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第4話 優しい夜を統べる王

 夜の森を駆け抜け、銀が連れてこられたのは切り立った崖の中の洞窟だった。  森の奥にこんな場所があるなんて知らなかった。  呟けば、銀狼はそれはそうだと笑った。  人間でここに来たのは、お前が初めてだと言われてちょっとだけ緊張した。  狼の仲間が自分を受け入れてくれるかどうか……急に不安になったのだ。  大人しくなった銀を見て、隣に立つ銀狼が笑った。 「…どうした?さっきまでの威勢の良さが…まるで嘘のようだぞ?なにも心配する必要はない。王である私がお前を受け入れると決めたのだ。誰も文句はない」  自信満々に言い切って銀狼は歩き出した。  慌ててその背を追って洞窟の中に入れば、余りにも明るくて驚いてしまった。 「…なんで?どうして……これは、ランプ?狼は火を…怖がるものではないの?……一体どうやってこんなにたくさんのランプに火を灯したの!?」  洞窟は火を灯したランプに照らされ、暗闇に慣れた目には眩しいほどだった。  足元だけでなく頭上の高い位置にまで……かなりの数が置かれていることに驚けば、先を歩く銀狼が振り返りそんなことに驚いてどうすると言った。  そんな事……なのかな?  腑に落ちないままだったが、銀は大人しく彼の後ろをついて歩いた。  洞窟は、入り口から少ししてから急に広くなった。  そして、細い脇道が沢山あった。  自然に出来たものを、後から加工しているのかもしれない。  これも一体どうやって?と疑問が湧いたが黙っておいた。  人語を操る狼が居るのだ。  火を自在に使い、洞窟を加工する狼が居てもおかしく……ない……のかな?  困惑顔の銀をちらりと見て銀狼は静かに笑った。  長い通路を歩いている間、ただの一匹も狼に出会わなかった。  生き物の息遣いのようなものは、確かに感じたのだが……不思議に思いつつも、銀狼を見失わないように歩き続けた。 「…着いたぞ。ここが……私の部屋だ。今日からは、お前の部屋でもあるな。近日中にお前の為に人間の寝具を手に入れよう。それまでは、我慢してもらうしかない。大丈夫か?眠られそうか?」  銀狼の部屋だと言う洞窟の奥にあるそこは、狼の塒にしては随分と天井が高かった。  それだけではなく、広さも城にある銀の部屋よりもずっと広い。 「なんで…ここ…って崖の中だったよね…?どうして、ここから外が見えるの?」  奥には、行き止まりの壁があるだけ。そう思っていたのに。  奥の壁には丸い穴が空いていて、そこから外の景色が見えた。  丁度銀の胸の辺りから頭の上位の大きさだ。  硝子が嵌っていれば、窓と言っても良い。  なんでこんな所に穴が空いているのだろう?  夜の森……自分が今まで見て来た景色の反対側を見下ろしながら銀は首を傾げた。 「…あまり覗き込むと落ちるぞ?そこには硝子が嵌っていないのだからな。それは採光と換気の為の窓のようなものだ。寝具がある場所から離れているから……寒くはないとは思うが、寒ければなにか手立てを考えよう。疲れただろう?今日はもう休め。仲間に紹介するのは…明日にしよう」  覗き込む銀の服を咥えて引っ張ると、銀狼はそう言って早く眠る様にと促した。 「ああ…うん。そうだね…寝具って、これかあ…!全然大丈夫だよ。俺がよく閉じ込められた物置小屋は寝具なんてなかったからね。地面の上だって結構平気なんだ。逆にこんなに沢山の藁だと……ふかふか過ぎて落ち着かないかもしれないなあ…」  地面の上にこんもりと盛られた藁の寝床はとても温かそうだ。  おまけに新しいのだろう。干し草特有のいい匂いがした。  嬉しくて飛び込めば怒られた。 「……燥ぎすぎだ…!いいから、大人しく寝ろ」  文句を言う銀狼を手招いて、銀は抱き着いた。 「ごめんなさい…王様も一緒に寝てくれるよね?