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第7話
言っている意味が分からず質問した。「提供ってなんですか?」
「私の別宅なんだ。前は、妻が仕事用に使ってたんだが、今は、なんて説明するのがいいかな。まあ、端的に言えば彼女は出ていってしまってね。空いているんだ。誰かに貸そうかと思ってたからちょうどいい。家賃はいらないよ」
広瀬はすぐに断った。なんでそんな家に引っ越さなければならないんだ。
だが、達史はしつこく勧めてきた。
「どうして嫌がるのかな。君に損はなにもないのに」
「むしろ、あなたから家を提供してもらう理由がわからないんですけど」
達史は微笑んだ。自分がどんな表情をすると魅力的かよくわかっているんだろう。
「私のマンションにいれば、君は、東城家と切れずに済む。弘一郎がもし記憶をとりもどしたら、君に会いたいと思うだろう。その時のために君が安心して暮らせる場所を用意したいんだ。君が自分でどこか探して、私たちの知らない場所に行ってしまわないようにね」
「俺は一人で十分安心して暮らせます」人を何だと思ってるんだ。温室育ちの花か何かか。
「まあ、そう言わないで、刑事さん」と達史は言った。「わかってる。君は犯人と格闘して逮捕だってしちゃう立派な男だっていうのは、よくわかるよ。でもね、腕力と心は違うだろう。弘一郎が君を必要としなくなったら、君は哀しいはずだ。その哀しみを私は和らげたいんだ。美しい君には哀しみは似合わない」
その言葉に広瀬が唖然とした。
東城もたいがい芝居がかってクサイところがあるとは思っていたが、それ以上の人間がいたとは。何を食べたらこういう人間ができあがるんだろう。
黙っているのをどうとらえたのか、達史は、スーツの内ポケットから手帳をとりだした。そして、銀色の細いペンで手帳になにかを書き、そのページを破ると広瀬に差し出してきた。
「ここがマンションの住所。管理会社に伝えて入れるようにしておくから、いつでも気が向いたら来るといい。私の連絡先も書いておくよ。君のことだから前に渡した名刺は捨ててしまっただろう」
広瀬はメモを受け取らなかった。
その時、内ポケットで個人のスマホが振動した。取り出してみると東城からだった。
画面に名前が表示されたのを無遠慮に覗きみた達史が、広瀬をうながす。
「出たら?」
広瀬は、スマホを鳴るままに内ポケットに戻した。窓の外を見ると遠回りはしたもののもうじき家につきそうだ。
「どうしてでてあげないんだい?私に遠慮する必要はないよ」
「遠慮しているわけではないです」
着信は一旦おさまったが、その後、メールが数通きて、また着信があった。
「急ぎの用事なんじゃないのか?」
「そうかもしれませんね」
達史は苦笑している。
家の裏の通りで広瀬は車を降りた。思ったよりあっさり達史は広瀬に別れを告げた。
だが、降りる間際、彼は手を伸ばすと広瀬のスーツのポケットに自分の書いた住所のメモを押し込んだ。
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