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キングが家にやってきた 15
和やかなムードで食事は進み、料理があらかた片づいたころだった。成美は雪生が手土産として持ってきた小振りのケーキをテーブルに並べた。
鳴は知らないが、恐らく有名なパティスリーのお高いケーキなんだろう。ちょっとした芸術作品並みにデザインが凝っている。
「鳴君のおじい様は工場を経営されてるんですよね」
雪生はフォークを手に取りながら史高に訊ねた。
(おじい様て。……雪生って真性のお坊ちゃまなんだな。いや、知ってたけどさ)
「人工衛星や小型探査機の部品を中心に作っているとお聞きしました」
「ああ、そうだよ。このごろはそんな仕事を中心にやっている。宇宙開発なら今後しばらくは盛り上がる一方だろうからね。良い仕事さえしていれば受注の心配をしなくて済む」
「ゴールデンウィークの間に一度、工場を見せていただけませんか?」
鳴は隣に座っている雪生へ目を向けた。まさか雪生がそんなことを言い出すとは思いもしなかった。
(っていうか、俺、雪生にじいちゃんの工場の話なんてしたっけ?)
そもそも祖父がいるという話をした記憶がない。忘れているだけかもしれないが。
史高はちびちびと飲んでいた冷や酒のコップをテーブルに置いた。
「町工場に興味があるのかね? どういうものを想像しているのか知らないが、風が吹けば飛びそうな小さな工場だよ。こうじょう、じゃなく、こうばだ。従業員だって私を入れて七人しかいない」
「二ノ宮製作所について多少は知っています」
二ノ宮製作所というのは史高が営んでいる町工場の正式名称だ。二ノ宮は史高の姓で、母親の旧姓でもある。
「日本の小さな町工場で作られた製品が宇宙を飛んでいる。すごく面白いし、想像するとわくわくします。一体どういった場所でそれほどすごい製品が作られているのか、見てみたいと思ったんです」
「小汚い工場だし、ゴールデンウィークの間は稼働していないが、それでもいいなら案内しよう」
二ノ宮製作所は祖父の人生そのものだ。興味を抱かれたのが嬉しかったらしく、史高は深い笑みを浮かべた。
「鳴、黒猫みたいな美少女はどうなったの?」
いきなり話題を変えたのは母親の成美だ。
「なんの話だ?」
不思議そうな声を上げたのは父親の和春だ。全員の目が成美に向く。
「鳴の初恋の話よ」
「ちょっと母さん!」
みんなの前で、おまけに雪生までいるのに、容赦なく息子の恋の話なんて振らないでいただきたい。思春期真っ盛りの少年はいろいろとデリケートなのに。
「鳴ったら子供のころに黒猫みたいな美少女に出会って恋に落ちたんですって。それなのに、相手が誰なのか覚えてないんですって。鳴らしいったら」
「いや、初恋って決まったわけじゃないから」
「でも、その子が誰だったのかずっと気になってるんでしょ?」
それはそうだが気になっているのはキスしてしまったという負い目があるからだ。などと家族の前で打ち明けるわけにもいかない。
「黒猫みたいな美少女?」
呟いたのは史高だ。顎に指を当ててなにやら考えこんでいる。ひょっとして思い当たる相手でもいるんだろうか。
「あら、お父さん、心当たりがあるの?」
「――いや、特にないな。鳴、おまえ面食いだったんだな」
「だから、初恋って決まったわけじゃないって!」
「初恋だったかもしれない、って自分で言ってただろう」
雪生が横やりを入れてきた。隣へ目を向けると、なにやら妙に楽しげな笑みが視界に映った。家族にいじられる鳴が面白いのかもしれない。
「だから、かもだよ。そうかもしれない、っていうだけの話。はい、この話はもうおしまい!」
鳴は手をパシンと叩いてきっぱりと宣言すると、ケーキの残りを口に押しこんだ。
「鳴――」
名前を呼ばれて振り向くと、祖父の史高と目が合った。
「その美少女とやらと再会できるように祈っておくよ」
「え? ああ、ありがとう、じいちゃん……」
史高はにやにや笑いを必死で堪えている、というような奇妙な表情をしていたが、鳴は素直にお礼を言った。これ以上、この話を長引かせたくなかったのだ。
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