俺を…一人にしないよね?」  柔らかな首筋の毛に顔を埋めれば、小さな溜息。  困らせただろうか?  まるで子供のようなことを言ってしまったことを、ちょっと後悔し始めたところで温かな体温が寄り添った。 「…一人にはしない。お前が望むなら、ここに居よう。さあ……もう休みなさい」  銀の身体にぴたりと寄り添い、銀狼は銀の腕を舐めた。  温かな感触に微笑み、お休みなさいと告げれば銀狼もお休みと答えてくれた。  頬に、銀狼の首筋の毛が触れた。  まるで抱きかかえられるみたいに寄り添う、銀の毛皮はとても温かい。  もう……一人きりの夜は来ない。  それがとても嬉しい。  銀は母の腕に抱かれて眠った夜を思い出しながら眠りに落ちたのだった。          きっと疲れていたのだろう。  随分と深い眠りだった気がする。  久しぶりに、誰かの体温を隣で感じながら眠る夜だった。  だから目覚めた時に、隣に銀狼の姿がないことにガッカリした。  一緒だと言ったのに。  一人にしないって……言ってくれたのに。 「…なんだよ……王様の嘘つき…!」  陽の光が満ちる部屋で目覚めた銀は、起き上がってすぐに膝を抱えた。  寂しくて、八つ当たりしたくなったのだ。  だがまさか、それに答えが返って来るなんて想像もしていなかった。 「…誰が嘘つきだと言うのだ?」  声に顔を上げると、そこには銀色の…… 「…え…?だ……誰…っ!」  見たことのない男の姿に、銀は寝具から飛び出した。  追手か……?  いや、でもこんな場所まで一体どうやって来たと言うのだ。  慌てふためき、逃げ出そうとした銀を男は易々と捕まえて溜息を吐いた。 「…誰だと?声を聞いて…分からんのか?私だ…今、お前に嘘つき呼ばわりされた者だ。思ったよりも、早く目覚めたのだな。もう少し眠っているだろうと思っていたのだ。心細かったのは、分かるが…嘘つきとは心外だ。どうした…?何を変な顔をしている?」  銀の顔を覗き込む男は、黄金色の瞳をしていた。  腰まで届く長い髪は銀色。真っすぐで物凄く綺麗だ。  顔も、信じられない位に整っている。  だが……その男は自分は狼の王だと言ったのだ。 「…え…?まさか……本当に、王様…なの?人間の言葉を喋れるだけじゃなくて…人間の姿になれるなんて…聞いてないよ!?」  上擦る声で……悲鳴をあげる銀を見て、王様は笑った。  銀の慌てぶりがよっぽど面白かったらしい。  なかなか笑いが収まらないその様子を見て憮然としてしまった。  なにがそんなにおかしいの!  ムスっとしたら、頭を撫でられた。 「…ああ。そうだな…話していなかったな。私は、人狼……普通の狼ではないのだ。お前達の言葉だと…魔族…か?そういう存在なのだ。言葉を操る狼と聞けば、分かるだろうと勝手に思っていたのだが驚かせて済まなかった。人の姿の方が、お前も話しやすいかと思って変化したのだが…そんなに怖がるとは思ってもいなかった。目が覚めたのなら、今から住処を案内してやろう」  笑いを含んだ声で銀を宥める彼の姿は、銀狼の時と同じように美しかった。  背が高い!  見上げる長身は、すらりとしているが決してひ弱そうではない。  しなやかな筋肉に覆われているのが、服の上からでも分かった。  こうして間近で見ても人間にしか見えない。  ただ……こんなにも美しいものが人間である筈がないと思う程に整った容姿だけが、彼が人ではない証のようだ。  声は、昨晩聞いたものと同じ。  思慮深さを感じさせる落ち着いた低音。  話し方から随分と年上だと思っていたが……こうして人の姿を見ればかなり若い。恐らくは二十代前半と言ったところだろう。  こんなにも、若く麗しい人が王様なんだ。  銀は感嘆の眼差しで男を見上げた。 「…何を黙っている?まだ…寝惚けているのか?それとも…他の人狼や狼に会うのが恐ろしいのか?」  銀の沈黙に、不安を感じ取ったのか王様が心配そうな顔をした。  