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第六話『 WhiteCuracao 』

 桔流(きりゅう)花厳(かざり)がとある晩に随分と激しい初夜を迎えて以降、お互いの家で食事した夜は身体を重ねて過ごすという日も次第に多くなっていった。  なんといってもお互いに体の相性が良かったのだ。  また、血が出るほどに咬むのはナシ、という前提でなら花厳も桔流のお気に入りの行為に対応することができるようになっていった。  軽く痕が付く程度、を花厳がうまく調節できるようになってからは桔流が達する時以外でも、たまに愛撫に交えて貰える事が増えた。  そんな事もあり、桔流のプチマゾヒストな性癖も問題なく満たされていた。 「桔流君、痛いのは駄目って言ってたけど、快楽責めみたいなのは好きそうだよね」 「……ないですよないです。いやほんとないです」  あるんだな、と花厳は思ったが、一応口には出さないでおくことにした。  以前花厳は、自分は絶倫と言われるレベルの性欲を持っているのだと桔流に指摘された。  確かに相手に気遣いなく自分の満足だけを考えるとすれば、相手次第では一、二回程度では気持ちがおさまらないのは分かっていたのだが、単純に相手の事が好きだからだと思っていた。  だがそれもあるのだろうが、どうやらそれに加えて元々の性欲度数のようなものが高かったらしい。  それを聞いてから改めて桔流に、だとしたら桔流君はやっぱり無理しているんじゃないか、と訊いたが、 「俺はずっと気持ち良いので大丈夫です。どっちかっていうと、頭おかしくなるくらいにされてる方が好きなので」  と、結構な台詞をふわりと微笑みながら言っていた。  花厳はそんな違和感のある光景を思い起こしながら、桔流は快楽を与えられる事が好きな性分ゆえ自分の絶倫とやらが満たされるまで付き合えるのだろうな、と考えていた。  更に、彼が咬まれるのが好きというマゾヒスト的な性分を持っているから、快楽に弱いにも関わらず繰り返し快楽を与えられる事が苦にならないのだな、とも思った。  そのような思考の末、花厳の先ほど“快楽責めが好き”という発言に至るのだが、どうやら本人はそこは認めないらしい。  というよりは、認めたくないらしい。 (やってみたら絶対ハマると思うんだけど……自分がどうなっちゃうのか分からないから怖いのかな……)  だからまだその部分は否定していたいのかもしれない、というところに結論は落ち着き、“いずれ”と言う事で、花厳の心に小さな野望が抱かれた。  そんな野望が抱かれてから間もなく本格的に冬に入ったとある日も、相変わらず長く激しい夜を過ごしていた。     ―ロドンのキセキ-瑠璃のケエス-芽吹篇❖第六話『WhiteCuracao』―      本格的に冬入りとなり、都心の気温も最低気温が一桁台となった寒空の日。  彼らはまたいつも通り長い情事を終え、眠りにつくまでの独特な時間をゆったりと過ごしていた。 「桔流(きりゅう)君、ちょっと気になってたんだけど」 「なんですか?」 「この傷、どうしたの?」  そう尋ねる花厳(かざり)が示したのは、桔流の額の隅にある切り傷の痕だった。 「あ、これですか。これ、結構前についた傷なんですけど、仕事をしてた時に棚から落ちてきた物がぶつかって、それで……」 「えっ、大丈夫だったの?」 「はい。傷は残っちゃいましたけど、それ以外はなんとも」 「そっか……傷が残っちゃったのは残念だけど、何もなかったなら良かった。あまり高いところのものは無理しちゃだめだよ?」  そう言って額の傷痕を心配そうな表情で撫でる花厳にはい、と桔流は微笑んだ。  発言から察するに花厳は恐らく“桔流が無理に取ろうとしたものが落ちてきて怪我をした”と解釈したようだったが、この傷がついたのは、無理に何かを取ろうとした結果でもなければ実のところ、物が落ちてきたわけでもない。  