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キングが家にやってきた 10
鳴が渋谷で友人たちと会ってから数日後。待ちに待った四連休が始まった。
鳴は午前中に電車で帰省したが、どこぞの会社のパーティーに呼ばれているという雪生は、終わったら車でこちらへ向かうとのことだった。
住み慣れた我が家に雪生がやってくる。想像しただけでなんだか不思議な心持ちになる。
実家なんて日常中の日常なのに、そこへ非現実の権化と呼ぶべき雪生がやってくるのだ。
鯖の味噌煮定食を注文したら、小鉢にキャビアがついてきた。なんだかそんな感じだ。ほとんど異物混入である。
さいたま駅に降り立った鳴は、弾む足取りで家路を急いだ。鳴の実家は駅から徒歩で十五分ほどのところにある、ごくごく普通の一軒家だ。
実家の植え込みが見えてきたときだった。
犬の鳴き声が聞こえた。マルガリータの声だ。
懐かしい――といっても別れてからまだ三週間しか経っていないが――愛犬の声にせき立てられて、鳴は矢も盾もたまらず走り出した。
「マルガリータ!」
鳴の声が届いたらしい。マルガリータは嬉しそうにひと鳴きすると、家の門に前脚をかけて鳴を出迎えた。ふっさりした尻尾を千切れんばかりに振っている。
愛犬マルガリータはどこにでもいそうな雑種犬だ。飼い主の鳴に平凡という意味でよく似ている。柴犬風の見た目だったが、柴犬よりひと回り大きく、精悍な顔つきの柴犬と違って愛嬌のある顔つきだ。
鳴の帰宅を全身全霊で喜んでいる姿に頬が緩む。
「マルガリータ、久しぶり」
鳴が門を開けて入っていくと、マルガリータは喜び勇んで飛びついてきた。鳴は一頻り愛犬と戯れ合うと、
「ちょっと荷物を置いてくるから待ってて。散歩にいこう」
マルガリータの頭を撫でてから玄関に向かった。
「ただいまー」
居間に顔を出すと、父親がソファーに座ってコーヒーを飲んでいた。
「お帰り、鳴。元気そうだな」
今年で四十になる鳴の父は、息子の鳴と同じくどこにでもいそうな凡庸な男だった。滅多に怒ることのない穏やかな気性をしている。
「うん、元気にやってるよ」
ただし奴隷としてだけど。心の中で付け加える。口に出しては言わない。家族を無駄に心配させたくないからだ。
「母さんとじいちゃんは?」
「母さんは買い物、お義父さんは工場を見にいってる」
ゴールデンウイークなのに工場を稼働させているんだろうか。それとも気になることでもあったのか。
鳴の祖父は職人気質で、仕事に関して妥協を知らない。
「俺、マルの散歩にいってくるね」
「ああ、わかった。マルの奴、おまえの帰りをずっと待っていたよ。昨日からそわそわ落ち着きなくて、きっと鳴が帰ってくるのがわかっていたんだろうな」
父親は穏やかに微笑んだ。
鳴がリードを持ってふたたび姿を表すと、マルガリータのテンションは最高潮になった。
リードを繋いで住み慣れた町を走り出す。
ああ、馴染んだ日常がもどってきた。
こうしていると学園での日々が遠い夢の出来事のようだ。己がいかに非日常の中にいたのか、しみじみ実感する。
不思議の国に落っこちたアリスもきっとこんな気持ちだったんだろうな。
そんなことを思いながら、鳴は愛犬と共に町を走っていった。
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