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第一話『 Recipe choice 』
その世界では、ヒトの身体の一部に獣の耳や尾などをもつ“亜人 族”と、主に四足歩行で生活する、言語を持たない“獣 族”という、その二つの種族が共存している。
その世界は、亜人たちの知恵により文明が発展し、住まいや環境、科学や医療も充実していったが、そのような時代の流れがあっても、その二つの種族は現代に至るまで、争う事なく共存している。
そんな“Luna ”と呼ばれる世界にもまた、月日を示す暦や巡りくる四季があるのだが、ちょうどその頃は、涼しげな風が吹き始め、穏やかに季節が移り変わろうとしている時季であった。
そんな、ある年の夏の終わり頃。
とある亜人たちの人生に、大きな転機が訪れようとしていた。
―ロドンのキセキ-瑠璃のケエス-芽吹篇❖第一話『Recipe choice』―
飲食店というものは、季節の移り変わりに過度なほど敏感で、巡りくる季節に急ぎ足で順応しようとする傾向がある。
それは飲食店のジャンルに問わずよくみられる事で、レストランや喫茶店、そして酒をメインとして取り扱う居酒屋やバーなども同様だ。
それゆえに、夏の終わりともなれば既に秋の味覚に関したメニューや、秋らしい果実をベースとするドリンクやカクテル、そして秋物のワインなども仕入れられる。
そんな日も、彼は体感するより少し早めに秋色に移り変わった店内メニューを整え、次の来客に備えテーブルリセットを行っていた。
「すっかり涼しくなってきたね」
彼が整えていたテーブルの近くに座っていた常連客が、穏やかな調子で話しかける。
バーテンダーの装いをし、真っ白な毛並みにダークグレーを交えた毛色をもつ彼は、その艶やかな髪や尾を揺らし、常連客に微笑み返しながら対応をする。
「そうですね。夜は特に」
「だよねぇ。はあ、もう夏も終わりかぁ、寂しいなぁ」
「夏、お好きなんですか?」
微笑みながら常連客にそう問いかける彼は、尻尾のように伸ばした後ろ髪を細く三つ編みにし、肩から前に垂らした髪型が特徴的であった。
「そう! 俺、夏が一番好きなんだよねぇ。桔流 君は? 夏、好き?」
桔流、と呼ばれた彼は、エメラルドグリーンの瞳を揺らがせ、少し考えるようにしてから答える。
「うーん、そうですね。自分は、少し苦手かもしれません」
「ははは、そっか。桔流君は冬が似合うもんね」
ほろよい気味で上機嫌な常連客はそう言って微笑む。
それに桔流も微笑み返す。
常連客が、“桔流には冬が似合う”と言ったのは他でもない、彼がユキヒョウ族の亜人であるからだった。
かつては、種族らしい地域に暮らしている亜人たちも多かったが、文明が発展し、居住環境を様々な機器で各々に快適な環境へと調整できるようになってからは、どの種族であろうともそれぞれの好みの地域に住まうようになった。
それゆえにユキヒョウ族である桔流も、極寒とは程遠い、都会の地で生まれ育った。
「あ、秋の新メニュー、召し上がってくださってるんですね」
「うん、やっぱり新メニューには釣られちゃうよね。今年のも凄く美味しいよ」
「有難うございます。お口に合いましたようで嬉しいです」
「こちらこそ、心も舌も大満足だよ。あ、それと、雑誌もね。相変わらずかっこよかったね。桔流君が表紙の時はつい買っちゃうんだよ。目の保養にもなるし」
「ふふ、そちらもご贔屓にして頂いて有難うございます」
桔流は常連客に改めて一礼をし、称賛への礼を述べる。
この常連客が言うように、桔流はこのバーのスタッフでもあるだが、それと同時に雑誌モデルも兼業していた。
だから度々こうして雑誌を見た、という話題をふられる事も多かった。
そんな常連客との会話を楽しみ、再び一礼をしてテーブル席からバーカウンターの方へと戻る途中、桔流はとあるテーブル席を見やる。
(あれ、まだ来てないのか……)
桔流がそう思いながらちらと視線を向けたテーブル席には、黒髪の男が座っていた。
一見して、艶のある真っ黒な毛並みをもつクロヒョウ族の亜人だとわかる。
また、その男の顔立ちはずいぶんと整っており、体格もややがっしりとした印象であった。
その一人客の男は入店時、連れが来るかもしれないので、と申し出た為、桔流がテーブル席に通した客だった。
恐らくそうして案内してから一時間近くになるのだが、いまだに“連れ”とやらは現れていない。
当の本人も、店の入り口を伺うでもなく、たまにスマートフォンを確認する程度で、それ以外は酒に口をつけつつ読書にふけっているだけだった。
(元から遅れる予定だったのかもな……)
またひとつそう考え、ディスプレイの光に照らされたその男の金色の瞳を記憶に残しつつ、桔流はそのまま店の奥へと入った。
「あら、お疲れサマ」
「あ、法雨 さん。お疲れ様です」
店の奥に入ると、ちょうどフロアに出ようとしていた店長の法雨に声をかけられた。