更に言うならば仕事の際についた傷でもない。  実はこれは、桔流が高校生時代に喧嘩の果てに負った傷なのであった。  それも言い争いから発展するような喧嘩ではなく、いわゆるストリートファイト的な“喧嘩”だ。  桔流は恋愛面こそ大人しく受け入れる方だったが、性格的にはかなりやんちゃな高校生で顔が良い事に意味の分からない因縁を付けられれば挑発を返し、恋愛でたまった鬱憤は喧嘩で解消するという程によく他校の高校生と殴り合いをしていた。 (途中でキレた相手に自転車ぶん投げられてついたとか……さすがに言えねぇしな……) そう思いながらふと花厳の顔を見、桔流はまた別の考えを巡らせる。 (恋愛、か……。花厳さんはこんなに優しくしてくれて、居心地もよくて……体の相性も良いし、いつもすげぇ幸せな気持ちにしてくれんのに……)  無言で自分を見つめている桔流に気が付き、花厳は首をかしげる。 「ん? どうしたの?」 「……」 「?」 「あの、花厳さん……花厳さんはどうして俺の事が好きだってわかったんですか?」 「え?」  花厳の腕に乗せていた頭をずらし、花厳の胸元に頭を預けるようにして桔流は続ける。 「俺、やっぱり好きとか恋愛感情とかよくわからないんです。花厳さんと一緒にいて楽しいし、本当に居心地も良くて……こうして撫でられてると安心するし、なんかいい匂いするし、毎回体動かなりますけどセックスめちゃくちゃ気持ちいし……」 「う、うん……」 「なのに、これが恋愛的に好きかって事かって考えたら、やっぱりわからないんです。だから、どうしたらその人が好きだってちゃんとわかるのかなと思って。花厳さんはどんな時に好きだって確信するんですか?」 「うーん、そうだな。……ちょっと情けない話だから、あんまりしたくなかったんだけど。でもこれが桔流君のヒントになるならいいか。あ、聞いても幻滅しないで貰えたら嬉しい、な」 「ふふ、しないですよ」  これだけ外見に恵まれていて包容力もあり、ヒトとしてのスペックも高い男が頼りなさげにそう言って頬を撫でてくるのがおかしくて、桔流は少し笑いつつ安心させるように頷く。 「大丈夫。教えてください」 「はは、うん。じゃあ話そう」  そう言って体を寄せてきた桔流に微笑み、彼の髪を梳きながらその時の事を思い起こすようにして花厳は話し出す。 「前に、初めて桔流君が家で食事をしないか誘ってくれた時あったよね。あの時俺、“桔流君には恋人がいる”って言う前提でメッセージ返したでしょう」 「はい」 「あれ、あの日の前に桔流君と別の子がお店から出てくるのを見かけてね。酔っぱらってるその子に肩を貸してた桔流君がすごく楽しそうで、その子を凄く大切にしてるんだなと思って。そこで俺は、桔流君はその子と付き合ってるんだろうと思ってしまったんだ」 「それってもしかして、前髪上げてる茶髪の奴ですか?」 「そう。カラカル族の子かな?」 「あぁー……」  あの時か、と桔流は自分の記憶を思い起こした。 「で、付き合ってるんだって勘違いした俺は、それと同時にがっかりしたんだ。ヘコんだって言った方がいいかな。“あぁ、俺は桔流君と付き合える可能性ないんだな”って思ってね。だからそこで、俺は君の事を好きになったんだって自覚したんだ」 「なるほど……そういうところで気付くんですね……」 「あくまでも俺は、ね。もしかしたら他の事で気付く人もいるかもしれない。でも俺はこうやって自覚することが多いかな」  花厳の言葉を受けた桔流は再びなるほど、と呟き、少し長くうなった後ため息をついた。  自分の腕の中で考え事をしている桔流の様子に微笑みながら花厳は、だめそう? と尋ねた。 「はい……色々想像してみたんですが、俺にはやっぱりわからないです」 「そっか、でも焦って答えを見つける事もないよ。桔流君のペースでいいんじゃない?」 