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キングが家にやってきた 7
鳴の胃袋がますますやつれて、可視化できるのならムンクの叫びのようになったときだった。
「あれ? ねえ、あの真っ白い大きな外車。あれって相馬君が送ってきてもらった車じゃない?」
皐月は立ち止まると、車道をゆっくりと走っていく純白のメルセデスベンツを指差した。真っ白いベンツなんてどれもこれも同じに見えるが、街中をそうそう走っている車でもない。
嫌な予感がする。
鳴の予感を裏づけるように、ベンツは鳴たちの少し先でなめらかに止まった。ドアが開いて、スーツ姿の男――いや、少年がアスファルトへ降り立つ。
黒豹を思わせるしなやかな動作。漆黒の艶やかな髪。美の女神が細心の注意をはらって造形したような顔立ち。
雪生だ。
なんだって雪生がこんなところに。偶々通りかかって、偶々歩いている鳴に気づいたんだろうか。偶々が過ぎる。
鳴たちのグループは自然と足を止めていた。雪生が真っ直ぐにこちらへ向かって歩いてくるからだ。雪生のまとっているオーラには、人の行動を縛りつけるだけの威力があった。
「鳴、偶然だな」
白皙に笑みが昇ると、女子だけじゃなく男子まで呆然として雪生を見つめた。あの物事に無頓着な陽人でさえ、びっくりした顔で雪生を見つめている。
「……はは、偶然だね」
俺を見つけたからってわざわざ車から降りてくるなよ。迎えはいらないって断ったじゃないか。なんだってこんなときに限ってらしくもない行動を取るんだ。
鳴は心の中で罵倒した。
「こんにちは。いつもうちの鳴がお世話になっています」
雪生は鳴の友人たちに視線を向けると、この上なく感じの良い微笑を浮かべた。春夏冬の生徒だったら歓喜のあまり泡を吹いて卒倒しているかもしれない。
「こ、こんにちは」
「――こんにちは」
皐月を始めとする女子たちは耳まで真っ赤になっている。
(かつて俺たちの前で彼女たちが赤面したことがあっただろうか。いや、ない)
イケメンの威力の凄さを思い知らされる。
鳴は恐る恐る菜々へ目を向けた。一体どんな表情、どんな目つきで雪生を見ているのか。知りたいような知りたくないような。
菜々はただでさえ大きな両目を更に見開き、食い入るように雪生の顔を凝視していた。ほとんど獲物を見つけた野獣の眼差しだ。狂気すら感じさせる。怖い。
鳴はぶるっと身震いしたが、雪生はまるで気にする様子がない。他人の視線にはとことん鈍感になっているようだ。
「あの、鳴君のご主人様、ですよね?」
菜々は爛々と輝く瞳で雪生を見つめながら訊いた。
(いや、それ本人に向かって訊いちゃう?)
「ああ、そんなことまで友人に話しているんだ。そうだよ、こいつのご主人様」
にこやかに笑ったかと思うと、鳴の肩に腕をまわしてぐいっと引き寄せてきた。
(な、なに、なんなの、この雪生らしからぬかるーいノリは? っていうか、三上さんが無駄に喜ぶからやめてくれない!?)
心で叫んだところで雪生の耳に届くはずもない。
「……やだ、もうスパダリ」
菜々は胸の前で両手を固く握り合わせた。言っている意味は相変わらずよくわからない。
「あの、ひとつ訊いていいですか?」
「いや、ほら、そこに車止めてるから――」
「いいよ、なに?」
鳴は雪生の腕を引っ張ったが、雪生はあっさりスルーした。
「鳴君のどこが好きなんですか?」
「いや、俺、この人に好かれてないから。ほら、雪生、さっさと車にもどりなよ。運転手さん待ってるよ」
「好きなところ? そうだなあ……」
雪生は顎に指を添えて考えこんだ。かと思ったら、やにわに鳴の両頬を手の平ではさんで見つめてきた。
「ちょっ、なに!?」
菜々の妄想がますます悪化するような真似はやめて欲しい。被害に遭うのは鳴なのだ。
いや、陽人や雪生も同様の被害に遭うのだが、陽人はどうせよくわかっていないし、雪生が菜々の小説を読まされることもない。
実害があるのは鳴だけだ。
「全部、って言っておこうかな」
鳴の顔から手を離して、それはそれは綺麗な――うさん臭いまでに綺麗な笑顔を浮かべる。
皐月が短い悲鳴を上げた。菜々の身体が大きく揺れたからだ。
「菜々ちゃん、大丈夫!? 貧血でも起こしたの?」
皐月は菜々の身体を支えると、心配そうに顔をのぞきこんだ。が、菜々は、
「……ううん、大丈夫。ちょっと頭に血が昇りすぎただけ。……神よ、ご褒美が過ぎて脳がパンクしそうです。神よ……ああ、神よ……ありがとうございます……」
天を仰いで意味不明なことを口走った。
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