オセロット族の亜人である法雨は列記とした男なのだが、その口調からもわかるようにオネェと呼ばれるタイプのヒトである。
また、中性的な外見かつ美人であることや、レモン色にダークブラウンのメッシュを入れた長めの髪を、いくつかの段に分けて切り揃えた特徴的な髪型にしている事から、たまに女性に勘違いされる事がある。
そんな彼の性格はといえば、まさに姉御肌といったところだ。
「法雨さん」
「なぁに?」
カウンター内でしゃがみ、棚の中の商品在庫を確認している法雨に、桔流も同じようにしゃがみ、やや小声で声をかける。
「やだちょっと、愛の告白なんて受けられないわよ」
「ち、違いますよ」
法雨が手に持っていたボードを桔流と自分の間に立て、壁を作りながらそう言うので、ボードを倒すようにして桔流が続ける。
「そうじゃなくて、あの、クロヒョウ族のお客様。まだお連れの方いらしてないんですね」
「え?あぁ、そうみたいね」
冗談交じりのやりとりを交わしつつ、再び在庫確認をし始めた法雨は何気なしにそう答え、更に続ける。
「ま、野暮な事は気にしないでおきなさい。アタシたちはお客様に美味しいお酒とお食事、そして十分なサービスをご提供するのが役目。お客様の私情に首を突っ込むのは……?」
「不必要で余計なお世話」
「ご名答。よくできました」
偉い偉い、と言いながら法雨は桔流の頭を撫でる。
そんなやりとりの後、やや人気の少なくなってきた店内を見やりつつ、桔流がカウンター内での仕事をしていると、あのクロヒョウ族の客がフロアを担当していたスタッフを呼びつけた。
見たところ、会計をする為に呼びつけたようだった。
(相手、結局来なかったんだな……)
桔流は先ほどの法雨の言葉を受け、気にしないようにしようと考え至ったものの、なんだかんだ気になってしまい、気落ちしているのではと無意識に会計をするその男を見ていた。
ただ、会計を担当したスタッフに、ごちそうさまでした、と言った時の男は爽やかな笑顔を作っていた。
そんな彼の笑顔を見て、
(この後、別のとこで会うのかもしれないしな)
と、これ以上余計な事を考えないよう、桔流は根拠のない憶測をつけて無理やり納得することにした。
その後、男の会計を担当したスタッフがそのまま別の客のオーダーに回ったので、桔流は一度手を止め、あの男が座っていたテーブルを片づけることにした。
すると、はじめは暗めの照明の影響で気付かなかったが、テーブルの隅に光沢のあるブルーの小さな紙袋が置かれている事に気が付いた。
紙袋にささやかに印字されたブランドのロゴも、どこかで見かけたことがあるような気がする。
ただ、袋だけであれば不用品の可能性もある為、手早く汚さないように袋の中を確認すると、袋の中には落ち着いたデザインながら高級感漂う包装がされた小さな包みが入っていた。
(これ……)
テーブルの片づけを一旦止め、先ほど男の見送りをしたスタッフに男の帰った方向を聞き出し、急いでその方向へと向かった。
(遅かったか……)
桔流はそのままやや店から離れた通りまで出てみたが、人気の少ない時間帯だというのに、先ほどの男を見つけることはできなかった。
「マジかよ……。つか、このサイズ……指輪なんじゃ……」
やや乱れた呼吸を落ち着かせつつ、今一度袋の中を見てみるが、その包みはどうみても指輪、あるいは何かしら小さいサイズの高級品が入っているのだろうとしか思えなかった。
このまま探し回っても仕方がないと考え、桔流は一度店に戻ることにした。
「どうだった?」
桔流が足早に店に戻ると、事情を聞いたらしい法雨が訪ねてきた。
「見失いました……。あの」
「ん?」
「これ、多分指輪かなんかかなって思うんですけど……」
桔流がそう言うと、法雨は丁寧にその袋を受け取り、そっと袋の中を確認し、ふむと呟いた。
「そうかもしれないわね……。でも、大切なものならちゃんと取りに来るわよ。それまで大切に保管しておきましょ」
「はい……」
「ふふ、お疲れさま。大丈夫よ」
自分の発見が一歩遅かった事で、男にこの品を手渡すことができなかったのだと気落ちしていた桔流を察し、法雨が優しく励ます。
「例えお渡しできなかったとしても、アナタの判断はナイスだったわ。さ、ちょうどいい時間だし、アナタは一度休憩してらっしゃい。お疲れさま」
「はい。有難うございます」
法雨に励まされつつ、桔流は休憩をとる為に事務所へと向かう。
その間、もしあれが指輪だったのなら、きっと相手にプレゼントする予定だったのだろうと桔流は考える。
そしてもしこの後、彼に“一世一代のイベント”が待っているのだとするならば、そんなタイミングに指輪を忘れて差し出せないという事態になるのか、とも考え至る。
どうか彼がそんな非常に情けない結果になっていない事を祈りつつ、桔流はその日の晩、その心配で脳を占領されたまま過ごした。
そんな出来事があってから数日が経過した。
法雨 や桔流 は、きっとすぐに男から連絡が入るだろうと思っていたのだが、その日の晩も、更にそこから一週間がたっても、男から店に連絡が入る事はなかった。