とても困った顔。でも……とても綺麗な顔が、銀の為に曇るのを見て少しだけ嬉しかった。  やさしい王様は本当にいい人だ。 「ううん…大丈夫。そう言えば挨拶するの忘れてたね?おはようございます…王様。本当に、人間って俺だけ…なんだ。みんな…仲良くしてくれると嬉しいんだけどな…」  少しだけまだ心配だなと、それを伝えると王様は微笑んだ。 「…ああ……おはよう銀。そんなに心配せずとも大丈夫だ。早くお前に会わせて欲しいと…煩くてかなわん!だが…決して私の傍を離れてはならない。お前は、まだここに来たばかりだから……血の気の多い若い者に食い散らかされるかもしれないからな!だからこの部屋から出る時は、必ず私と一緒に行動するようにな?この部屋にいる間は安全だ。王である私の居室に無断で入る命知らずは…ここにはいないからな…!さあ…行こう!」 「…!ちょっと…!食い…って…俺……食べられちゃうってことなの!?」    王様の言葉の中にどうしても無視できない単語があって慌てて聞きなおした。  今、確かに食い散ら……食べるって言ったよね!?  この部屋に入る命知らず……?なんなの……ここってそんなに怖い所なの!  蒼褪めた銀の顔を見て、王様は笑った。    ……笑いごとだろうか……?  困惑したままの銀の手を引いて、銀狼の王様は歩き出した。  大丈夫だの一言が貰えない事に一抹の不安を覚えながら……彼の隣を恐々歩けば、人の気配がした。  そちらに顔を向けると黒い髪の女が微笑んだ。 「…あら…!おはようございます。王…その方が、あなたが選ばれた番ですね?まあ…本当に可愛らしいこと!月の色の髪が王とお揃いですわ。青い瞳もとっても綺麗…!ようこそ狼の王国へいらっしゃいました。私は黒恵。あなたを歓迎いたしますわ!」  洞窟の中で出会った黒恵と名乗る女の人がそう言って頭を下げた。  吃驚して隣の王様を見上げると、なんとも言えない顔で銀を見返した。  困惑と不機嫌……?だろうか。 「あ……あの…!その…違います!俺は…王の番…結婚相手なんかじゃないんです!王に頼んで人の身でありながら…仲間にして貰っただけの唯の…人間です。なので、そんなに頭を下げないで下さい…王も困ってしまいますから…!」  王様に迷惑を掛ける訳にはいかない。  そんな噂をばら撒かれる前に、なんとかしないといけないと……銀は焦って答えていた。  髪の毛は黒いし瞳も黒いけれども、この女の人は王様と同じように背が高くて……とっても綺麗だった。  人狼……人を超える存在はきっと皆美しいのだろう。  この美しい存在の隣には、美しい者こそが相応しい。  自分の居場所が、ここにも無い……と思いかけて慌てて首を振る。  違う。違うんだ。  俺は、それでもいいからここに……来たいと願った。  優しい王様に縋ったのは自分の意思だ。   このまま変な誤解をされたままだと、受けた恩を仇で返すことになりかねない。  そんなことは絶対に出来ない。  慌てている銀を見て、女の人は困った顔で王様の顔を見た。  どういう事なのかと、問われて王様は溜息を吐いた。 「……まあ…そういう事だ。暫くの間は、私の部屋から出さないようにするつもりだが…何かあれば手を借りることもあるだろうと思って、顔を見せる為に連れてきただけだ。つまらんことを言って銀を困らせるのは止めろ。それよりも、あいつは……浅葱はどこだ?後で銀を連れてここに来ると言っておいたのだが…」  王様の声に女の人は目を瞬いた。   「あら…そう…だったんですか?失礼いたしました王…それと、銀…早合点してしまってごめんなさいね?昨晩王が血相を変えてあなたを迎えに行ったものだから…私てっきり…」 「とうとう痺れを切らして攫って来た…って思うよなあ…?」  戸惑いがちな女の声に、揶揄うような声が重なった。  女の背後にいつの間にか背の……もの凄く高い男が立っていた。  