「はい……あ、でも、恋愛はよくわからないですけど、二股はやだなって思いました」 「えっ、二股? 流石にしないよ……」 「あ、じゃなくて。二股になってしまうのはなんだか落ち着かないので、もし他の人好きになったら言って下さいね、って」 「そう言う事か」 「はい」 「他の人、か……君がいる今、君に頼まれたとしても他の人なんて好きになれる自信ないな」 「ふふ」  未来の事など誰も分かりはしないのに、慎重すぎる花厳がこういう時だけ根拠もない事を言いきってしまうところを桔流は気に入っていた。  そして桔流はなんとなくその言葉に安心している自分が居る事に気づいた。 (なんかホッとしてる……。他の人に行っちゃうの嫌なのかな)  そろそろ寝ようか、という花厳の言葉に頷く。 「おやすみ」 「おやすみなさい」  唇と額の順で口付けられた桔流は、再び花厳の腕に身を任せて暖かなベッドで瞳を閉じる。 (もしかしたら……このまま一緒にいればちゃんと好きになれるのかも……)  そんな期待が見えてきた桔流は、少しだけ嬉しくわくわくするような気持ちを胸に眠りについた。        とある週末。  毎年やってくる早摘みワインの季節がやってきたので、桔流はいつもより奮発して良いワインを仕入れた。  そして、花厳の喜びそうな肉料理をメインとした赤ワインに合う献立を組みディナーを用意し始める。  そんな桔流が料理をするのは、花厳の家にあるキッチンだ。  だがそこに家主である花厳の姿はない。   実はその日、花厳の帰りがやや遅くなる事から桔流は彼に合鍵を渡してもらい、帰ってくる時間に合わせて食事を作っておくという予定となっていた。  桔流が料理を作り終えた頃に玄関ドアの開錠音が花厳の帰宅を報せる。 「お疲れ様です。おかえりなさい」  桔流は我ながら素晴らしいタイミングだと満足し、労いの言葉と共に玄関で花厳を出迎えた。 「ただいま」  桔流の出迎えを受け、心底嬉しそうにそう言った花厳は手土産に上質なチーズやワインに合いそうなつまみなどを買ってきていた。  それを喜んで受け取った桔流はこれも盛り付けますね、と嬉しそうに微笑んだ。  そんな桔流とやりとりを交わしながら花厳は密かに幸福感に満たされていた。 「わぁ、今回も凄い美味しそうだね……」 「ふふ、お口に合うと良いんですが」  そう言ってお互いに席につき、ワインをグラスに注ぎ乾杯をする。  桔流が用意した品々を、花厳は嬉しそうに食す。  桔流はそんな花厳を見るのが楽しみとなっていた。  料理自体も自分でも満足の行く出来栄えで、食欲も心も満ち足りていた。  購入したワインもなかなかの味わいで、食後もそのままワインと共に会話を楽しんでいると、ふとした会話の区切りで花厳がそうだ、と言った。 「?」  不思議に思いつつ一度席を離れた花厳を眺めていると、テーブルに戻ってくる彼は何かを持ってきたようだった。  花厳はトン、とそれをゆっくりとテーブルに置いた。  はじめは何かと思い、その小さいながらやや高級品が入っていそうなブルーの紙袋を不思議そうに眺めていた桔流だったが、次第に血の気が引くのを感じた。  桔流はそのブルーの袋に見覚えがあった。  今から少し前。  季節は秋に移り変わろうとしていた時季に度々目にし、自分でも何度か手に取った事があるその紙袋の登場は、桔流のほどよい酔いを全てふきとばすのには十分なものだった。  そんな桔流に気付かず、ただ花厳は気まずそうに口を開く。 「その……こんなタイミングで、前置きもせずに申し訳ないんだけど……実は俺」  と、花厳がその先の言葉を続けようとしたところ、その言葉を遮るように桔流が言った。 「なんだ。結局こうなんのか」  これまで花厳に対して発したこともないような冷たい声で桔流はそう言った。  その反応に驚いたらしい花厳は動揺しながらも、え? とだけ言った。 「結局繰り返し。だから嫌いなんですよ、好きとか恋愛とか」 「桔流君?」 