そこから更にまた日々が過ぎてゆき、桔流も次第に指輪の事を忘れかけていた。
だがそんなある日、何の前触れもなくあのクロヒョウ族の男が再び来店した。
「あの、法雨さん」
桔流が休憩を終えてフロアに出たところ、休憩中に来店していたらしいあの男を見つけ、桔流は足早に事務所へと戻り法雨に声をかけた。
「どうしたの?」
「あの、この前指輪を忘れたお客様がいらっしゃってるんです」
取り急ぎそれだけ伝えると、法雨はあら、と言って客たちが忘れ物などを保管する棚から、あの男が忘れた品を丁寧に取り出した。
中身は指輪かどうかわかっていなかったが、なんとなくの予想でその忘れ物は“指輪”として店内スタッフでは認識し合っていたのだった。
「はい、じゃあこれ。お客様に確認してらっしゃい」
「はい」
汚れないようにと、あれから全体がすっぽり入るようなビニールをかけて保管していたそれを丁寧に受け取り、桔流はフロアへと出ていった。
桔流はそのまま男の座るテーブルへと向かい、一礼しつつ声をかける。
「あの、お客様。少し宜しいでしょうか」
「あ、はい。なんでしょう」
突然声をかけられ、きょとんとしている男に桔流は今一度軽く頭をさげ、続ける。
「あの、こちらなのですが、私の記憶違いでなければ先日、お客様がお忘れになられたお品ではないでしょうか」
「……」
桔流から示されたブルーの袋を一見し、男は無感情にああ、とだけ呟いた。
ただそのまま沈黙が流れてしまったので、桔流は困惑しつつ尋ねる。
「あの、申し訳ありません。記憶違いでしたでしょうか」
「ああ、いえ。すいません。確かにそれは自分が忘れた物です」
桔流がその言葉にほっとしていると、男は苦笑しながら、ご迷惑をおかけしました、と続けた。
「いえ、とんでもございません。お渡し出来て安心いたしました。少々お待ち下さい」
そう言いつつ桔流が反対側の椅子に袋を置き、保護の為にかけていたビニールをほどく。
そして、保護用のビニールから袋を取り出そうしていると、今度は男が桔流に声をかけた。
「あの」
「はい?」
桔流の手元を見つめていた男は、桔流の返答を受け、それに答えるように続けた。
「それ、良かったらお店の売り上げの足しにでもしてくれませんか」
「え?」
予想だにしない男の言葉に、桔流は困惑した。
「申し訳ありません、お客様……それは一体」
「それ、もう自分には必要ないものなんです。だから、自分で持って帰るよりも、お金に換えてもらえたらと思って。どうか、お願いできませんか」
桔流としては、できるわけがない、というのが素直な意見だったが、物悲しいような表情をするその男に、これ以上業務的な対応を貫く事はできなかった。
桔流は、開いた保護用のビニールの口を軽く閉じながら男に言う。
「かしこまりました。お金に、という点はお約束できませんが、改めてこちらでお預かりだけさせて頂きます。それでもよろしいでしょうか」
「えぇ。ありがとう」
桔流がそう言うと、男は肩の荷が下りたかのようにホッとした笑顔で礼を言った。
そんな笑顔を見せられては、無理やりに品を返す事などできなかった。
桔流は、しぶしぶ再び預かることになったその袋を持ち事務所へ戻り、事の次第を法雨に伝えた。
「そ、じゃあまたお預かりしておきましょ」
流石の法雨でも今回ばかりは強引にでも返して来いと叱るかと思ったのだが、桔流の予想に反し、法雨は涼しい顔でそう言った。
「い、いいんでしょうか」
不安そうに袋を預けてくる桔流に、穏やかな笑みを作りながら法雨は言う。
「大丈夫よ。お客様がそう言ったのなら、こちらはちゃんと保管しておけばいいの。それに、必要になったら意地でも返して貰いに来るわよ」
「……はい」
まだ腑に落ちていない様子の桔流に苦笑しつつ、法雨はもう一言付け加えた。
「あぁ、それと。納得がいかなくてもこれは約束してちょうだい」
「なんでしょう?」
「当分はお客様がいらっしゃっても、こちらからこの話題はふらないでさしあげなさい」
法雨にそう言われ、桔流は先ほど男に向けられた、あの物悲しいような苦しいような表情を思い出した。
そして、こちらでまたこの品を預かると言った時の安心したような笑みも、続けて思い起こした。
(時間がいるのかもな……)
恐らく、今回の件に関しての法雨の判断は、彼が数多くの客を相手にしてきた経験則からのものなのだろう。
そう思った桔流は、改めて法雨の言葉に従う事にした。
「往々にしてあるものなのよ。自分の手ではどうにもできないものがね」
法雨がそうこぼしたのを聞きながら、桔流は再び棚にしまわれていく袋を見た。
(あんな綺麗に包装までされたのに、用なしなんて可哀想にな……)
自分ではどうにもできない事だが、それでも桔流は、その包みの中の“何か”の無念を考えずにはいられなかった。
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