笑いを含んだその声は、どうやらその男が発したものらしかった。 「…浅葱…!お前は、どこをふらついていた?ちゃんと前もって言ってあっただろう!」  不機嫌な王様の声にも、浅葱と呼ばれた大男は気にした様子も無く肩を竦めるだけだった。 「…どこ…って。そんなの、黒支の所に決まってんだろ?お前だけ自分の番といちゃついてて…俺だけ一人寂しくこんな所でボーっと待ってろなんて、随分と了見の狭い王様だなあ…!そんなんじゃあっと言う間に愛しい番に愛想尽かされるぞ?なあ…?」  言いながら銀に伸ばされた男の手を、王様が叩き落した。  物凄く機嫌が悪そうだ。 「…あ…あの…!だから、誤解なんです…!俺…本当にそんなんじゃ…王様の番なんかじゃありませんから…!!」  叫べば、その場はシーンとなった。  呆気に取られた顔の浅葱。両手を口に当てたまま固まった女の顔が見えた。  恐る恐る、隣の王様の顔を見上げると……  なんか、物凄く眉間に皺が寄っているのが目に入り泣きそうになった。  どうしよう!  俺なんかが……王様を振り回したせいで、恥をかかせる羽目になってしまった。  よりによって、こんなつまらない人間が王様の番……伴侶だと勘違いされてしまうなんて。  きっと物凄く怒ってる。  物凄く迷惑だと思われてしまったら……そうしたら、俺は…… 「……あー…そっか。なんかなあ…お前…前途多難…だな?気の毒過ぎて、もう…言葉もねーわ…」 「本当に……これは…ちょっと大変そうですわね?王…余りお気を落とされませんように…」  男達の声が聞こえたが、一体なにを言っているのかさっぱり分からなかった。  だが隣の王様は溜息を吐いて、うるさい。そう言うと銀の頭を撫でた。  優しい感触に思わず顔を上げると、王様は銀に微笑みかけてくれた。 「…銀…こいつらの言う事は気にしなくていい。遠慮も容赦もないのは……二人が私の幼馴染だからだ。それに、この二人はもうすでに番持ちなのだ。だから…私に番がいないことを何かにつけて揶揄するのが生きがいなだけだ!お前は、お前の意志でここに来た。それだけでいい。別に私の伴侶にならなければここに居られないなんてことはないんだぞ?ここには人狼や狼が沢山住んでいるが…私が居ないときは黒恵と浅葱がお前の面倒を見てくれるだろう。お前達、くれぐれも銀をこれ以上困らせるような事は言うなよ?分ったな?」  銀の困惑を思いやる優しい言葉だった。  見上げる銀の青い瞳を、優しい黄金の瞳が見つめていた。  優しい王様。  とっても綺麗な……みんなの王様。 「…あーはいはい!分かりましたよ!そりゃまあ…相手の気持ちが一番大切だっていうのは、俺だって分かってるよ?でもさあ…五年もせっせと通い詰めた揚げ句…お前……いーの?他の奴に取られても知らんぞ俺は!」  最後に呆れた声で浅葱がそう言ったが、王様は余計な事は言うなと一喝して銀の手を引いて部屋へ戻ろうと促した。  だが、それを聞いて思わず聞き返していた。   「…五年…?」  通い詰めたのは銀の方だと、慌ててそれを言おうとすると黒恵の声がそれに被せられた。 「…そうですよ!銀が泣いていると言っては毎回毎回……とんでもない速さで駆けつけた癖に。他の者が近づこうとすれば威嚇した癖に。銀が森に来ない夜は物凄く不機嫌になる癖に……!それで最後は誰かに取られるなんて間抜けにもほどがある…と私は思いますけれどね?」   「…余計な事は言うな…と私は言った筈だが…?」    今まで聞いた事がないほどに低い王様の声に、二人は顔を強張らせた。  銀も吃驚して、王様の顔を見つめた。  機嫌が悪い……なんて顔ではなかったのだ!    今にも泣きそうな顔の王様を見て、その場にいた全員が声を失ってしまったのだった。

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