「帰ります」  突然席を立ち、桔流はコートやカバンを乱暴に持ち足早に玄関へ向かおうとする。  驚いた花厳が引き留めようと声をかける。 「桔流く――」 「もう十分ですから!!」  なんとか桔流の腕を掴んだ花厳だったが、背中を向けたまま張り上げられたその声で花厳は桔流が泣いているのだと分かり言葉を失う。 「もうやめてください……もういいですから…………手、離してください」 「……ごめん」 「………………」  ごめん、と言われ解放された桔流は何も言わずにそのまま花厳の部屋を後にした。  花厳は自分が何に謝っているのか、なぜ桔流は怒り悲しみ、そして泣いていたのか、なぜそんな事を言ったのか分からなかった。  だが花厳には桔流にこれ以上何かを尋ねる事は出来なかった。  言葉が出てこなかったのだ。  泣いている彼を抱きしめる事くらい容易だ。慰める言葉だっていくらでも出てくる。  だがそれは、自分でない誰かのせいで彼が泣いている時だけだ。  今、彼を泣かせ悲しませているのは紛れもない自分だ。  ならば、この手が彼に触れる資格なんてない。  だから花厳は離せと言われた彼の腕を解放した。  彼を自分のもとに引き止める事は出来ない。  自分は今、彼を傷つけた。理由など関係ない。  その事実だけで、自分に彼を引き止める資格がない事は明らかだった。  彼を傷つけた自分に、彼の心も時間も奪う資格はない。 「………………」  桔流の作った料理が盛り付けられていた食器たち。  彼が嬉しそうに食卓に出したワイン。  先ほどまで彼が楽しそうに話し、合間に口をつけていたワイングラス。  わざわざ早くから来て料理を作っていたキッチン。  先ほどまで笑顔だった彼が座っていた椅子。  彼が背を向けて泣いていた廊下。  音のなくなった室内。  花厳はただその空間で、桔流を呑みこんでいった扉をまるで表情を失ったかのようにただ眺めていた。        桔流(きりゅう)は顔がなるべく隠れるようにマフラーを巻き付け、フードを深々と被り足早に夜道を歩く。  何年ぶりかに流れる涙の止め方など、彼はもう覚えていなかった。  止める事のできない涙の対処法を必死に模索しながら、なるべく人気の少ない道を歩いた。  この時間なら公園には人はいないだろうと立ち寄ってみれば、公園の入口でも聞こえるほどの大声をはりあげ泣きじゃくる女とそれをなだめる男がいた。 (タイミングわりぃんだよ……クソ)  心でそう悪態をつきながら即座に引き返し、とにかく顔を伏せて歩いた。  だがこのまま顔を隠して歩いていては、警察に引き止められる可能性もあった。  こんな顔を他人に見られるなど御免だ。  そう考えどうにか路地裏に入り込み、とある場所までたどり着いたところで桔流はしゃがみこんだ。 「最悪……」  しゃがみこんだままマフラーを目元に押し付け涙をせき止めようと試みるが、やわらかな布地がひたすらに湿っていくだけで涙をせきとめてはくれない。 「はあ……」  普通にため息を吐こうとしたのだが、寒さもあってか震えた声も混じる情けないため息が出た。  それが余計に情けなくてまた涙が出る。  路地裏から見える、大して綺麗でもない灰色の長細い空を見上げる。  そしてそのまま後ろにもたれるようにして、後頭部をごつりとぶつけながらコンクリートの壁に身を預ける。 「あーあ……そっかぁ……」  灰色の空を見上げ、震える声で小さく呟いた。 「もう、好きだったんだなぁ……」  もう一度情けないため息をつき、震える手でマフラーを顔に押し付ける。 「今更おっせぇんだよばーか……」  涙をせき止めるの諦め、膝を抱えぎゅっと身を縮める。  そして桔流は、まるで叱られて拗ねた幼子のように、ただただ声を殺して泣いた。   

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