったのであろう品を店に忘れた挙句、金に換えて店の売り上げの足しにしてくれ、などと頼み込んできた客はその男が初めてだった。
(……で、また普通に来るし)
これまでの様々な事を回想していた桔流は、ドアベルの音につられ店の入口を見つつ心の中でそうこぼす。
“いつも通りの曜日と時間”に来店した男を出迎えた同僚に、彼は爽やかな笑顔で挨拶をする。
あんな突拍子もない申し出をした後にも関わらず、その後から男はちょくちょくと店に来るようになり、今では毎週末に一度は来店するほどの常連客になっていた。
(ほんと、外見が恵まれてるヒトほど、中身変わってること多いよな……)
心の中でそうこぼしながら、桔流はひとつため息をついた。
―ロドンのキセキ-瑠璃のケエス-芽吹篇❖第二話『Shaker』―
「花厳 さんのお出迎えできちゃった。ラッキー」
嬉しそうに小声でそう言いながら、男の最初のオーダーを受け取ってきた同僚が上機嫌に尾を振りつつカウンターまで帰ってきた。
「花厳さん、ほんとかっこいいよね~。桔流 と同じでモデルさんとかなのなぁ?」
「さぁな。てか、気になるなら訊いてみりゃいいじゃん」
「それがさぁ聞いてよぉ」
桔流はその同僚の言葉を不思議に思いつつ、素直に話を聞くことにする。
「なんかねなんかね、“ちょっと恥ずかしいので秘密です”って全然教えてくれないんだよぉ? もうそのせいで余計気になるぅ~!」
「恥ずかしいって……。なんかあのヒトにそう言われると、地味な仕事で恥ずかしいのか派手な仕事で恥ずかしいのかわかんねぇな……」
「でしょぉ?」
気持ちが昂ったのか、うぅ~、と言いながら落ち着かない心につられ、カウンター下で尻尾をふりまわす同僚をとりあえず宥める。
同僚が先ほどから花厳、と言っているのはほかでもない、先日の突拍子もない申し出で桔流を散々困惑させた、あのクロヒョウ族の男の事だ。
彼がすっかり常連客になってからは、その顔立ちや体格の良さから店のスタッフの面々に大人気の人物となっている。
「後さ後さ……桔流的に、どれだと思う?」
「んー……それも見極め難易度高い……」
「やっぱりぃ!? そうだよねぇ~、もう~気になる事だらけぇ~っ、心臓と脳みそどっかいっちゃいそう……」
「どんだけ気になってんだよ……」
この店のスタッフは全員男だ。
よって、先ほどから気持ちの昂りが隠し切れず、尾を床に叩きつけながら悶えているこの同僚も、外見は可愛らしい面立ちなのだが列記とした男である。
そして先ほど彼が言った“どれ”というのは、いわゆる“ヘテロ”か“ゲイ”か、あるいは“バイセクシャル”か、という事だ。
ㅤ彼らの世界では同性愛への偏見はないに等しいが、それぞれの性的指向に対しては一応そういった名称でのカテゴライズがなされている。
「もしかして……」
はたしてどれか、をつられて考えていた桔流は、ふととある可能性に思い至る。
「な、何!?」
その一言に食いついた同僚は縋り迫るように桔流の言葉を促す。
「花厳さんって体格も顔も良いだろ? でもその上であの人が恥ずかしくて言えない職業って、もしかしてAV男優とかなんじゃ、って思って……」
「えっ……えぇ~~!?」
一応小声でのやりとりではあるが、動きが大声になっている同僚を桔流が嗜める。
「ちょ、うるせぇって」
「あ、ごめんつい……でもなんか……わかるかも……も、もしかして本当に――」
「そこのおバカコンビ。そういうのは休憩中か心の中だけで盛り上がりなさい」
後ろからぬっと現れた法雨 に尾の根元をぐいっと引かれ、二人で驚く。
「わぁ! 法雨さっ……いたっ」
「その騒がしい尻尾で酒瓶割ったらお仕置きするわよ」
「や、やだぁ~……ごめんなさい……」
ㅤそうしてまず同僚が先に叱りつけた後、法雨は桔流の尾をもう一度引いて言った。
「それと桔流君。アナタもこの子を焚き付けるような発言は事務所でしてあげてちょうだい」
「は、はい。すいません……」
言うのは良いんだな、というのは心の中に留め、桔流も素直に謝る。
そんな賑やかなやりとりの後、桔流が花厳のテーブルに料理を運ぶことになった為、先ほどのやりとりを静かに懺悔しつつ料理を運ぶ。
「お待たせ致しました、子羊のソテーです」
「ありがとう」
「畏れ入ります。あ、お飲み物のおかわりはいかがですか?」
料理を運ぶと、ちょうどグラスが程よく減っていたので、流れの中で桔流は追加のオーダーを尋ねた。
花厳は少し悩んだ後、グラスワインを注文しつつ、ふと思い出したように言った。
「あ、そういえば桔流君」
花厳は一度聞いたスタッフの名前を覚えるタイプで、基本的にはスタッフたちを名前で呼んで接していた。
桔流は、そんな花厳の声がけに笑顔で対応する。
「はい、なんでしょう?」
接客スマイルを作らずとも自然と笑顔で接客できてしまうタイプの客というのがいるが、花厳はまさにそういうタイプの客で、名前を呼ぶにしても嫌な馴れ馴れしさを感じさせず、スタッフにも常に丁寧に接していた。
