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キングが家にやってきた 2
「俺はそろそろ出かけるけど、おまえも友人たちと約束があるんだろ。ついでに待ち合わせ場所まで乗せていってやる――なんだその顔は」
なんだその顔は、と言われても、俺様な雪生らしくもない親切な申し出に腰が抜けそうになるほどびっくりしただけだ。
このごろの雪生は前に比べて少しだけ、ほんの少しだけだが態度が柔らかい。口の悪さは相変わらずだし、人をこきつかうところは変わっていないが、そこはかとなく優しくなった気がする。鳴の気のせいかもしれないが。
「雪生、ひょっとして宝くじの一等前後賞が当たった?」
「宝くじは買ったことがない」
「じゃあ、彼女でもできた?」
「つきあっている特定の女性はいない」
「特定の女性はいないっていうことは、不特定な女性ならいるんだ」
「そういう意味で言ったんじゃない。なにが訊きたいんだ、おまえは」
雪生は煩わしげに鳴を睨んできた。
「このごろ妙に機嫌がいいからさ。なにかいいことがあったのかなって思って」
「ああ、あった」
意味ありげに微笑む。
「仇敵の弱味を握った」
「仇敵?」
鳴は驚いて雪生を見つめた。この天上天下唯我独尊な少年に敵と呼べる相手がいたなんて。
敵というからには雪生と対等にやり合えるだけの能力の持ち主ということだ。
「仇敵って誰なの? まさかこの学校にいるの?」
「それは最重要機密事項だ。……まあ、でも、じきにわかる」
雪生はますます笑みを深めた。どことなく悪戯な笑みに胸がざわつく。
ご主人様に敵と認められたのは一体どんな人物なんだろう。
(どこの誰だか知らないがご愁傷様。その人に神様のご加護がありますように)
鳴はまだ見ぬ相手に向かって心の中で合掌した。
雪生は宣言通り鳴を渋谷まで送ってくれた。
といっても車を運転したのはもちろん雪生ではなく桜家の運転手だったが。いくら雪生が優秀でも十八歳未満で免許を取るのは不可能なようだ。
鳴が友人たちと待ち合わせたのは、待ち合わせ場所の定番――モヤイ像の前だった。鳴が真っ白いメルセデスベンツから降りて歩いていくと、すでにふたりの友人がモヤイ像の前に立っていた。
「陽人、二ノ宮さん、久しぶり! 元気にしてた!?」
鳴は笑顔でふたりに駆け寄った。ふたりとも中学三年生のときのクラスメートで、陽人は特に親しかった友人だ。気恥ずかしいから口にしたことはないが、鳴は陽人を親友だと思っている。
綾瀬陽人(あやせ はると)と二ノ宮皐月(にのみや さつき)。ふたりともこの半月で雰囲気がかなり変わった。野球部員で坊主頭だった陽人は髪がずいぶん伸びていたし、長い髪を常にポニーテールにしていた皐月はショートヘアに変身していた。
陽人が通っている高校の野球部はヘアースタイルにうるさくないという話だった。陽人のことだから伸ばしたのはファッションのためじゃなく、小まめにカットするのが面倒くさいからに違いない。
「うん、元気だったよ。相馬君も相変わらず元気そうだね。ねえ、今おっきなベンツから降りてきたよね。いかにもお金持ちそうな。あれ相馬君のお父さんの車なの?」
皐月は車道に目を向けたが、そこにはもう鳴を送ってくれた外車の姿はなかった。今ごろは新国立劇場へ向かっているはずだ。今日はそこでオペラ鑑賞の予定とのことだ。
SAKURAの御曹司だけあって実に高尚な休日の過ごしかただ。ファミレスにカラオケの鳴とは天と地ほどの差である。
「ううん、まさか。うちの車はごくごくふつーの国産車だよ。あれは――」
鳴は口ごもった。雪生を端的に表現する言葉が見つからなかったからだ。
学校の先輩。生徒会長。ルームメイト。雪生と鳴の関係を表すための言葉はいくつかある。が、どうしてその人が鳴をここまで送ってくれたのか、と問われると少し困ってしまう。
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