その為、桔流自身も花厳に悪い印象はもっておらず、話す時は楽しいとも感じていた。
そんな花厳は、桔流にある事を尋ねた。
「もしかしてなんだけど、桔流君ってモデルさんだったりする?」
なげかけられた質問はなんということはない、桔流にとっては幾度となく客たちから投げかけられてきた問いであった。
桔流は驚くでもなく、いつも通りの笑顔で答える。
「えぇ、そうですよ」
「やっぱりそうか。この間、雑誌の表紙になってたモデルさんが桔流君にそっくりだったから。もしかしたらと思ったんだ」
「ふふ、大正解でしたね」
桔流がそう言って微笑むと、花厳はくすくすと笑ったが、次いで思い至ったように小声で尋ねた。
「あ、でも、訊いて大丈夫だった?」
そう気遣いをする花厳に、桔流は安心させるように言う。
「えぇ、大丈夫です。隠してるわけじゃないんですけど、モデルは兼業みたいなもので。どちらかというと自分はこっちの方を本業にしているんです」
「そうなんだ。この仕事が好きなんだね」
「はい」
凄くぴったりだと思う、と微笑む花厳は、
「それにしてもモデルなんて凄いね……どうりで美人さんだと思ったよ」
と続けた。
桔流はそれに対し、何も出ませんよ、と笑いつつ素直に礼を述べた。
そしてそれと同時に、口元だけ笑顔のチベットスナギツネのような表情を心の中で作り
(花厳さんみたいな爽やかイケメンに言われてもな……)
と呟いた。
そうして、オーダーや提供を担当するスタッフが、毎回裏で行われるジャンケン大会の勝者だという事を知らない花厳は、その日も料理と食事、そしてスタッフとの会話を楽しみ、バーでの時間を過ごしていた。
因みに桔流は、いや、俺はやんねぇよ、とそのジャンケン大会には参加していない。
「あ、そうだ」
運悪く退勤時間を迎えた別のスタッフたちが嘆きながら事務所に戻って行った後、桔流は花厳の会計に呼びつけられた。
会計を済ませ、預かったカードを返すと、ありがとう、と言った花厳が続ける。
「あの預けたままの忘れ物、もしかしてまだ預かってもらってたりするかな」
「あ、もちろんです! 大切なものだと思いましたので」
そうか、と花厳は苦笑する。
「なんだか、俺の我儘で迷惑をかけてしまって申し訳ない。やっぱり受け取ってもいいかな」
「はい、少々お待ちください」
桔流は花厳の申し出を受け、心なしか自分の心が喜んでいるのを感じつつ、あまり表情に出ないよう手早く法雨に事情を話し、品物を受け取る。
再びフロアに戻り、テーブルで待ってもらっていた花厳に丁寧に品を渡す。
「ありがとう」
そう言った花厳は苦笑はしていたものの、どちらかというと気恥ずかしいような印象の笑みを浮かべており、苦しんでいるような印象はなかった。
そんな表情を見て桔流は、もしかしたらやっと……と思った。
もしかしたら彼は、改めてこれを渡せることになったのではないか。
桔流はそう思い、もしそうなら自分も嬉しいと感じていた。
何よりも、安心して返せるという事が嬉しかった。
中身がなんだったのかはついぞ知る事は出来なかったが、持ち主の元に帰って、更には届けられるべき場所に届けば何よりだと思ったのだ。
(……でも、このヒトはそうじゃなくても笑うんだろうな)
桔流は、彼の一面として、何かがあっても無理をして笑うタイプだとも感じていた。
だからこれは、本当は無理をしているのかもしれない。
店に迷惑をかけていたが為だけに、辛い気持ちと戦いながらも受け取ってくれたのかもしれない。
そんな風にも考えてしまう自分がいた。
(――って、余計な事考えすぎなんだよ、俺……)
店の前まで出て短い会話を交わした後、笑顔で花厳を見送り一礼しつつ自分を窘める。
(どっちにしてもこれでいいんだ。ヒトは辛い事も嬉しい事もどっちもあって、ぶつかって悩んで自分で乗り越えて生きてくわけだし……これでいいんだ)
歩いてゆく花厳の後ろ姿をある程度見送った後、桔流はそう考えながら店に戻った。
花厳 に指輪を渡した日から数日後、桔流 は昼過ぎに雑誌モデルとしての撮影を終え、撮影所を後にした。
いつも仕事をしに行く撮影所は、自分の所属する芸能事務所の近場にあり、またその所在地は自分の勤めているバーのある地区でもあった。
更には、撮影所からも歩いて帰宅できるほどの距離に自宅もあり、桔流にとってその地区は我が庭のようなものだった。
(昼飯、何食おうかな)
その日はバーでのシフトも入っておらず、午後はフリーの状態であった。
その為、ゆっくりとランチを楽しもうと考えていたのだが、久々の半休で沢山ある行きつけの中からどの店にするか、いまだに決められずにいた。
ひたすら悩みながら歩いていた桔流が、ちょうど自身の所属する事務所のビル前を通過しようとした時、そのビルから何者かが出てこようとしていた。
(え……?)
そのビルはすべて、その芸能事務所の所有スペースとなっていた。
そして、そのビルから出てきたという事は桔流の知り合いか、あるいは関係者の可能性が高い。
その為、必要があれば挨拶をしようとその人物を見た桔流は静かに目を見開いた。
今ビルから出てきた人物も、驚いた様子で立ち止まっている桔流に気付き、同じようにやや目を見開く。
「えっ……花厳さん?」
桔流は混乱する中、ようやくその一言を絞り出した。
驚いた様子を見せた花厳だったが、すぐいつもの爽やかな笑顔をつくり、桔流に挨拶をした。
「やあ、桔流君じゃないか。まさかお店以外で会う事があるなんて思わなかったよ」
平静かつ爽やかにそう挨拶をしてくる花厳に、いやそうじゃねぇだろ! と心でツッコミを入れつつ、
「俺もです……」
と、桔流はすっかり素の一人称で対応した。
桔流の脳内ではもはやそのような事を気にできる状態ではなく、なぜ芸能事務所から花厳が出てくるという事が起こるのか。
モデルなんて凄いねなどと言っていたあんたは本当は何者なのか。
そんな疑問たちが桔流の思考を支配していた。
「あ、あの花厳さん……事務所に用事だったんですか」
「えっ、どうしてそれを」
「そこ、俺も世話になってる事務所ですから」
「ええっ」
どうやら、桔流がこの場所を事務所だと知らないと想定し、いつもの爽やか対応でこの場を乗り切ろうとしていたのだろうが、運悪くそこは桔流のよく知る芸能事務所であった。
それゆえに、花厳は自らが“芸能関係者”であるという点をごまかせない状況となっていた。
更に桔流が追い打ちをかけるように問うた。
「花厳さん。お仕事って、何をされてるんですか……」
花厳に改めて忘れ物を返した日。
同僚とひたすら考えあぐね、花厳はAV男優なのではないかなどという発想にまで至ってしまったものの、あれ以降も桔流が花厳に職業を尋ねることはなかった。
だが今、花厳が言い逃れのできない状況で、ついに桔流は花厳の職業における真相を追及する事になった。
「あぁ……ええっと、その、役者的な感じ……かな」
これまでの爽やかさとは相反し、言い逃れが出来ないと判断したのか、花厳は大変歯切れの悪い調子でそう答えた。
「役者? 役者っぽい感じって、まさか花厳さん俳優なんですか?」
いまだに混乱する脳内で、男優という点は合ってたのかなどとよくわからない答え合わせをしていると、照れくさそうに花厳が答える。
「俳優って言われるとなんだか気恥ずかしいけど、うん。そうなんだ」
どうりで顔も体格も良いわけだ、と桔流は心底腑に落ちたような気分になった。
そんな桔流を見やりつつ、花厳はなんとか話題を切り替えようと試みた。
「ところで桔流君は今日、買い物か何かかい?」
「え、いえ、さっきまで撮影があったんで、その帰りです」
「そうだったんだ、お疲れさまでした」
「花厳さんも、お疲れ様です」
そう言うと、幾分か和らいだ表情でありがとう、と花厳は答え、そうだ、と続ける。
「桔流君、これからの予定は何かあるのかな?」
「え? いえ、今日はこの後1日フリーです。これから遅めの昼にしようと思ってたんですけど、何にするか決まらなくて」
「そうだったんだ。実は俺もこの後フリーなんだ。昼もまだだし、改めてこの間のお詫びもしたいし。よかったらこれから一緒にどう?」
「え、ご一緒していいんですか?」
「もちろん」
「嬉しいです。じゃあ、ぜひ」
桔流は、このままでは昼飯時を過ぎても店を決められずに悩み抜いてしまいそうだったので、花厳からの提案に喜んで賛同する事にした。
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